「だから。なんでお前がここにいンだよ」
 目の前にいる、ありえないヤツ。
 両腕組んだまま言い放った俺の顔は、きっと葉月に言わせればものすごく不機嫌そのものだろう。
「ごめんね、葉月ちゃん。突然お願いしたりして」
「いえ、大丈夫です」
「っ……あ? 無視か? 俺を。いい度胸じゃん」
「あぁ、いたの? お前」
「ふざけんな! 誰ンちだと思ってンだよ、馬鹿か!」
「もう、たーくんっ」
 葉月に止められなければ、間違いなくコイツの胸倉を引っ掴んでいたところ。
 なのに、当たり前のように葉月は俺をたしなめ、代わりに祐恭へ謝罪する始末。
 つか、なんでだよ。おかしくね?
 今日は勤務じゃない土曜。
 朝からまぁ天気もよく、暗雲立ち込めてる運勢のわりに何も起きそうにないし、とっとと脱出……と思いきや、朝っぱらから見たくない顔が現れてげんなりしたってのに、どうして俺が引き下がらなきゃなんねぇんだよ。
 理不尽だろ。くっそ。
 俺はある意味被害者だぞ。
「……すみません、瀬尋先生」
「全然。葉月ちゃんが謝ることじゃないから気にしないで」
「俺は気にする」
「もう……たーくん」
「だから、お前も止めンなよ!」
「そういうわけにはいかないでしょう?」
「はァ? なんで!」
 つか、そもそも祐恭が先に喧嘩売ってきたんだぜ?
 しかも、葉月のうしろでニヤニヤとまぁ性格の悪さむき出しのツラしてるところが、ものすごく腹立たしい。
 今すぐ引っ込めろ。
 そしたら1発殴るで済ませてやる。
「っち……!」
 だが葉月は、相変わらず祐恭の肩ばかり持ち、一切俺のフォローはしなかった。
 だから余計腹立つってことを、なんでわかんねぇんだよ。
 お前、そんな勘の悪いヤツでも鈍いわけでもねぇだろ?
 てことは……確実に、読まない方向へ動いてるな。くっそ。
 あー、腹立つ。朝からバリバリ占い通りじゃねぇか。
「はー……」

 ことの発端は、ついさっき。
 珍しく家の電話が鳴ったかと思いきや、応対した葉月の声がすぐに変わった。
 訝ったものの、ほどなくして受話器を置いた葉月は俺を見て笑った。

