「……あ?」
「誰だろう……宅配便かな?」
 鳴らされたチャイムで時計を見ると、まだ9時半前。
 当たり前のようにインターフォンの画面を覗いた葉月は、小さく反応すると玄関へ向かった。
 我が家へ届く荷物は、たいていが俺の物。
 最近なんかネットで買ったっけな。
 残ったスープを飲んだまま玄関へ視線を向け、ぼんやりとここ最近の購入履歴を反芻。

「なんだ、今朝飯か?」

「ごほっ!?」
 葉月と一緒に入ってきた人物を見て、盛大にむせた。
 気管に入りかけたこともあり、苦しいどころか痛い。
 げほげほと咳き込み、慌てた葉月に手を振ってシンクへ向かう。
 いや、そうじゃなくて!
 そうじゃな……くもないけど、え、ちょ、待った!
「大丈夫か?」
「恭介さ、え、なんで!?」
「なんでって……なんだ。俺が来ちゃだめか?」
「いや、そうじゃねぇけど!」
 眉を寄せたのを見て、これまた慌てる。
 そうじゃないんだって、だから!
 だが、恭介さんは葉月が腰掛けていた隣の椅子を引くと、いつもと同じように『少し落ち着け』と柔らかく笑った。
 てことは……てことは、だぞ。
 俺を見てこんだけ余裕のある反応をしてるってことは、どう考えてもまだ未開封ってことだよな。
 俺がついさっき送った、それこそあの爆弾メールを開いちゃいない。
 どころか、存在自体も気づいてない。
 ……うわ。うっわ。うっわ!!
 あーーーまじ、パソコンに送っといてよかったぜ。
 メッセージアプリで送ってたら、今ごろ血祭り即終了だった。
「お父さん、コーヒー飲む?」
「ああ、もらおうか」
「たーくんは……飲む? えっとほら、マスターのお店のものがまだ少しあるんだけど」
「……飲む」
 普段は上げている前髪を下ろし、スーツではなく普通のシャツを着込んでいる恭介さんは、すぐそこにあった朝刊を手に取ると当たり前のように読み始めた。
 いたって普通の、それこそ日常そのもののような光景を見つつも、ばくばく早まった鼓動はそう簡単に静かにはならない。
「……」
「え?」
「お前、なんか喋った?」
「えっと……何を?」
「いや、俺とのこと……とか」
 電気ケトルを手にしてきた葉月へ、ぼそぼそと極力恭介さんへ届かない声量で確認。
 だが、葉月は応える代わりに苦笑して首を横へ振る。
「…………」
「ん? どうした?」
「え! いや。別に?」
 まじまじと見すぎだったのか、恭介さんがこちらに視線を向けた。
 はははと乾いた笑いで応え、両手を組んだまま必死に頭を働かせる。
 ……ヤバい。マズい。キツい。
 たらりと冷や汗が一筋背中を流れたような気がして、やたらめったら身体が鈍くしか反応しない。
 クソ。
 早起きは三文の得じゃなかったのか。
「…………」
 限界まで悩みぬいて書き上げたあのメールは今、確実に開封はされていない。
 だとしたら、なんだ。
 こんな朝っぱらから、なんの連絡もなしに恭介さんがウチに寄った理由はなんだ。
 葉月も何も言ってなかったってことは、アイツも知らなかったんだろう。
 ケトルのスイッチを入れ、席へ戻った葉月がにこやかに恭介さんと話し始めたのを見るも、たらりと流れた背中の汗は冷たいまま。
 やばい。
 とりあえず、それだけは確実的だ。
「……で? 恭介さん、なんかウチに用あった?」
 息を整えるついでに腹もすえ、対面へ。
 すると、苦笑した彼はジャケットの内ポケットからスマフォを取り出した。
「実はバッテリーが切れてしまってな。少し充電させてもらいに、寄った」
「ば……」
「最近、あまり調子がよくないんだよ。減りが早くて困る。そろそろ買い替えかもしれないな」
「お父さん、モバイルバッテリーいくつも持ってなかった?」
「それが、こっちへは予備をひとつしか持ってこなかったんだ。どうやらそれを流浪葉へ置いてきたらしい」
 カチン、とケトルが沸騰を知らせたことで、葉月が立ち上がる。
 と同時に、あの甘いコーヒーの香りが漂い、恭介さんがすぐに『いい香りだな』と反応した。
「葉月、充電器貸してくれないか」
「持ってくるね」
 目の前で繰り広げられる親子のやり取りを見ながら、早急に頭が回転を始める。
 ちょっと待った。
 バッテリーが切れてスマフォを充電……ってことは、だぞ。
「あのさ、恭介さん」
「ん?」
「ひょっとして、スマフォで仕事用のメールも設定してたりする?」
 俺でさえいくつかのアカウントをまとめて受信できるようにはしている。
 だからこその疑問だったが、彼は表情を変えることなくうなずくと、どこか感心するように笑った。
「ここ数年で、本当に便利になったよな。パソコンを持ち歩かなくてもデータは保存できるし、メールもすべて受信できる。web会議だってこれひとつだし、荷物が減った」
 激しく同意したい気持ちでいっぱいだが、的中したことでぞわりと背中が粟立つ。
 やっべぇ。
 ってことは確実に、俺が送ったメールも受信できるってことだろ?
 今はまだ、充電が切れてるおかげで恭介さんの目に触れちゃいない。
 だがしかし、ここで充電完了してみろ。
 どう考えたって、当たり前にチェックするじゃん。
 てことは――。

