「本当にありがとうね。助かったよ」
「こちらこそ、お役に立ててよかったです」
あれからほどなくして、祐恭が玄関に立った。
ようやくも、ようやく。
すでに時計の針は昼過ぎを示している。
……とっとと帰れよ。お前。
一応葉月に言われて隣へ並んだものの、まったく見送りの『み』の字も出てこない自分に、内心拍手をしてやりたかった。
「羽織には、ちゃんと瀬尋先生がひとりで作ったって教えてあげてくださいね」
「いや、俺ひとりの力じゃないよ。葉月ちゃんが――」
「いいえ。私は手を出してませから」
「……え?」
首を横に振った祐恭を、葉月がにっこり笑って否定した。
俺はわからない。
が、祐恭もどうやらワケわかってないらしく、すぐに聞こえた葉月の言葉で目を丸くした。
「私がしたのは、あくまでもレシピを読みあげただけです。材料を計るのも、混ぜるのも……全部瀬尋先生がひとりでやったじゃないですか」
「……それは……」
「だから、胸を張って言ってくださいね。本当のことなんですから」
ね、とまるで念を押すかのように、葉月が首をかしげた。
……はー、なるほど。
コイツらしいっちゃらしい対応だな。
が、何もそこまでコイツにしてやらなくてもよくね? という思い。
……なんつーか、甘いよな。葉月は。
少なくとも、俺じゃなくて祐恭にはめちゃくちゃ甘いような気がする。
「葉月ちゃんてさ……なんか」
「はい?」
「孝之にはもったいないよ」
「っ……な……!」
「コイツより、よっぽど男前」
さりげに失礼なことぬかしたと思いきや、聞こえたのはそんな言葉で。
つーか、なんだ。その目。
まるで『お前負けてるよ』と言ってるかのような眼差しに、口が開く。
「ンだよ」
「ふふ」
目が合った瞬間、葉月が思い切りおかしそうに笑った。
……つか、そのセリフ、アキにも言われた気がすんだけど。
意味がわかんねぇ。
葉月は葉月で意味ありげに笑うし、こっちとしてはまぁそこそこつまらない気はする。
悪かったな、コイツのほうがよっぽど“らしく”て。
小さく舌打ちするものの、葉月はくすくす笑うのをやめなかった。
「それじゃ、葉月ちゃん。今日は本当にありがとうね」
「とんでもないです。こちらこそ、ありがとうございました」
祐恭が礼を言うのはわかる。
だが、なぜか葉月までも深々と頭を下げ、対する祐恭もあながちまんざらじゃないような顔を見せたから意味がわからない。
「……何が?」
「え? ……ふふ。内緒」
「はァ?」
言おうか言うまいか。
そんな顔を一瞬見せたものの、葉月は首を振ると笑みを浮かべた。
それ以上何か言うことはなく、まじまじ横顔を見つめるものの結局口を割りそうにない。
「…………」
「お昼何がいい?」
「……はー」
ようやく静寂を取り戻した我が家。
玄関の鍵を閉めて戻った葉月が俺を見たが、何も答えずこたつへ戻る。
別に怒ってるワケじゃない。
だが、どこかで引っかかってる部分がある。
全面的に納得できてない。
ハッキリ言えば、そんなところか。
「たーくん? ねぇ、どうし――」
「お前、スーツはいいのか?」
「……え?」
「昨日俺に言ったろ? 今日連れてけ、って」
テーブルに頬杖をつき、隣に膝をつけた葉月を見る。
言えばきっとこういう顔するだろうとは思ったが、そもそもはそこ。
最初に俺と交わした約束があったにも関わらず、あとから入っただろう祐恭を優先させたのが正直面白くなかった。
「どうして祐恭を優先した?」
「そういうわけじゃないけれど、ホワイトデーまで時間がないでしょう? だから……羽織のために動きたいって言われて、断る理由が見つからなかったの」
今朝方かかってきた電話で、直接言われたんだろうな。
そのとき俺もリビングにはいたから、どんな話をしてるのかはなんとなくわかる。
電話口で葉月は『きっと喜びますよ』とか『できることならさせてください』と言っていたから、ああなんか引き受けてんなとは推測した。
まぁどっちみち、電話を終えてすぐ葉月は俺に『これから瀬尋先生が来るって』と言いながら理由まで説明してたけど。
「つか、お前いっつもそうじゃね? 誰かのために動きすぎだ。もーちっと自分の優先度上げろ」
「お手伝いできることならって思って……でも、ごめんなさい。一緒に出かけてもらう約束をしてたのに、相談しないで決めたのはいけなかったと思う」
「…………」
別に謝ってほしいわけじゃない。
が、そこまで言われてこれ以上言うのもナンだと思った。
だが、まるで何か思い出したかのように、葉月は小さく笑った。
「……ンだよ」
「誰かのために動くのは、たーくんだって同じでしょう?」
「はァ? 俺はそこまでお人よしじゃねぇぞ」
「そんなことないよ。ほら、この前もそうだったじゃない」
「……この前?」
「先週の水曜日。夜遅かったのに、友達のために行ってあげたよね」
「は? …………あ」
ぽろりと出た言葉を聞き逃さず、葉月は穏やかに笑う。
まさに平日ど真ん中。
風呂も終えてあとは寝るだけ状態だったとき、22時すぎに学生時代の友人から連絡があった。
あのとき、てっきりもう葉月は寝てると思ったものの、ドアを開けたらちょうど階段を上がってくるところで。
服に着替えた俺をみて目を丸くしたから、そういやきっちりどこへ何しに行くか伝えたんだったな。
あのとき、結局家に帰ってきたのは0時をとうに過ぎてたが、葉月はリビングでひとり俺を起きて待っていた。
……律儀とは違う理由だろうよ。きっとな。
『おかえりなさい』と俺を迎えてくれたときの顔は、明らかに安堵したものだった。
「バッテリーが上がっちゃった友達のために、山まで行ってあげるなんて……とっても喜ばれたでしょうね」
「それはお前……しょうがねぇじゃん。動けねぇっつーから」
「でしょう?」
「…………」
でしょう、じゃねーよ。
内心そう思いはするものの、力いっぱい否定できないのもツラい。
しかも、葉月はほかのヤツらと違って『ほらみろ』みたいな顔をしないから、余計反応しづらいんだよ。
……まぁ、それがコイツのよさっちゃあよさなんだろうが、こっちとしては当たるわけにもふりかざすわけにもいかず、黙るほかない。
くそ。なんかずるくねぇ?
「私は、たーくんを見て育ったの。だから、たーくんと似てて当たり前なんだよ?」
「……そーゆーのをヘリクツっつーんだよ」
「んー、そんなことないと思うけれど」
「…………」
「っ……!」
結局、しまいには何も言えず葉月の額を小突いて終了。
あーあー悪かったよ。らしくもねぇこと言い出して。
俺と似てると言われたら、それ以上言えねぇじゃん。
やっぱお前、どう言えば俺がどんな反応するかきっちりわかってンだろ。
この策士めが。
ほよほよしてるくせに、いろんなところで敵わない気がする。
……そう。
敵わないんだよ。ある意味悔しいけどな。
「あっ。たーくん」
「なんだ」
「えっと……お昼食べたら、一緒に出かけてくれる?」
立ち上がって階段に向かおうとしたところで、呼び止められた。
両手の指を重ねながら、いつもとおんなじ顔で首をわずかにかしげる。
『ね?』と言われているかのようで、小さくため息が漏れると同時に身体から力が抜けた。
「クッキーも焼いたから、それもよかったら食べてね」
「祐恭が作ったヤツだろ? 俺はいらねぇって」
「瀬尋先生が作った分は、全部お渡ししたから。それとは別で、たーくん用に私が作ったの。アレンジでチョコレート挟んだけれど……どうかな?」
「…………」
眉を寄せると、くすくす笑いながら首を振った。
ああ、なるほど。
そういやお前も、手を小麦粉だらけにしてたもんな。
てことは……レシピを読み上げただけでなく、自分用にと手本生地を作ったってことか。
……それも、俺のために。
「はー……」
あーあー、わーったよ。
しょうがねぇから全部ひっくるめて許してやる。
「どうせなら、昼飯食いがてら出ようぜ」
「え?」
「先にスーツ見りゃ、遅いランチでどこもちょうど空くだろ」
そこまで腹が減ってないのもあるが、別に昼食をわざわざ作らせる理由もない気がしてそっちを選ぶ。
そういや、葉月と服を買いに行くのは初めてかもな。
つい先日、湯河原で足止めを食らったときなんとなく買いには出たが、あれは『済ませた』に過ぎない。
普段、葉月が着ている服は確実に自分で選んだものだろうが、そういやコイツが普段どんなふうに服を選ぶのか見たことねぇな。
お袋や……羽織は特にダメだな。
アイツらはひとつの店でさえ悩んだ揚げ句、ほかの店を覗いてまた悩み、結局最初の店に戻るなんてこともザラ。
女の買い物が長いのまさに典型で、付き合ったことが一度くらいはあった気がするが二度目はなかった。
そういう意味では、どんな買い物なのか多少気になる。
「じゃあ、支度してくるね」
「ああ」
嬉しそうに笑ったのが目に入り、いつもと同じような返事は出た。
向かう先は、同じく2階。
先に階段を上がると葉月があとを付いてくる形になり、振り返るとどこか嬉しそうな葉月と目が合った。
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