「本日は、誠におめでとうございます」
「来月の点検も、一同心待ちにしておりますので、どうぞお気をつけてお越しください」
「ありがとう。またよろしく」
 大勢のスタッフの方に拍手で送り出され、思った以上に盛大なセレモニーそのものだった。
 車の前で撮った写真はすぐにプリントしてくださり、大きな花束とともにお母さんへ。
 お父さんは、車のキーを受け取ったあと『ナンバーと同じ年代のワインです』と紙袋を手渡され、『そういう趣向も悪くないな』とまんざらではなさそうだった。
「わ……思った以上に広いんだね」
「座り心地はいいだろう?」
「とっても」
 後部座席へ座ると、前までの車とはシートの感触がまるで違った。
 角度も違うからか、ゆったりと包まれるような感じ。
 新しい車って、それだけでなんだかわくわくする。
 たーくんも同じことを言っていたけれど、私とは違ってもっと具体的な自分の車との違う点で心惹かれているように見えた。
「……てかさ。なんで俺が助手席なわけ?」
「当然だろう。何を言い出す」
 見送ってくださった方へ車内から頭を下げ、お店をあとにしてすぐ。
 助手席へ座ったたーくんは窓枠へ頬杖をついた。
「いや、普通はここ美月さんの席じゃね?」
「なぜ」
「助手席ってそういうもんじゃん」
「抽象的な答えで、理解しかねるな」
 お父さんの口調が普段とは違う。
 私やお母さんと話しているときはまずないし、おばあちゃんに対してもしない。
 でも……たーくんと話すときは、こんなふうに言うことあるんだよね。
 まるで仕事のときのように表情も崩れず、そのせいかたーくんはため息をつくも何も言わなかった。
「……本当に、わかりやすいんだから」
「え?」
 お母さんは、くすくす笑うとシートへもたれた。
 理由がわかるらしい。
 少しだけ近づくと、ちらりとミラーを見てから私へ笑う。
「ね?」
「えっと……」
「距離が近いでしょう?」
「……そういうこと?」
「じゃないかしら」
 話は変わって、前のふたりは車のパネルを見ながら操作について話していた。
 だから、お母さんと何を話しているかは聞こえないだろう。
 でも……そうなのかな?
 確かに、たーくんといるときにお父さんは厳しく言うことが多い。
 ……たーくんなのに?
 きっと彼へたずねてみても、ため息をつくだけなんだろうな。
 『しょうがねぇじゃん。お前のこと守ってンだろ』
 と、いつだったか同級生の話をしたとき聞いたセリフが再生される気はした。
「で? どっか行くの?」
「せっかくだから、ドライブを兼ねて出かけようと思ってな。暇なんだろう?」
「それは……まぁ」
 車は一路、横浜新道と書かれた看板を進む。
 日曜日のこの時間とあって、道は少し混んでいるけれど流れている。
 どこへ行くんだろう?
 もちろん、こんなふうに4人でお出かけできるのは嬉しいし、今日は特に予定もなかった。
 行き先はまだ聞いていないけれど、でも、聞いても私じゃぴんとこないかな。
 きっと、たーくんは車がどのルートを進むかでなんとなく目的地はわかるだろうけれど、私はいまいちわからない。
 でも、そのほうが楽しみ……かな?
「どこへ行くか、お母さんは知ってる?」
「それが、教えてくれないのよ。納車としか聞いてないの」
「そうなの?」
「まるで、ミステリーツアーね」
 くすくす笑ったのを見て、なるほどそういう捉え方もあるんだなぁと少しだけおかしかった。
 ひょっとして、こういうことはこれまでもあったのかもしれない。
 お父さん、サプライズ好きなんだよね。
 彼と似ているけれど、たーくんはあまりしない。
 やっぱり、育った環境によるものなのかな?
