「どうかな?」
「お前、足長いな」
「それは、丈の影響だと思うよ?」
 真っ白い襟とリボンがあしらわれた、藤色のワンピース。
 胸元で切り返しになっていて、丈は少し短め。
 7分丈になっていて、袖口にも飾りボタンがあしらわれている。
「まあ、とってもかわいい」
「……ふふ。ありがとう」
 たーくんが呼んでくれて、ふたりも姿を見せた。
 ……って、さっきよりも服が増えてない?
 お父さんが手にしているハンガーには、さっきふたりが話していたデニムスカートもあり、どうやらお母さんが押し切ったんだとわかった。
「これも着てほしいわ」
「……お母さん」
「いくらでも買えちゃう気がするの」
 普段からは想像もつかないセリフで、さすがに苦笑が漏れた。
 今日、服を買うつもりはなかったけれど、いくつかは買って帰ったほうがいい気がしてきた。
「えっと……とりあえず、着替えるね」
 比喩でなく目を輝かせたお母さんが見え、次の服を勧められる前に一旦退出を決意。
 デザインもかわいいし、確かに、姿見に映る自分を見たらどうしたって欲しい気持ちになる。
 だから……これ以上着るのは、危ない気がする。
 何より、滞在時間が伸びれば伸びるほど、お母さんが手にする服が増えていきそうな気もした。
「えっと……ふたりは?」
「あそこ」
「……わ」
 試着したワンピースを手に戻ると、そこにはたーくんしかいなかった。
 指された方向には、さっきと違うワンピースを前に悩んでいるふたりが見え、さすがに眉が寄る。
「……どうしよう」
「いいじゃん。恭介さんはすでに買う気だし、どうせなら素直に買ってもらえって」
「もう。服、結構あるんだよ? それに……あんなにたくさん買ってもらうわけにいかないでしょう?」
「お前、似合うからな。美月さんも言ってたけど、いろいろ着せてぇんだろ」
 やっぱり、これ以上ここにいるのはよくない。
 お父さんなら止めてくれると思ったものの、彼が新たなカットソーについて話しているのも見え、小さくため息が漏れた。
「……たーくんは?」
「俺?」
「どれがいいとか……ある?」
 そういえば、たーくんと服を買いに行ったのはあのスーツが初めて。
 今まで彼の好みは聞けなかったから、ほんの少しだけ聞いてみたくて視線が向かう。
「……これとか?」
「わ。かわいい」
 彼が選んだのは、すぐそこにかかっていたカットソー。
 胸元にリボンがあしらわれているけれど、デザインがシンプルなせいか、甘すぎずとてもかわいく見えた。
「色的には、これか」
「……たーくん、センスいいね」
「そうか? センスっつーより、好みが近いんだろ。きっと」
 カットソーにあわせたのは、部分的にプリーツが入ったスカート。
 膝よりも少し上の丈で、確かにこれからの時期には活躍してくれそうなものだった。
 ……でも、そっか。
 私と好みが似てるからこそ、の選択なのかな。
 そう思うととても嬉しいし……それに、彼が選んでくれたことが、何よりも嬉しくて。
 お母さんがたくさん選んでくれるのももちろん嬉しいけれど、たーくんが『私に』選んでくれたことは、より特別な気持ちになった。
「お前は選ぶんじゃない」
「うわ」
 たーくんのすぐ後ろに立ったお父さんが、小さく舌打ちしたような気がしたんだけれど、気のせいじゃないと思う。
 ……もう。どうしてそんな顔するの?