 『これから、瀬尋先生が来るって』

 なんて、俺にとっては『はぁあああ!?』的なひとことを添えつつ。
「つか、なんでお前がここにいンだよ。休みの日に会うとか勘弁してくれ」
「別に、お前に用があるわけじゃないから、よくないか?」
「よくねぇよ。馬鹿か。視界に入るのがそもそも鬱陶しい」
「あぁ、それは俺も同感。終わったら声かけてやるから、部屋にいれば?」
「うわ最悪だぞお前。くっそ腹立つ」
「同じく」
 肩をすくめて言い放たれたセリフに改めて舌打ちするも、祐恭は葉月には笑顔を見せた。
 あーやだやだ。これのどこが『穏やかで優しい』んだよ。
 つい先日、葉月から聞いた祐恭像を真っ向から否定する材料しか持ってない俺にとっては、胡散臭さしか感じない。
 確かにコイツは、別に俺に用事があってここに来たワケじゃなかった。
 かといって、羽織でもない。
 なぜなら、羽織はコイツと入れ替わり位の時間で、家を出て行ったから。
 葉月曰く、絵里ちゃんのところ……らしい、が。
「…………」
 テンション上がらない顔のまま、ダイニングの椅子に足を組んで座る。
 なんでコイツは今ここにいるんだ。
 しかも、なんでキッチン。
 つーかそもそも、なんで葉月なんだよ。
 ぐるぐると根本的な疑問ばかりが頭に満ちて、どんどん目つきが悪くなる。
「それじゃ先生、よろしくお願いします」
「っ……先生なんて、恐縮です」
「いやいや。今日は間違いなく、俺の先生だからね。葉月ちゃんは」
「……そんな……」
 はー、くっそ頭悪そうな会話にしか聞こえねぇんだけど。
 にっこり笑って口がひん曲がりそうなこと言い出した祐恭に、葉月が笑みを見せたのも若干気に入らない。
 まんざらでもねぇ顔すんな。
 あのな。
 お前がそうやって甘やかすから、ずけずけと人んちまで上がりこむようになるんだぞ?
 だいたいお前、今日がなんの日かわかってんの?
 土曜だぞ、土曜。俺の大事な休み!
 にもかかわらず、そんなヤツ家にまで上げやがって。
 いったい誰の許可取った。あ? 言ってみろ。
「…………」
 そう言いたい。めちゃめちゃ言いたい。
 が、ンなことしたら葉月がなんて言うかだいたい予想もつくワケで。
 ……ち。
 どうせまたアイツの肩持つだろうしな。
 認めたくはないが、仕方ない。
 これまでの経験上から弾き出せば、そんな答えになる。
「……100っていうと……こんなモンかな」
「わ。さすがですね。1度でピッタリなんて」
「そう? ……まぁ、職業柄このへんはキレイにやっておかないと」
「すごいです」
 いや、全然すごかねぇだろ。
 思わず鼻で笑いそうになるが、また茶々入れると余計なことになりかねない気はするから、寸でで止める。
 ぱちぱち手を叩いて祐恭を褒める葉月は、それこそ料理番組のアシスタントのようで。
 頬杖ついたままそっちを見ていたものの、あまりの猿芝居並レベルに思わず舌打ちがうっかり出た。
 だいたい、小麦粉くらい俺だって計れるっつの。
 いくら普段料理の『り』の字も浮かばないようなヤツだろうと、大概のことはできるだろ。人間なんだから。
 イマドキ、幼稚園児だって料理講座があるってのに。
「えっと……たーくん、何か飲む?」
「あ?」
 まじまじそっちを見ていたことで勘違いでもしたのか、カウンター越しに葉月が俺を見つめた。
 そうやってお前、俺の腹を満たす作戦かなんかか。
 とはさすがに考えないが、おかしそうに祐恭まで俺を見たのが気に入らず、ため息が漏れた。
「コーヒー」
「ん。ちょっと待ってね。あ、瀬尋先生もいかがですか?」
「いや、俺は終わってからもらえれば十分」
「わかりました」
 テーブルにあった新聞を開き、二度目の読み直し。
 これといって目立つ記事はなく、まぁしいて言えば司書のコラムが載ってたから、それをもう一度見ておいてもいいとは思うけどな。
 ……あーあ。
 これじゃ俺、時間を持てあましてる日曜日の居場所のない親父そのものじゃん。
 ……この年で疑似体験するハメになるとはな。
 って、いや待て。
 それもこれもすべては祐恭が悪い。間違いなく。
 なんせ本当ならこの時間はとっくに……。
「……お前さ」
「あ?」
「そういうトコ、空気読まないよな」
「はァ?」
 結局、コラムを読み終えたところで新聞を閉じると、カウンター越しに祐恭がため息をついた。
 ……なんだその顔。
 『ケンカ売ってんの?』と聞き返したくなるようなモノで、さすがに眉が寄る。
「はい、たーくん」
「あ? ああ、サンキュ」
 いつもと同じように、葉月がマグカップを目の前に置いた。
 ……が。
 その手には、ところどころ水滴と一緒に白い粉のようなモノも付いている。
「…………」
「え?」
「いや、別に」
 顔を見ると、不思議そうな表情を浮かべはしたが何も言わなかった。
 葉月は、俺が何を言ったところで、ひとつたりとも文句を言わない。
 それはわかってる。
 ……余計な気を遣わせたってことだろ、結局。
 祐恭が言外に伝えたかったことがわかり、小さくため息は漏れた。
 料理、してたんだよな。そういえば。
 別に気付かなかったワケじゃないはずなのに。
 ……そりゃそうだ。
 俺だって現に、さっきまでコイツが台所で何かしてるってのは見てたんだから。
 何を作ってるかは知らない。
 それでも、作業してたのは確か。
 手についてる小麦粉とおぼしきソレが、物語ってる。
「…………」
 そうじゃないだろ。
 祐恭が続けたかったのは、多分そんな言葉だろう。
 小麦粉を弄ってた。
 なのに、葉月は一度手を洗って作業を止めた。
 わざわざ。俺のために。
 ……いや。
 俺の、ワガママな要求に応えるべく。
 手持無沙汰なのを見て葉月が動いたのは、俺の態度がよくなかったからだろう。
 祐恭が言いたかったことも、今回はわかった気がする。
「それじゃあ、バターを練っていきましょうか」
「これ?」
「はい。少しずつお砂糖混ぜていきますね」
「了解」
 キッチンへ戻った葉月は、すぐに作業へ戻った。
 カウンターの向こうに並んで立つ、あまり見ない組み合わせのふたりを見ながら、ふと視線は逸れた。
 目の前には、湯気の立つマグ。
 今入れてもらったばかりのコーヒーは、いつもより濃い色にも見える。
「…………」
 あーあ、何してんだか。
 俺もそうだが……まあアイツもそうなんだけど。
 言ったところで結局、文句のような形で届くならば意味はない。
「それじゃ、小麦粉をふる……え? たーくん?」
 椅子から立ち上がると、祐恭を見てるばかりだと思った葉月がすぐに反応した。
 不思議そうにまばたき、いつもと同じ顔を見せる。
 普段なら、俺がここからどいたところで何も言わないのに、こういうときだけ反応しすぎだぞ。お前。
「外にいる」
「……え?」
「つか、ガレージな。片付けてくる」
 両手をパーカーのポケットにつっこんだまま、ふいと顔を玄関に向ける。
 日差しのあったダイニングやリビングとはまるで違う、冷えた空間。
 3月とはいえ、まだ厳しい。
「ガレージって……寒くない?」
「まぁ多少はな。コーヒー、せっかく入れてもらったけど、あとでもっかい温めなおすから置いとけ」
 靴ではなくサンダルをひっかけて玄関のドアに手を置くと、慌てたように葉月がすぐそこまでやってきた。
 両手についてるのは、小麦粉だかなんだかわからないようなモノ。
 だが、間違いなく『料理』の最中だってことは明らか。
 なのにコイツは、わざわざ俺を追って来た。
 ……しかも、わずかながら不安げな表情を浮かべて。
「すぐ戻ってくるって」
「っ……」
 出て行くのを躊躇するような顔をされ、わずかばかり意志が萎えそうになる。
 この顔は、正直苦手だ。
 置いていくつもりもないし、ひとりきりにするわけでもない。
 が、このままあそこにいたら、余計なことを口走りそうな自分が少しだけ厄介だと思った。
 祐恭でも葉月でもない、俺が1番厄介なんだよな。
 普段とはまるで違うことばかりしそうになる自分が、正直どこか鬱陶しい。
「…………」
 ドアを開けた途端、目に入ったあまりにも晴れ晴れとしている空に、思わず口元が歪んだ。

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