 ふと昔、6年生の夏休みに帰国したとき、おじいちゃんが『1ヶ月早いけれど』と誕生日ケーキを用意してくれたのを思い出して、ほんの少しだけ懐かしくなった。

「……すげぇ人」
「まぁ、予想はしていた」
「え、わざわざ買い物に来るとか珍しくねぇ?」
「買い物が目的じゃなくて、運転が目的だったからな。別に寄らなくてもよかったが、どうせならいいんじゃないか」
 駐車場へ停めて目的地まで歩きながら、たーくんは意外そうな顔をした。
 すぐそこには、さながら小さな遊園地のような場所もあって、親子連れでにぎわっている。
 駐車場には県内外問わずたくさんの車が停まっていて、かなり混雑しているようだった。
 でも、いろんなところにアウトレットのお店があるのね。
 先月御殿場のカフェへ行ったとき、立ち寄った場所とは雰囲気が違ってもいる。
「アクアライン、とってもきれいだったね」
「まぁ……そーか。お前初だったな」
 天気がよかったこともあって、まさに海の真ん中を走る道からの景色はきらきらしていた。
 テレビで見たことはあったけれど、実際に通るのは初めて。
「……お前な」
「えっと……だめかな?」
「いや、そうじゃなくて」
 たーくんの隣を歩いていたら、手が触れた。
 だから、いつものように繋ぐべく指先で触れたものの、まるで困ったように眉を寄せる。
「手を繋ぐんじゃない」
「え?」
「あー……うっかり」
 後ろからの声で振り返ると、お父さんはとても渋い顔をしていた。
 ……そっか。お父さんがいたから、たーくんはこんな顔をしたのね。
 お母さんはくすくす笑っていて、私と同じ歩道側を歩いている。
「もう。お父さんこそ、お母さんと手を繋いだらいいでしょう?」
「…………」
「ふふ。私は、葉月と繋ぐのも嬉しいけれど」
「え?」
「そうしてるとデートみたいね」
「美月」
「あら、いけなかった?」
 くすくす笑ったお母さんを見て、お父さんは眉を寄せた。
 けれど、手を差し伸べ……ずに、たーくんの腕を取る。
「買い物の前に、お前はちょっと付き合え」
「……どこへ?」
「抜きに行く」
「え。……何を」
 手のひらが離れ、3人で狭い歩道を歩くわけにもいかず、お母さんの隣へ。
 すると、今言ったように手を取られ、自分よりも温かな感触に頬が緩んだ。
「それって……ガチのやつ?」
「前もそんなこと言っていたな。なんなんだ、それは」
 訝しげにお父さんを見つめたものの、たーくんは首を振るだけで何も言わなかった。
 抜くって……何を?
 意図がわからずお母さんを見ると、くすくす笑いながら私に気づくも『仕方ない人ね』とだけつぶやいた。
「いや、ちょ……マズくね? てかなんで? 意味わかんねぇ」
「お前が何を想像してるのか知らないが、前回といい今回といい、十分考えがわかるようなことを口走っているぞ」
「っ……試した?」
「どうだかな。ただ、その反応だとずいぶん俺は見くびられているんだとわかる」
「まさか!!」
「……全力で否定するあたり、さらに怪しい」
「ちょ、まっ……あーもー恭介さん、勘弁してくれって」
 まったく表情を変えないお父さんとは違い、身振り手振りも加わって、たーくんはかなり慌てているように見えた。
 本当に、感情がそのまま伝わってくる人なんだから。
 おもしろいというよりも、ストレートな感じがして笑みが浮かぶ。
「それじゃあ、葉月は少しだけ私に付き合ってくれる?」
「もちろん。喜んで」
 まだ何か言い合っている目の前のふたりから、お母さんへ視線が映る。
 来たことはない場所だけど、きっと行きたいお店があるんだろう。
 こんなふうに、一緒に買い物するのはオーストラリアで過ごしたあの日以来。
 手を繋いだまま、ふたりとは違って右手側の通路へ足を向けると、たーくんはちらりと私を見て小さく手を振った。

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