「あ!? 瀬那さん、どこ行くんですか!」
「配架」
「いってらっしゃーい」
「……ち。そこは代わってくれてもいいんだけど」
つーか、俺の行き先を気にしてる場合じゃなくて、日常業務をしてほしいんだけど。俺は。
いつから野上さんは俺の見張り番になったんだよ。
隣にいても仕事してるわけではなく、『どこまでなら教えてくれますか』とか『従妹ちゃんの連絡先教えてください』を相変わらず言ってくるだけの野上さんから離れるべく、数冊しか溜まっていない返却図書を手に階段へ。
休み明けだがフロアは大して混雑はしておらず、人もまばら。
俺のところへ来てた学生連中は、図書館には基本足を向けないヤツらばかりなんだと改めてよくわかった。
今日、葉月は来ていない。
声をかけようとは思ったが、そう毎日図書館ばっかきてもおもしろくねぇか、とも思っただけ。
もちろん、おもしろくないわけじゃないだろうし、アイツが相当本を読むのも知ってる。
が、俺が声をかければ『行く』と言うだろうことがわかるから、敢えてしなかった。
……あとはまