よし。
よーしよしよし。
よっし!
30分ほどかけて何度も推敲を繰り返し、差しさわりはないものの重要な部分は抜かりなくかけた文面を、つい先ほど送信した。
『完了』の文字を見て身体から力が抜けたのは言うまでもなく、椅子へもたれたら急に眠気はきた。
が、今日はせっかくの日曜。
車も洗いたいし、どうせなら本屋へも行きたい。
休みにもかかわらず9時前にすべてコト終えたってのは、なかなかな充実感だな。
『よ』と小さく声をあげて立ち上がり、階段からリビングへ。
すると、ちょうど最後の段を降りたところで、葉月が洗面所のほうから姿を見せた。
「たーくん、早いね。おはよう」
「はよ」
昨日見たのと、大差ない葉月。
今からでも十分出かけられそうないでたちに……ハーフアップをかんざしでまとめているのを見て、またなんともいえない気持ちになる。
お前、ほんといっつもきっちりしてるよな。
昨日の朝、俺がオンオフで違うと言っていたが、そもそもコイツは境がない。
服装が違っても、姿勢が乱れるわけでなく。
休みだからといって、だらだら横になってもいない。
まぁ……そりゃ、自分ちと違うからってのはあんだろーけどよ。
だからっつって、テレビ見てるときもきっちり正座してるし、そういや羽織みてーに寝転がってスマフォなんてこともまずありえない。
から、こそ。
コイツがオフになるときはいつなんだ、と少し……いやかなり気にはなる。
ちゃんとしてる姿しか見てないのもあって、どうやったら見れんのかなと思うせいで、まあ……唯一崩れるから、手を出したくなるんだけど。
「…………」
「どうしたの?」
「いや……お袋は?」
リビングへ入る寸前、親父たちの部屋へ視線を向け……あ、もしかしたら外ってのもありえるな。
昨日のアレがトラウマレベルだったせいか口にすると、葉月はくすくす笑って首をかしげる。
「伯母さんなら、今日は少し前に伯父さんと湯河原へ出かけたよ」
「湯河原?」
「うん。日帰り温泉と、パターゴルフをやって帰ってくるって」
「……あっそ」
子どもか。
つか、毎週遊び歩けるって、金もそうなら体力も大概だぞ。
あのふたり、ほんとフルで仕事してると思えねぇ。
まぁ、親父が好んで付き添ってるってよりは、お袋に引っ張られて運転手ってトコだろーけど。
「ごはん食べる?」
「ああ。もらう」
キッチンへ向かったのを見送り、ダイニングの椅子へ座る。
テレビがついていないせいか、音のない時間。
まだ早い時間だからか鳥の鳴き声はして、ああなんか平和だなと素直に思った。
そう。
平和なんだよ、平和。まさに。
あー、やっぱやることやりきったあとって、気分いいな。
ストレスねぇって、久しぶりだ。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
先に置かれたマグは、かぼちゃスープらしく少しだけ甘い香りがした。
「まだ食べてなかったのか?」
「うん。たーくんが起きたら、一緒に食べようかなって思ったの」
「いや……俺、昼まで起きねぇかもしんねーじゃん」
「んー、伯母さんたちと少しは食べたから、全然おなかが空いてないってわけじゃないの。それに、ひとりで食べるより一緒に食べたほうが、おいしいでしょう?」
「……まあ」
お前、律儀だな。
目の前へ俺と同じサラダに厚切りベーコンの添えられた皿を置いたのを見て、どうやら小さく口に出たらしい。
少しだけおかしそうに笑うと、塩バターパンとトーストを半分に切ったものを乗せたバスケットを置き、対面へ座った。
塩バターパン。
つかそれ、昨日お袋が近所のパン屋で買ってきたやつだろ。
安かったのよーおまけしてもらったわーつってたが、だからって10個近く入ってるヤツ買ってくるとか、正直どうかしてると思うぜ。
うまいまずいの問題じゃない。
が、葉月は文句など言うはずもなく、そういやこいつ昨日の晩飯のときも食ってなかったか。
少しは文句も言えばいいのに。
「なあに?」
「……お前、パン好き?」
「んー、ごはんも好きだけど……どうして?」
「お袋が責任とりゃいいんだし、敢えて食わなくてもいいぞ」
両手を合わせて当たり前に『いただきます』を口にしたのを見て、ああそういや言わなかったなと小さくならう。
すっかりスープを半分飲み干した俺と違い、葉月は木のスプーンをマグへ入れた。
「おいしいよ? このパン」
「いや、そうじゃなくて」
「えっと……ご飯のほうがよかった?」
「そーでもなくて」
バターってだけあって、軽くトーストされたせいか辺りにはがっつりバターの香りが漂っている。
匂いは十分うまい。
味もうまかった。
昨日の夜、22時過ぎに腹へってひとつ食ったけど、そういやあンときは温めなかったな。
「お袋とか親父に、変に気遣わなくていいぞ」
パンをかじると、予想以上にバターがじゅわっと溢れた。
まずくはないが、もう少しさらっとしててもいいと思う。
どうやら顔に出たらしく、葉月はまばたくと小さく笑った。
「そう見える?」
「ああ」
「私、家でもずっとこんな感じだよ」
「……そうか?」
「うん。だから……お父さんにも、よく言われるの。もう少しごろごろする方法を身につけてもいいな、って」
まさかの発言に、思わず目が丸くなった。
ごろごろする方法って……つか、恭介さんも気にしてはいたのか。
ひょっとしなくても、小さいころはこうじゃなかったんだろうよ。
うちで暮らしていたときは、泣いてだだをこねることもあったし、なんでもかんでも嫌だと自我を出していた。
が、もしかしたらどこかで変に気を遣うすべを知り、少しずつそれが性格になったのかもしれない。
よくも悪くも、きちんとしている子へ。
「パジャマのまま過ごすのも嫌いじゃないんだけど、ちょっとだけ居心地悪いっていうのかな。なんだか、また眠くなっちゃうの。だから、着替えないとスイッチが入らないからかもしれない」
「いや、眠かったら寝たらよくね?」
「私、お昼寝すると夜眠れなくなっちゃうから。羽織やたーくんがちょっとだけ羨ましいなって思うよ」
言われてみれば、葉月がソファでうたたねしているところは見たことがない。
当然、部屋でも同じく。
だいたい何かしら活動していて、だからこそマメだなとは思う。
でもま、だからこそ規則正しい生活をできるんだろうよ。
俺と違って。
「んじゃ、今度俺が直々にごろごろする方法教えてやるよ」
大きくちぎったパンを口へ放り、フォークでベーコンを切る。
すると、葉月は意外そうな顔をしてからなぜか苦笑した。
「んー……ごろごろしなくても十分楽しいから、いいんだけど……」
「いや、そこは素直に受け取れよ」
「でも、やりたいことは多いの。本も読みたいし、伯母さんが好きにしていいって言ってくれたから、お庭や……あ、ほら。外階段の花壇もお手入れしたいし」
「お前、動きすぎじゃね?」
「ふふ。よく言われる」
あっさり断られたうえに、きっちり自分のやりたいことを主張され、ああやっぱコイツ見た目と全然違うよなと改めて思った。
だからこそ……違う顔は見てみてぇんだけど。
だらだらするとこなんて、想像つかない。
「てことは、今日もなんかすることあんの?」
「んー、お買い物には行きたいなと思ってたけれど……」
「買い物って?」
「牛乳が終わっちゃったの。だから、そのお買い物」
「……それ、お前の仕事じゃなくね?」
「でも、今日の夕飯は私が作る約束したから」
てっきり自分の欲しいものかと思いきや、完全に主婦業じゃねぇか。
お前は……そりゃ今は学生じゃねぇつっても、十分ほかにすんことあんだろ。
いくら好きとはいえ、違うとも思う。
つか、お袋も葉月に甘えすぎだ。
帰ってきたら、改めて言っとかねぇとな。
「んじゃ、あとで行こうぜ。俺も本屋行きたい」
「いいの? ありがとう」
にっこり笑ったのを見つつ、どんだけお前はいいやつなんだと内心でため息も漏らす。
人の為に働くことが喜びかもしれないし、きっと誰かが自分のおかげで救われたと聞いたら相当喜ぶだろうとは思う。
性格でもあるからな。
だが、普段からそうなんだからこそ、たまには自分だけのために時間遣えばよくねーか。
……ま、言ったところで素直に『うん』とは言わねぇだろうけど。
てことは、敢えてそうせざるを得ない状況になったら、どんな反応すんだろうな。
例えば、疲れきって起きれない、とか。
「…………」
「え?」
「別に」
「……何か言いかけなかった?」
「なんも」
一瞬よぎったよからぬ想像を察知でもしたのか、葉月にまじまじと顔を見つめられ、うっかりデカめのパンをそのまま飲み込む。
そういう勘のよさは働かせなくていいんだっつの。
俺は俺なりに、できることをしてくんだから。
それこそ――きっちり説明責任果たしたんだからな。
最大の難関である、“彼女”の父親へ。
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