それからの俺の行動は、スムーズかつ的確だった。
 羽織が帰ってくるまでの間、朝飯とコーヒーを堪能しつつ、ここ最近の恭介さんの生活を葉月と一緒に聞いた。
 十分に笑みは浮かび、我ながら完璧な対応できていることを実感。
 ちょうど食べ終えてしばらくしたところで羽織が帰宅し、計画通りにことは運んだ。
「恭介さんてさ、今日一日暇なの?」
「ん? ああ、まぁ予定は特にない」
 っし。
 内心ガッツポーズをとりつつ手にしていた車の鍵を渡すと、それと俺とを見て不思議そうな顔をした。
「恭介さん、向こうでもマニュアル乗ってたんだよな?」
 当然、恭介さんだけでなく葉月まで反応したのがわかったが、彼を見習ってにこやかに笑みを浮かべて防衛発揮。
「ほら、車買い換えるつってたじゃん。どうせなら、走りやすいし試乗も兼ねて出かけてもらってかまわないけど」
「いいのか?」
「湯河原でも言ってたじゃん? 1回乗ってみたい、って。俺、今日は特に出る用事ないし、好きに使って」
 さっきと言ってることが違うとわかるのは、葉月だけ。
 目だけで『黙っとけ』と伝え、事実をあえて重ねづける。
「ほら、さっき葉月も言ったろ? 買い物行きたいって」
「それは……うん」
「な? せっかくだし、恭介さんと一緒に行って来いよ」
 俺の本屋よりも、お前と……つか、恭介さんにこの家から脱出してもらうのが優先。
 不思議そうなというより、少しだけ困惑してるのもわかったが、こちらかはら何も言わないでおく。
 今だけは空気読め。全力で俺の気持ちを察しろ。
 『な』と念押しすると、葉月は特にそれ以上何かを言わなかった。
「まぁ……そう言うなら、せっかくだし行ってみるか。羽織も行くか?」
「え?」
「おすすめの店があったら、教えてくれると助かるよ」
「あ、うん。じゃあ、道案内も兼ねて一緒に行くね」
 意外と素直だな、お前。
 すんなり恭介さんにうなずいた羽織を見て、ほんの少しばかり感心する。
 あー、もしかしてあれか。
 俺の言葉が意外と効いてんじゃねぇの?
 不良娘とバレないように、精一杯の猫かぶってるってとこか。
 それならそれで好都合。
 俺の思うとおりに進むはずだ。

「じゃ」

 少しだけ、さっさと家から追い出すかのように。
 にこやかながらも半ば煽り立てるように3人をリビングから玄関へ向かわせると、内ふたりはまったく気にした様子もなくそちらへ足を向けた。
 ……ただ、ひとり。
 物言いたげな葉月は、恭介さんと羽織が話しているのを見ると俺の前で足を止めた。
「たーくん、本屋さんはよかったの?」
「……今はそれどころじゃねぇんだよ。一大事だ」
「え?」
「とりあえずお前は、恭介さんと買い物して来い。やんなきゃなんねぇことができた」
 ぼそぼそと話し……たところで、恭介さんが不思議そうにこちらを振り返った。
 慌てて葉月の肩に手を当てて回れ右。
 どこまで応戦できるかしんねぇけど、なんとかするしかねーんだよ。まじで。
 何もかも、俺の明日のために。
「それじゃ、行ってくるな」
「おー。充電はしてンから、安心して」
「ああ。助かるよ」
 何も知らない恭介さんに感謝され、ちくりとわずかながらの良心が痛む。
 だがしかし。
 ある意味……そう、彼を守るためでもあるんだ。
 これぞ、大事なミッション。
 恭介さんの血圧を守るって意味でも、かなり重大なモンに違いない。
 ほどなくして、耳慣れたエンジン音があたりへ響いたかと思うと、少しずつ遠のいていった。
 そのとき、人知れずこぶしを握り締めていたが、それこそ俺の本音そのものだったんだろう。
「…………」
 人の気配がなくなった我が家。
 きっちり玄関に鍵をかけ、駆け上がるように自室へ戻る。
 これからするのは、かなり難解なもの。
 だがしかし、ねばならない。
 すべては俺の命のために。
 今日1日……いや、少なくとも半日近くはこれで恭介さんが帰ってこない。
 恐らくはショッピングモールへ向かい、ぶらぶらとあちこち見て回ると計算すれば、それなりの時間にはなるはず。
 少なくとも、恭介さんがそこまで詳しく知らない場所。
 彼が知り尽くしていたあのころの冬瀬とはまた違うからこそ、少しでも時間稼ぎに繋がってくれさえすればいいと思った。
 せめて、俺の仕事が終わるまでは。
 無事に、『ねばならない』ことを完遂するまでは。
 ……そう。
 これからが、俺にとってすべての意味での戦い。
 そう呼んでもまさしく、違いないんだから。
「…………」
 ごくり。
 机の上に置かれているスマフォに手を伸ばすと、思わず喉が鳴った。
 ……ついに、手を出す。
 いや、あえてそうしたいというか、そうしなければならないというか。
 とにかく、目の前にして平静を保ってはいられないシロモノ。

 ごめん、恭介さん。

 内心では、ものすごくそんな詫びと罪悪感を抱きながらもパネルに触れると、当然のようにパスコードを求める……って、待った。
「……げ」
 てっきり、当たり前に数字4桁だと思ったら、表示されたのは6桁だった。
 てことは……100万通り、ってことか。
 うわ、マジか。
 しかも、この機種は入力に失敗すると一定回数で使えなくなる。
 さらには、11回連続でミスするとデータを消去する設定もできるわけで。
 ……俺はしてないけど、恭介さんは設定してないとも限らない。
 仕事上のメールもやりとりしてるってことは、それくらいのセキュリティしててもおかしくないわけで。
「…………」
 やべぇ。間違えらんねぇじゃん。
 いやしかし、もしかしたら単純に生年月日かも。
 たとえば葉月とか。
 はたまた恭介さんとか。
 いや、ひょっとしたら美月さ……って美月さんの誕生日知らねぇし。
 ……とりあえず、この2つは打ち込める。
 あとはじーちゃんちの電話番号とか……恭介さんの番号? 葉月のやつ?
 思い浮かぶのはいくつかあるが、どれもこれも試すわけにはいかない。
 10回……いや、せめて9回までにしとかねぇとな。
 とりあえず、思いつくかぎりの数字を書き出し、その中からさらに候補を絞る。
 いつ帰ってくるかはわからない。
 が、できることならやれることはやっておきたい。
 久しぶりに紙とペンを手にすると、ため息とは違う息が漏れた。

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