 さすがにお母さんは苦笑し、『そんなふうに言わなくてもいいでしょう?』とたしなめてくれた。
「男が服を選ぶのは意図があるだろう。お前はダメだ」
「もう。お父さんこそ、お母さんに選んであげたらいいのに」
「あら。私は葉月の服を見てるんだもの。大丈夫よ」
 腕を組んだお父さんはひどく嫌そうな顔をしたけれど、たーくんは振り返らずともわかったようで、ハンガーを戻した。
 ……でも、どうしたってその服にこそ想いは残る。
 それがわかってか、お母さんはくすくす笑うと改めてそれにも手を伸ばした。
「それじゃ、お会計でいい?」
「え!? ちょ、ちょっと待って? 全部は買わないでしょう?」
「いけない?」
「っ……いけないと思う」
 いくら、ちょうどセールと書かれているとはいえ、着数はかなり。
 正直、一度にこれだけの服を買ったことがないくらいの量を手にされ、だけどお父さんもお母さんも特に驚いた顔はせずむしろ不思議そうに見られてしまい、かえって困った。
「あの……あのね? お母さん、えっと、気持ちは嬉しいけれど……全部はいらないよ?」
「どうして?」
「どう、してって……だって……」
「どれも着てほしいの。いけない?」
「っ……」
 たちまちしょげたような顔をされ、ほんの少し胸が痛む。
 気持ちは嬉しいけれど、この量を買うわけにはいかない。
 だから……ああ、そうだ。
「それじゃあ、お揃いにしよう?」
「え?」
「デザインはどれもかわいいけれど、お母さんが着ちゃいけない服はここにないでしょう? せっかくだもの、一緒のものを着てみたい。……だめかな?」
 口からでまかせなわけでなく、私もずっと思っていたこと。
 何より彼女も当然まだ十分若く、どれを着ても違和感はないだろう。
 カーディガンも、スカートも、サイズだけでなく問題なくはけるデザインだと思う。
「気持ちは嬉しいけれど、さすがに……」
「お父さんも思うでしょう? ほら。これなんて、お揃いで着れたらとってもかわいいと思うの」
 背丈もそこまで変わらないし、彼女が着れない理由はないはず。
 飾りボタンのワンピースを手にしたとき、『かわいいけれど私はちょっと』と笑ったものの、私から見たら十分似合うと思った。
「へぇ。似合うじゃないか」
「っ……恭介君。私をいくつだと……」
「歳は関係ないだろう? それこそ服は、似合う似合わないなんだから」
 手にしたカットソーをお母さんの前へかざすと、まじまじ見つめたあとで、お父さんは柔らかく笑った。
 それに、今彼女が着ているブラウスもスカートも、とてもかわいいデザインなの。
 きっと、彼女もこの服屋さんのような雰囲気を好んでいるんだろう。
 どれを着ても違和感ないだろうし、どうせなら一緒に合わせたい……そう。
 一緒に着て歩けたら、そのほうが私はずっと嬉しい。
「ね? せっかくだから、お母さんも一緒に買おう?」
「葉月……」
「ふたり並んだら、親子よりも姉妹に見えると思うの」
「ふふ。さすがにそれはどうかしら」
「もう。私はそう思ってるよ?」
 お母さんだけど、気持ち的にはお姉さんにも近い。
 だからこそ、どうせなら一緒がいいなって思う。
 一番いいのは今後、シェアできたら倍楽しいだろうなと思うから。
「わかったわ。じゃあ、少しだけ。……葉月も選んでくれる?」
「もちろん!」
 ああなるほど。
 誰かに着せたい服を選ぶのって、こんなに楽しいものなのね。
 こと、自分ではなく彼女に移った途端、私もいろいろな服が目に映る。
 ……そっか。一緒に買い物に行くって、こういう気持ちを味わえるんだ。
 お母さんが手にしたブラウスの色違いを取ると、それを着たときの彼女が一瞬想像できて、とてもとても楽しくなった。

「たーくんは、見なくてよかったの?」
「いや、さすがにンな靴ばっか買わねぇって」
