「……献血?」
「ああ。駐車場にも旗が立っていただろう? 前回献血をしてから、ずいぶん間が空いたからな。どうせならと思っただけだ」
お母さんとふたり、刺繍ハンカチの専門店を覗いていたらお父さんたちから連絡があった。
ふたりでどこへ行ったのかと思ったら、まさに社会貢献していたなんて。
けれど、けろりとした顔のお父さんとは違い、たーくんはどこか疲れているように見えて心配になる。
「……たーくん、大丈夫?」
「まぁな。心配すんな」
「大丈夫も何も、結局どちらも実施できなかった」
「え? そうなの?」
意外なセリフでふたりを見ると、お父さんは肩をすくめているけれど、たーくんはなぜか視線を逸らしている。
……どうしたんだろう?
というか、実施できなかったってどうして?
「海外渡航歴があるとダメだそうだ」
「あ……そうなんだね」
「戻ってから、まだ1ヶ月経ってなかったからな」
確かに、お父さんがこっちへ戻ってきたのは2月末。
まだ3週間経ってなかった。
「たーくんは?」
「っ……」
素直な疑問だったものの、声をかけた途端彼はどこか慌てたように私を見た。
「…………」
「……えっと……」
「金曜、歯医者行った」
「そうだったの? 知らなかった」
「まぁ、定期だし別に言わなくていいかと思って」
まじまじ見つめられたあと口にされたのは、予想外のことだった。
でも、そっか。だから遅かったのかな。
残業だと聞いていたけれど、そのあとに行ったのかもしれない。
どっちみち、どうやら問診の段階で弾かれてしまったらしく、お父さんはどこか残念そうだった。
そういえば、向こうでもよく献血ルームを予約してたもんね。
仕事のあと、お茶を飲みがてらシェインさんと行ってきたって話は何度も聞いたから。
「孝之。お前、その靴はどこのメーカーだ?」
「え? あー……ここにも入ってるよ」
私を見下ろして何か言いかけたものの、たーくんはお父さんへ向き直った。
普段、お仕事へ行くときとは違い、白地に紺のラインが入っているスニーカー。
だけど、いわゆる一般的なものとは違い、細身の形もデザインもとてもきれいだと思う。
「皮だろう? いいものに見える」
「さすが。気になるなら付き合うよ」
今の今とは違い、たーくんはどこか嬉しそうに笑うとお父さんに並んで先を歩き始めた。
認めてもらえるって、嬉しいことだよね。
ましてや、たーくんは小さいころからお父さんのことをまるでお手本のように思ってくれていて。
なんだかんだ言いながら楽しそうに話す姿で、頬が緩む。
「葉月は、何か見たいものある?」
「んー……あ。私も靴を見たいかな。入学式で履くパンプス、まだ用意してなくて」
「なら、同じ区画にあるぞ」
「そうなの? じゃあ、お店教えてね」
少し先を歩いているのに、たーくんはちゃんと聞いてくれていたらしい。
振り返って見つめられ、それだけで十分嬉しかった。
「じゃあ、一緒に見に行きましょう」
「ん。嬉しい」
4人そろっての買い物だからか、今日がとても特別な日に思える。
こんなふうにお出かけできるなんて、とっても嬉しい。
お母さんと、とおりにあるいろいろなお店を見ながら話せることも、湯河原で過ごすときとはまるで違って、別の意味で楽しかった。
「わ、かわいい」
「でしょう? 葉月に似合いそうって思ったの」
たーくんが教えてくれた靴屋さんの、すぐそば。
ウィンドウに飾られていたワンピースを見たお母さんが、私の手を引いて『ちょっとだけいい?』と笑ったのは……15分くらい前かな。
入ったことのないブランドの服屋さんだったけれど、中には自分でも好きな系統の服がたくさんあって、見ているだけで笑顔になるような場所だった。
「これも。葉月に似合いそうね」
「そうかな?」
「……丈が少し短いだろう」
「あら。若いんだもの、いいじゃない? 足も長いし」
