「……あ?」
 その日の夕方。
 17時上がりで帰ってくると、ダイニングのテーブルの上には見慣れない柄の紙袋があった。
「あ、たーくん。おかえりなさい」
「……ただいま」
 いつもなら玄関まで来る葉月が見えないと思いきや、どうやら洗濯物を畳んでいたらしい。
 畳んだタオルを手に、和室のほうから姿を見せる。
「なんだ? これ」
「それね、いただいたの」
「誰に」
「ほら、いつも伯母さんが買いに行くでしょう? すぐそこのパン屋さんだよ」
 にっこり笑って答える葉月は、毎度のことながら重要な箇所を抜いて話してくる。
 ワザとってワケじゃないんだろうが、気付いてないのか。もしかして。
 ……そりゃまぁ、買ったかどうかってあたりも、重要っちゃ重要なのかもしれねぇけど。
 少なくとも、俺が聞きたいのはソコじゃない。
「もらったって……なんで?」
 パン屋と言われて気づいたが、すぐ隣には近所の個人経営のパン屋の袋が置いてあった。
 見慣れた食パンが透明のビニールに入っている。
 ……てことは、同じ系の何かか?
 開く前に持ち上げると、小さい割にはずっしりしていて中身がまったくわからなかった。
「つか、おまけとか初めて聞いた。お袋ももらってこねーぞ」
「そうなの?」
「ああ」
 昔からある個人店でもあり、それこそ中学のときは部活帰りにこっそり買ったことも一度や二度じゃない。
 ハード系から総菜まで幅広く扱っていて、地元の情報誌にもよく掲載される店だ。
 だからこそ、少なくともそんなほいほいおまけをくれるような店じゃない。
 ……噂じゃ、滅多に表へ出て来ない主人は、相当なカタブツだって聞いてるし。
 なのに、なんでおまけ。
 そのパン屋へ行き始めて、恐らく2ヶ月と経ってないだろう葉月。
 しかも、今の我が家はほとんどパン食じゃない。
 週に1,2度あるかないか。
 葉月が来る前はほぼ毎日食ってた、イコールほぼ毎日その店でお袋が買ってたってこと。
 なのに、1度だって買ったモン以外の何かを受け取ってきたことはない。
 ……コレはいかに。
 つーか、どんだけ人にほいほい気に入られるヤツなんだ。
「で? なんだコレ」
「あ、マドレーヌだって。オレンジと、プレーンの。おいしかったよ」
 1番最初にした質問を再度すると、ようやく欲しかった答えに辿りついた。
 ……マドレーヌ、ね。
 そんなモンがあのパン屋の店頭に並んでたかどうか自体、怪しいっつーか知らねぇ。
「…………」
「ね? おいしいでしょう?」
 ひとつ食ってみると、まぁ、当たり障りのないマドレーヌの味がした。
 特にバターの風味云々というワケでもなく、こってりした甘さというワケでもなく。
 ごくごくフツーの、シンプルなヤツ。
「普通」
 口に入れた分を飲み込んでから、さらりと感想を述べておく。
 別に葉月を見て言ったわけじゃなかったが、残りのマドレーヌを食ったあとで視線を移すと、目が合った途端に表情を変えたのがわかった。
「ンだよ」
「ふふ。なんでもない」
「ウソつけ」
 お前今、明らかに笑ってたろ。
 ……ち。
 別に、特別な感想なんて持たねぇよ。
 心底単純に、『まぁ普通』って思ったんだから。
「……あっ。ねぇ、たーくん」
「あ?」
「ちょっとお願いがあるの」
「なんだ」
 階段へ行こうときびすを返したところで、声がかかった。
 機嫌が悪いワケじゃない。
 が、葉月を振り返った自分は、いつもより目つきが悪かったような気はする。
 それでも、まったくひるむことなく特に気にするでもなく、葉月はいつもと変わらない態度ですぐ目の前まで歩いてきた。
 ……コイツくらいだな。
 こんなふうに見たところで、『ん?』なんていつもと同じような顔するヤツは。
「土曜日でも、日曜日でもいいんだけど……買い物、連れてってもらえる?」
「買い物?」
「うん。入学式のスーツを見たいの」
「……あー」
 そういや、そんなモンもあったな。
 随分前に処分という名目で従弟にくれてやったが、昔は俺もリクルートスーツを持ってた。
 ……ぺらっぺらのお安いヤツな。
 今じゃ、ちょっと考えらんない。
 まぁ、そんだけ社会人に染まってきたってことか。
「で?」
「……え、と」
「どっか行きたいアテは?」
 ネクタイを片手で外し、ほどいてから――目の前のコイツに掛けてみる。
 一瞬、俺とネクタイとを見て不思議そうな顔をしたが、言葉を続けると俺を見上げた。
「特に、あてはないんだけど……。だから、たーくんが知ってるお店……」
「ふぅん」
「……たーくん?」
「あ?」
「もう。何してるの?」
「別に」
 視線を合わせずネクタイを結び終えた俺を見て、さすがの葉月も眉を寄せた。
 しれっとした顔で肩をすくめ、ついでに脱いだ上着を羽織らせてみる。
「…………」
「…………」
「……もう。なあに?」
「っく……ままごとみてぇ」
 ダボダボどころじゃない。
 まるで、子どもが親のジャケットを着たかのような違和感ありまくりの格好。
 さすがに腕こそ通してないが、肩にかけているだけのこの状態でさえ、そのおかしさは強くて。
 思わず吹き出して笑うと、怪訝そうだった葉月は一層色を強めた。
「もう、たーくん。ちゃんと聞いて?」
「聞いてるって」
 さすがの葉月も、上着を脱いでネクタイに手をかけた。
 ……が。
「あれ……?」
「…………」
「えと……っわ」
 逆を引いたせいか、外そうとすればするほど、こんがらがって余計うまくいかないという悪循環に突入。
 ……あー、そういやコイツ意外と不器用だったな。
 懸命にどころか、それこそ悪戦苦闘してるさまを傍観していたら、普段とまるで違う要領の悪さに口角が上がる。
「っ……!」
「意外なとこで不器用だな」
「……だって……」
 ネクタイを引っ張り、顔を近づけて笑う。
 へぇ、便利じゃん。
 普段まぁ見せることのない戸惑った顔がここにあって、これはこれで悪くないような気もした。
「まぁ、見立ててやるよ。まずは土曜近場で探して、いいのがなかったら日曜は少し足伸ばすか」
「いいの?」
「ああ」
 ネクタイを外しながらうなずくと、これまでとは一変して嬉しそうに笑った。
 ……素直なやつ。
 そもそも俺に遊ばれたって考えてないあたり、コイツ人を素で信じるタイプなんだろうな。
「ありがとう、たーくん」
 そう言って浮かべた笑顔は、いつもとまさに同じ。
 今の今まで自分がされていたことを、微塵も感じさせないようなモノ。
「すぐ、ごはんにするね」
「あ? ……ああ」
 それこそ、鼻歌でも出そうな勢いでキッチンへ戻ったのを見ながら、ある意味で感心する。
 葉月は、人を恨んだりしないタイプなんだろうな。
 俺とは大違い。
 部屋へ戻るべく階段に向かうと、今の今まですっかり忘れていた今朝のことを思い出す。
 土日。まさに週末。
「……は」
 関係ねぇし。
 それに、今まで当たったためしもねーしな。
 ふと、今朝のあのアナウンサーの声が頭に響いて、思わず口元が歪む。
 『不幸がネギしょってやって来るかも』
 ……ンなワケねぇじゃん。
 来てたまるか、と思いきり馬鹿にしていた。

 少なくとも、このときの俺は。

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