 まだ、恭介さんは俺が送ったメールを見てない。
          ↓
 なぜなら、スマフォのバッテリーが切れたから。
          ↓
        ここで充電。
          ↓
        メール受信。
          ↓
        死亡フラグ。

「ッ……!」
 マズいマズいマズい……!
 うっわ、ガチでやべぇ。クソ最悪だ!
 今朝メールを送ったときは、きっとまだ湯河原にいるんだと思ったからこそってのもあった。
 あそこからうちまでは、早くても電車で40分弱かかる。
 だから、とっとと朝飯食ったら今日は夜まで出かけようかなと思ってたのに……!
 まじかよ!
 このままじゃ、充電完了次第……いや、電源が入り次第タイムラグも何もなく、俺の部屋へストレート殴り込みができるじゃねぇか!
 それだけは、なんとしても避けたい。
 つか、ガチギレされたら俺さすがに泣くかも。
 真顔で舌打ちされた揚げ句、このあいだの葉月あてのメッセージのようにフルネーム呼び捨てされたら、戦慄モンだぞ。
 やっべぇ。どうすっかな。
「はい、どうぞ」
「ああ。ありがとう」
「うわ! 待った!」
「え?」
「……どうした?」
 コーヒーと一緒に葉月が手渡そうとしたスマフォの充電器を見て、思わず手を伸ばす。
 驚いた顔は当然だろうが、いやちょ、待った。
 今する? ここで? 今……充電するとかマジ勘弁してくれよ。
「いや……あのさ。俺、急速充電器持ってんだよ。上で充電してくる」
「そうなのか? 助かる」
 ぺろりととんでもない嘘が出たことに我ながら感心しつつ、恭介さんのスマフォを預かる。
 自分と同じ形にもかかわらず、ずっしり重たいのはなんだ。重力抵抗がデカいのか。
 それともこれに入ってるデータのデカさなのか。
 なんにせよ今一番の機密情報が入ってるブツだけに、冷たさを感じると喉が大きく鳴った。
「…………」
 談笑を始めたふたりを残し、駆けるように自室へ戻る。
 急速充電器は当然持ってない。
 が、時間短縮になる充電器はある……が、そうじゃないんだよ。
 俺が今するのは、そっちじゃなくていかに時間を稼ぐかってとこなんだから。
「…………」
 スマフォを取り出し、ごくごく短いひとことをメッセージアプリで送る。

 【緊急】 即帰れ

 たったひとこと送った画面を見つめていたら、ほどなくして既読がついた。
 よし。お前読んだな?
 てことは確実に即行動がベストだぞ。
 我が身の保身のために弾き出した、恐らくこれしかないと思える対恭介さん用のプラン。
 そのために、使えるもんなら何でも使う。
 たとえ今日が日曜だろうとなんだろうと、協力してもらわざるを得ない。
 俺の命がかかってるんだから。
「……馬鹿かアイツ」
 すぐに送られてきた返信を見て、盛大な舌打ちが出た。
 我が身内ながら、お前使えなさすぎだぞ。ンだこの返事。

『先生が寝てるから、まだ帰れないんだけど』

 馬鹿かお前。
 つかそもそも、理由ですらない。
 別に、アイツが寝てようと起きてようと俺にはまったく関係ない。
 なんせ、用があるのは羽織本人であって、祐恭じゃないんだから。
 だいたい、寝てるなら放置して帰ってくりゃいいだろ。
 合鍵持ってるつってなかったか。
「あのな。お前、いいから帰って来いよ」
 仕方なく電話をかけると、小声ながらも明らかに戸惑ってるような羽織の声が聞こえた。
『そんなこと急に言われても……。ねぇ、何があったの?』
「だから緊急だ、つってんだろ」
 眉を寄せ、思い切り悪態をつく。
 いーからつべこべ言わずに今すぐ帰って来いよ。
 ……じゃねぇと、俺が死ぬだろ。
 うっかり言いそうになるのを押さえ、ただ『帰れ』を連呼する。
 あー、ラチあかねぇな。
 つか、最初からこうすりゃよかったのか。
「あのな。恭介さんがお前に用あるんだとよ」
『え? 恭ちゃんが?』
「いいのか? 未成年のくせに彼氏ンち泊り込んでるって伝えても」
 散々好き放題してるとは思うが、どうやら一応の良心ってのはあるらしく、小さく『う』と口ごもる。
 小さいころから、俺にとってもアイツにとっても、ある意味兄貴みたいなもんだった。
 真面目で実直で、口うるさいわけじゃないが道理を重んじるタチ。
 それは羽織もわかっているらしく、明らかに動揺している。
 よし。わかったら帰って来い。
 したら、俺もまぁ黙っててやらなくない。
「つーわけだから、とにかく今すぐ帰ってこい」
『……嫌だと言ったらどうする』
「あのな。お前に言ってんじゃねぇんだよ」
 ガサ、という耳障りな音が聞こえた次の瞬間、機嫌の悪そうな低い低い声が聞こえた。
 今起きたのかお前。
 さぞかし機嫌悪いだろうが、ンなこと俺にはどうでもいい。
 今はなんつったって、俺の一大事なんだから。
「嫌だとか云々じゃねぇんだよ。うちの一大事だから、すぐ羽織送ってこい」
『一大事って……具体的な理由は?』
「葉月の父親が羽織に会いたがってる」
 嘘じゃないはずだ。多分な。
 俺はここ最近恭介さんとよく会っているが、羽織は確実に会っていない。
 年末年始もいなかったし、先週はセンターで留守。
 葉月へも『羽織はどうした』とよく聞いていたし、彼氏と一緒にいることも伝えられてはいたが、まさか泊り込んでるとは思ってないはずだ。
 てことは、だぞ。
 どう考えたってそろそろ、きっちりカタつけといたほうがいいんじゃねぇの。
 知らねぇからな。
 センター終わったつっても、二次試験終わってねぇのに遊んでることがバレて説教2時間コースになっても。
『……ホントなのか?』
「嘘はつかねぇよ」
 そもそも、ンなメリット俺にはない。
 あるのはただ、俺にとってのメリットだけ。
 悪いな。
 使えるモンはなんでも使うタチなんだよ。
 しばらく黙っていた祐恭が、静かに口を開いた。
 案の定なセリフを聞きながら、口角が上がる。
「んじゃ、頼んだぞ」
 平静を保ったまま通話を終えると、反動で満面の笑みが浮かんだ。
 あーー解放された。
 これで今日はしばらく平和が保たれる。
 が、残る問題は……コレだ。
 うんともすんとも言わないただの板と化した恭介さんのスマフォをどうするか、ってところ。
「…………」
 充電するのは、嘘じゃない。
 が、できることなら回収はしたい。
 コンセントへ差したままだったケーブルを手にし、充電を始める。
 完全に電源が落ちていたようで、電池切れを示すマークがつくまで数秒かかった。
 さて。
 残されたミッションを完璧にこなすには、それこそ準備は必要だよな。
 つっても、時間は割とある。
 言ってる間に羽織も帰ってくるだろうし、そしたら……実行あるのみ、だな。
 パソコンの電源を立ち上げつつ彼のスマフォを机へ置くと、ほどなくして見慣れたマークが画面に現れた。

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