お母さんが手にしたプリーツスカートは、膝よりも上の丈。
でも、リボンだけでなく飾りボタンがとてもかわいらしくて、見るからに『かわいい』と思えるもの。
デザインは十分かわいらしいけれど、紺の生地なおかげでバランスがちょうどよく見える。
「これは?」
「え?」
「ほら、やっぱり。ね? このスカートにとってもよく似合うと思わない?」
ボタンの種類がすべて違う、7分丈のパフスリーブのブラウス。
初夏に合いそうな真っ白いものだけど、確かに色合い的には十分合うように思う。
思う……んだけど。
「お母さん」
「なぁに?」
「えっと……どれか戻さない?」
「え?」
にこにこしながら振り返った彼女は、すぐそこにかかっていた薄手のカーディガンのハンガーを手にした。
淡いグリーンのレースカーディガン。
デザインも袖口もとってもかわいくて、見ているだけで笑顔にはなるけれど……ええと。
すでに彼女は、5着ほどハンガーを手にしている。
「だって、これも似合いそうなんだもの」
「もちろん、どれもかわいいなって思うの。でも……えっと」
にこにこと、まさに満面の笑みを浮かべている彼女は、とても楽しそうだった。
そういえば以前、湯河原で過ごし始めてすぐのころにお父さんと3人で買い物に出たときも、楽しそうだったっけ。
あのときは下着屋さんだったけれど、あのときもお母さんは『これもいいわね』と嬉しそうに3点ほど試着を選んでくれた。
「だって、葉月にいろいろ着てほしくなっちゃうんだもの」
「私?」
「娘の服を選ぶのがこんなに楽しいなんて、知らなかった」
「っ……」
まじまじと私を見つめたまま頬を緩めた彼女は、心底嬉しそうに見えた。
……そっか。楽しいんだ。
私はもちろん楽しいけれど、でも、お母さんがそんなふうに思ってくれているとわかって、くすぐったいような恥ずかしいような気持ちになる。
でも……もちろん、嫌なんかじゃない。
これまでも、友達と服を買いに行くこともあったし、お父さんと一緒に行くこともあった。
でも、彼女は誰とも視点が違う。
『たくさん着てほしくなっちゃうわね』と笑った彼女には、どんな人にもない想いを抱いてもらえているようで、胸の奥が少しだけじわりとする。
「まあ……これもかわいい。ねぇ、試着してこない?」
「え? それは……いいけれど」
「本当? それじゃあ、これとこれ。ね?」
手にしていたハンガーを眺めてすぐ、お母さんはワンピースと先ほどのブラウスを手渡した。
どちらもとってもかわいいし、着てみたい気持ちももちろんある。
受け取ってすぐ、お母さんはデニム素材のスカートを見ながら、お父さんへ意見を求めていた。
「あ。ありがとう」
「美月さん、テンション高くね?」
「いつもと少し違う感じするね」
私の代わりにハンガーを手にして、たーくんが笑った。
試着室は混雑していて、順番待ち。
案内している店員さんも、レースがあしらわれたワンピースを着ていて、かわいい雰囲気なのは彼女たちのおかげもあるんだなと改めて思う。
「まぁ、全部お前に着せたいんだろ」
「そうなのかな? でも、お母さんだって似合うと思うけれど」
「言ってやれば喜ぶんじゃねーの? まぁ、買い物でテンション上がるのはみんなそうなんだなってちょっとおもしれぇけど」
肩をすくめた彼は、振り返ってまた笑った。
お母さんが手にしているショートパンツについて、お父さんが眉を寄せている。
……ふふ。
あんなふうにやり取りする姿はこれまで見ていないから、新鮮な気持ち。
「お待たせいたしました」
店員さんに案内されてすぐそこの試着室へ入ると、カーテンを閉じるときにたーくんが小さく手を振ってくれたのがとっても嬉しかった。
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