「……で?」
「え?」
「わざわざ俺につっこみ入れるために来たのか?」
 雰囲気をあえて変えたいと思ったのか、無意識に声が変わる。
 が、葉月はまじまじ俺を見つめると、緩く首を振った。
「さっき、たーくんが言ったでしょう? 自分自身も大事にしろ、って」
「ああ」
 羽織と一緒にいたときのことか。
 そもそも、普段葉月はあまり自分自身を優先させていない気はする。
 そういや、だいぶ前に美月さんも……恭介さんも言ってたな。
 『わがまま言わないから、心配だ』って。
 どうやったら、自分自身のために時間を使えるか考えたほうがいいんだろうよ。コイツは。
 誰かのためじゃなく、自分のために。
 ようやく恭介さんとも、そして幼かった過去の自分自身とも向き合えるようになった今だからこそ、赦す意味も兼ねて時間の遣い方は学んだほうがいいんだろう。
「お風呂に入りながらね、私がやりたいこと何かなって考えてみたんだけど……最初に思い浮かんだのが、たーくんだったの」
「俺?」
「ん。私自身を大事にするって……ちょっと難しいんだけど。でもね、たーくんのそばにいられることそのものは、大事にしたいなって思って。……たーくん、いつも優しいから」
「……俺が?」
 ガラじゃないのもあるが、正直実感はない。
 だが、訝るように反応した途端、葉月はくすくす笑う。
「優しいでしょう?」
「いや……俺に聞かれてもわかんねぇけど」
「こんなふうにそばにいても、邪魔だって怒らないじゃない」
「そりゃ……つか、ンなことで怒るほど沸点低くねぇぞ」
 俺をなんだと思ってる。
 うっかり続けそうになったが、すり寄るように身体を寄せられ、言葉が消えた。
 ……お前、わかってやってんだよな? 絶対。
 くっつかれても邪魔とは思わないし、今の時期は特にぬくもりは心地いい。
 俺よりよっぽど体温は高いらしく、暖を取るにはまさに完璧。
 だが、身を寄せるということはその感触も当然伴うわけで。
「…………」
 お前、前回ンときからどんだけ経ったと思ってんだよ。
 仕事が忙しかったことと、それなりにイベントがあったこととで意識が逸れていたからよかったようなものの、今、これをするってことは当然わかってンだろうな。
 まだ、親父もお袋も帰ってない。
 自分の部屋に羽織はいるだろうが、アイツが俺に用があるとは考えにくい。
 試験も終わり、今は新しい生活のために部屋を必死になって片付けてるだろうしな。
 多少物音がしても問題ない今だからこそ、当然期待はする。
「っ……」
「優しいってたとえば?」
 取られていた腕を抜き、するりと肩から背中を撫でる。
 声こそ漏らさなかったが、代わりに膝へ置かれた手はしっかり反応を見せた。
「私のこと……気遣ってくれる、でしょう?」
「そりゃ、お前が普段周りの連中気にかけてンからだろ。ほかには?」
「えっと……褒めてくれる、から……」
「そうか?」
「でしょう? がんばってるとか、ありがとうとか……惜しげなく言ってくれるじゃない」
「がんばってンのは事実だろ」
「……でも……」
「そもそも、お前だからそーやって口に出してるってのはわかってンの?」
「え?」
「俺が誰かれ構わず言ってると思ったら大間違いだぞ」
 基本的にあまり人を褒めることはないし、わざわざ口に出すことはほとんどない。
 どう褒めたって、自意識過剰なヤツじゃなければ大抵謙遜で終わる。
 それが事実か否かは関係なしにな。
 だからこそ、面倒じゃん。『そんな』と手を振られるなら、言わなくてもいいかなって。
 思ってるだけでも十分態度には表れると思ってるからこそ、敢えて口に出すことはそこまで考えない。
「お前だからな」
「っ……」
 腕に力を込めると、距離は消える。
 ドアは開いてるが、まぁ角度的に覗かれでもしなきゃ見えねぇだろ。
 顎先に触れて僅かに上を向かせると、こくりと喉が動いたのは視界に入った。
「もう……たーくん、どうしたの? 今日、とっても優しい」
「は? ちょっと待て。どこがどうなったらそうなる」
「だって……ふふ。気づいてないの?」
 いや、お前はじゃあ何に気づいてるつーんだよ。
 全然わかんねぇ。
 それはそれは穏やかに笑われ、代わりに当然眉が寄る。
 だが、葉月はまるで俺の何かでも確かめるかのように頬へ触れると、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、こうやって触るのも優しいに含まれンの?」
「そ、れは……」
 指の感触がくすぐったくて、普段らしくない会話がくずぐったいというよりもむず痒くて。
 鼻先のつく距離まで詰め、瞳を細める。
 葉月にとってはだいぶ眠い時間だろうが、普段と違ってかそういうそぶりはない。
 ……都合がいいというよりは、タイミング的にはばっちり。
 どうせならもう少し付き合え。
「ぁ……ね、待って。ドア開いて……」
「よくね? どうせ知ってンだろ」
「そういう問題じゃ……」
 口づけようとしたところで肩を押され、小さく舌打ちが出る
 アイツだってある意味大人の仲間入りしてんだろ。
 そういうトコはお互い不干渉であるべきじゃねーの。
 期待するわけじゃないが、当然であれとは思う。
 ささやくようなやりとりは秘密めいていて、逆に煽る雰囲気は強い。
「っ……」
 腕に力を込めて逃げ場を封じると、困ったような顔をしたもののそれ以上葉月は抵抗しなかった。

 ガチャン。

「…………」
「…………」
「……っ……たーく……」
「はー……」
 ここまできっちり聞こえた鍵の開く音で、葉月が小さく跳ねた。
 ……うるせぇ。
「羽織ぃ、ルナちゃんん、おいしいケーキ買ってきたわよー」
「……馬鹿か」
 がやがやと階下から聞こえてくる声は、いかにも場にそぐわない酔っ払いの声。
 しかも、あろうことか葉月と羽織を呼んでおり、盛大にため息が漏れた。
「えっと……」
「無視でよくね?」
「もう。呼ばれてるのに、そういうわけにいかないでしょう?」
「いやおま……さっき散々言ったろ? 優先順位考えろって」
 当たり前のように立ち上がりかけた葉月の手首をつかむも、ドアと俺とを見比べて苦笑を浮かべた。
 あーくっそ。最悪。
 呼ばれたせいか羽織がドアを開けたのもわかり、慌てたように葉月も手をほどいた。
「…………」
「えと……ちょっとだけ。あいさつしてくるね」
 どうしてくれんだよ。俺の気持ちは。いろんなモンは。
 ベッドに手をついたまま瞳を細めるも、葉月は苦笑を残したままそろそろとドアへ向かった。
 ……くそ。最悪だ。
 こういうのが重なると、嫌でも占いのせいにしたくなるだろ。
 こんなことなら、二度と見ねぇ。
 金曜の朝は、確実に週末の運勢をやると学んだからな。
 俺にとって運勢は、不要な情報でしかない。
「はー……」
 誰にぶつけりゃいいんだよ。この行き場のない怒り……つか、その前の感情だっけか?
 やるせない……あーくっそ。怒りだって。やっぱ。
 その前の感情なんて、俺にはない。
 今さら本を読み直すにはほど遠く、かといって寝るにはいろいろ整理がつかず。
 デカいため息をつくと、妙な疲れが身体に残っていた。

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