 当初の目的だった、たーくんオススメの靴屋さんまで案内してくれたあと、たーくんはお父さんとではなく私を連れて別の靴屋さんに付き添ってくれた。
 代わりに今は、お母さんがお父さんの靴を見立てている。
 いわゆる、ビジネスシューズだけでなく女性用のパンプスも扱っているお店。
 いろいろな革靴があって、どうしても普段目にしているたーくんの印象が強いからか、少しだけ背伸びしている気持ちになる。
「しかしまぁ、最終的にかなりの量になったな」
「ね。当分は服を買わなくていいかな」
 試着したワンピースも戻したし、その間に追加された服もいくつか減らし、最終的にかなり絞込みはした。
 お母さんと色違いのお揃いがいくつかと……そして、たーくんが選んでくれた2着。
 でも、ショップバッグは一番大きな物になり、私の分はたーくんが持ってくれているけれど、どこか重そうに見えた。
「どういうのがいい?」
「んー、普段使いとまではいかなくても、できれば日常でも履けるようなシンプルなのがいいかなと思うんだけど……どうかな?」
「まぁいいんじゃねーの。靴も、ある程度履かないと傷むしな」
 このお店にあるのは、あまりヒールの高くないタイプ。
 色合いもシックだし、きっとどの靴でもあのスーツには合うだろう。
 ……大人みたい。
 これまでもパンプスを履いたことはあるけれど、ここに並んでいるのはどれも大人びた印象を受けるからか、やっぱり嬉しかった。
「わぁ……かわいい」
 リボンやバックルの付いているタイプもあれば、シンプルなプレーンだけどグレーやシルバーと様々。
 普段履くならば飾りがあってもいいと思うけれど……でも、メインは入学式だもんね。
 黒のパンプスは持っていなかったし、今日はそれがいいかな。
 とはいえ、黒と言っても形は様々。
 ヒールの高さも少しずつ違っていたりして、目移りはする。
「まぁ、とりあえず履いてみ。合わせてみねぇと、見た目じゃわかんねーぞ」
「そうだね」
 促されるまま、すぐそこの棚に飾られていたパンプスを手に取る。
 光沢のない、シンプルなタイプ。
 ヒールも低めで、しっかりとした安定的なものだ。
「……わ。思ったより柔らかいね」
「そのほうがいいだろ。卸したてで硬いと、短時間でも靴擦れする」
 椅子へ腰かけたところで、たーくんが靴べらを渡してくれた。
 さながら、店員さんかのよう。
 しゃがんだかと思ったらかかとへ手を伸ばされ、指の感触に少しだけ恥ずかしくなる。
「どうした?」
「え、っと……」
 何も言わなかったせいか、不思議そうに見つめられたもののどう答えていいか困ってしまう。
 だって……恥ずかしい、なんて言ったらそれも少し変でしょう?
 こんなふうに感じてるのは、私だけだろうから。
「ほかも試すか?」
「あ……でも、これでもいいかなって」
「お前、ほんと決めるの早いな。悩まねぇの?」
「そうかな? でも、試す段階である程度絞ってるでしょう? だから、試してみて感触がよかったら、それでいいかなって思っちゃうんだけど……」
 もしかしたら、いろいろ試してみたほうがいいかもしれないけれど、でも、あまり試しすぎるとどれがいいか余計悩んでしまうから。
 靴だけでなく、服も同じ。
 見た目の印象で選んだ次は、実際に試してみてどうかをチェックすることで、十分かなって思っちゃうんだよね。
「そういう買い物の仕方なら、いくらでも付き合う」
「っ……」
 立ち上がった彼が、おだやかに笑った。
 ふわりと頭を撫でられ、優しい感触に少しだけ頬が赤くなった気もする。
 ……もう。
 ふいに、そういう顔をするんだから。
 本当に、惹きつけてやまない人。
 試した靴を手にレジへ向かうも、当たり前のようにたーくんが隣に並んでくれたのが、やっぱり嬉しかった。
