「まさか、館山で寿司食うとは思わなかった」
「地元で食べるのとは、また違うネタもあったな」
 館山自動車道を下りてすぐ、海沿いの道にあったお寿司屋さんでお昼をとることになった。
 知っていたわけでもなければ、もともとの目的地でもなかったらしく、理由を聞いたたーくんは『なんとなく』というお父さんの返事がとても意外そうだった。
 ……でも、そういうところあるんだよね。
 普段、とても細やかできちんとしているのに、興味のないことは一切いい加減になるというか。
 きっと、お母さんも経験があるんだろう。
 大きな声で反応したのはたーくんだけで、動じない私とお母さんとをまるで信じられない何かでも見るかのように見つめた。
「……その音」
「あ?」
「ふふ。その音、響くでしょう? 好きなの」
「へえ。俺と一緒じゃん」
 金属音そのものの、カキンと響く高い音。
 どうやら食後の一服をと考えたみたいだけど、お父さんも今は吸わないし、お店の表にも灰皿がなかったこともあって断念したらしい。
 きっと、クセみたいなものだろう。
 ジッポの蓋を指先で開け閉めしながら、たーくんは笑った。
「せっかくだから、牧場に寄ってもいいがどうする?」
「俺たちで、はしゃげと?」
「そうは言ってない」
 たーくんが眉を寄せるのも、仕方ないように思う。
 だって、お父さんってばからかってるみたいな口調なんだもん。
 きっと、着いたら着いたで楽しめるだろうけれど、いろいろな場所を見れたし私は十分満足。
 今日すべてを満喫しなくても、また別の機会に来る楽しみが増えるんじゃないかな。
「……だから。どうしてお前は当たり前のように乗るんだ」
「別によくね? 何もしなかったじゃん」
「本当だろうな」
「嘘ついてねぇって。だろ?」
「っ……」
 さっきと同じように後部座席へ並んで座ったところで、たーくんは私の顔を覗きこんだ。
 うん。
 素直にそう言うだけの心の準備ができてなかったせいで、一瞬うなずきがぎこちなくなる。
 でも、理由を知ってるのはたーくんだけ。
 お父さんは前へ向き直るとエンジンをかけた。
「……ンだよ」
「なんでもないよ?」
 本当に、どうしてそんな反応を当たり前にできるの?
 小さく笑って首を振ると、たーくんは何も言わなかったけれどベルトをしてから小さくあくびを見せた。
 ゆっくりと車が動き出し、来たときと同じように緑色の案内表示板方面へ進む。
 車内は日差しをたっぷり浴びていたこともあって、かなり暖かい。
 今日は、いつもと比べてかなり歩いたんじゃないかな。
 慣れた靴だったけれど、座ると足が疲れていたことに気づくものなのね。
 そっとふくらはぎに触れると、手の温かさが心地よい気もした。
「…………」
 窓の外は、さっきと同じ緑の景色。
 反対側の海はきらきらしていて、少しまぶしいほど。
 こんなふうにお出かけするのは、久しぶり。
 しかも、たーくんとふたりきりじゃなく、お父さんたちと4人でお出かけするなんて、オーストラリア以来。
 だけどこれからは、この形が当たり前になっていくんだろうな。
 少し前まではありえなかったふたりが身近になってくれて、改めて今に感謝する。
「……眠いだろ」
「ん。眠たい」
 小さくあくびが漏れて、うとうととまぶたが重くなる。
 すぐにたーくんは気づいたらしく、私を見て笑った。
 暖かくて、お腹いっぱいで……疲れもあって。
 振動が心地よくて、意識が遠のき始める。
 ……そういえば、寝不足もあるんだもんね。
 誰にも言えない、それこそふたりきりの内緒。
「昨日、遅かったもんな」
「っ……」
「珍しく、遅くまで起きてたじゃん」
 まるでささやくようなセリフだけど、きっとお父さんたちへも届いているだろう。
 ……もう。
 どうしてそんなふうに笑うの?
 眉が寄る私を見て、たーくんはさらに口角を上げた。
「…………」
「どうした?」
「どうした、じゃなくて……」
 するりと太ももを撫でられ、慌てて彼の手を握る。
 むしろ、こちらのセリフ。
 どうしてそんなに楽しそうに笑うの?
 あくびで滲んだ涙を簡単に拭うと、小さく笑った彼は手を離してから両手を頭の後ろで組んだ。
「…………」
 もう。
 びっくりして、眠気がちょっと飛んでしまった。
 もちろんそれは悪いことじゃないけれど……まさか、また撫でられるなんて思わなかったんだもん。
 たーくんの知らない面、実はかなり多いのね。
 小さくあくびをすると、景色がうっすら滲んだ。
「っ……」
 ぱたり、と音を立ててたーくんの右手がまた太ももへ落ちた。
 先に肘が腕へ当たり、ちょうどまたうとうとしかけたところだったせいで、意識が戻る。
 ……もう。どうしてそんなに驚かせ……。
「……たーくん?」
「眠い」
 大きくあくびをした彼は、目を閉じると姿勢を少しだけずらした。
 ヘッドレストへ頭をもたげ、いかにも眠る体勢を整えたように見える。
「ふふ」
 そっと両手でたーくんの手を握ると、私よりずっと温かかった。
 眠いよね。
 だって昨日遅かったのは、たーくんも同じなんだから。
 ……って、昨日じゃないのかな。
 あれはもう、今日のこと?
「…………」
 小さく漏れたあくびとともに、目を閉じる。
 温かい手のひらが、嬉しくて。
 内緒のやりとりが、くすぐったくて。
 でも……こんなふうに関係が変わったことは、やっぱり特別を意識する。
 何度でも。
 きっと、この先何年経っても思うんだろうな。
 振動も温かい感触も心地よくて、意識はわりとすぐに途切れたらしい。
 家に着く手前で、先に起きたたーくんに起こされるまでは帰り道のことを何も覚えてなかった。
 だから……知らなかったの。
 お父さんたちと別れたあと、お母さんからスマフォへ写真が送られてきていたけれど、それを見て目を丸くする程度には。

 たーくんと寄り添うように眠っている、1枚の写真。

 どうやら、眠ってしまったあとも彼の手は離さなかったようで、写真にはばっちりとたーくんの手を両手で包んだままの私がいた。
 ……お母さんがこれを撮ったということは、お父さんにも見られていたんだろう。
 別れ際には何も言われなかったけれど、“そのとき”を考えてみると、少しだけ恥ずかしいような……けれど嬉しいような気持ちになった。
「メシ食えねぇだろ」
「さすがにお腹空いてないかな」
 すっかり日の落ちた空の下、たーくんとふたり車を見送る。
 お昼食べたあと、眠っちゃったしね。
 今日の夜は、飲み物だけで十分かなと思う。
「入るぞ。冷えてきた」
「昼間は暖かかったのにね」
「お前、夜寝れんの?」
「んー……自信ないかな」
 手を引いて階段を上がってくれながら、たーくんが笑った。
 4人でのお出かけは、思った以上に楽しくて。
 また近いうちにあったらいいなと、ショップの紙袋を持って階段を上がると、あのときとは少し違う手のひらの温かさに笑みが浮かんだ。

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