「そういえば、たーくんもよく献血へ行くの?」
「よくってほどじゃねぇけど。大学にもたまに献血バス来るぞ」
 レジは混雑していて、ゆっくりしか進まない。
 けれど、こうして何気ない会話ができる時間は嬉しいから、並ぶのは嫌いじゃないかな。
「じゃあ、私も入学したらできるんだね」
「いや。お前も8月まで無理」
「え? どうして?」
 “も”ということは、たーくん……も? ってことなのかな。
 ずいぶん具体的な時期を言われたことが、少し不思議。
 だけど、たーくんはスマフォを操作すると画面を私へ向けた。
 映っているのは、いわゆる献血に際しての問診表。
 海外渡航歴があるかどうかや、お薬を飲んでいるか……だけでなく。
 “6ヶ月以内に”と書かれている一部を見て、思わず唇を結ぶ。

 『新たな異性との性的接触があった』

「っ……」
「だろ?」
 目を丸くしたのをばっちり見られたらしく、たーくんはスマフォをしまいながら少しだけ悪戯っぽく笑った。
「じゃあ……たーくん、これで……?」
「嘘ついて献血するわけにもいかねぇし、隣には恭介さんがいるしで正直どうしようかと思ったぜ。けど、咄嗟に嘘って出るもんだな」
 歯医者に行ったというのが、嘘なんだ。
 ……まさか、問診でそんなに具体的なことを聞かれるなんて知らなかった。
 そっか。いろいろな制限があるんだね。
 頬が熱い気がしてそっと触れると、たーくんは私を見てまた小さく笑う。
「ま、8月ンなったら連れてってやるよ。駅前に献血ルームあるし」
「……一緒に?」
「どうせならそういう目で見られるのもオツじゃねぇの?」
「っそれは……もう。どうなの?」
 冗談なのか本気なのかわからない口ぶりに眉が寄るも、たーくんを見ていたら表情は緩む。
 夏が少しだけ待ち遠しいような……なんだか不思議な気持ち。
 会計待ちの列はなかなか進まないけれど、そっと彼の手を握ると、さっきとは違ってすぐに指が絡んだ。
「そういえば、どうして男の人は服を選んじゃいけないの?」
「は?」
「ほら、さっきお父さんが言ったでしょう? たーくんが私の服を選んでくれようとしたとき」
 お父さんはぴしゃりと言い放ったけれど、理由がよくわからなかった。
 だって、お母さんのものとなったとき、お父さんはいくつか選んだんだよ?
 『これもいいんじゃないか』って。
 たーくんはダメなのに、お父さんはいいのかなって……単純に不思議だった。
「選んじゃいけないんじゃなくて、恭介さん的にアウトなんじゃねーの?」
「そうなの?」
 肩をすくめた彼が、少しだけ肩を寄せる。
 ポールで仕切られている通路が狭いのもあるけれど、それだけじゃないらしい。
 耳元へ顔を寄せたのがわかり、少しだけくすぐったく感じた。

「脱がせンとこ想像するからだろ」

「……え……?」
「絶対じゃねぇだろうけど。俺がお前の選んだら、結果的にそうするような気がして許せねぇんじゃねーの」
 ぼそりと囁かれたのは、思ってもみなかったセリフだった。
 えっと……脱がせる、って……。
 それって。
「顔赤いぞ」
「っ……もう。たーくんが、変なこと言うから」
「本音を予測したまでだろ」
 繋いだままの手が、急に熱く感じる。
 もう……もうっ。
 視線が落ち、くせのようなものでほんの少しだけ唇を噛む。
 ……今朝のこと、思い出しちゃうじゃない。
 服を選ぶこととそのことがイコールには繋がらないのもそうだし、こんな場所で想像してしまった自分もなんだかはしたなくて嫌だし……もう。
 本当に、どきどきさせる人なんだから。
「思い出したろ」
「っ……たーくん!」
 まさに図星のことを突かれ、声が上がる。
 だけど、まるで私の反応をわかっていたかのようにくすくす笑うと、レジが空いたのをみてそちらへ先に足を向けた。

 ひとつ戻る  目次へ  次へ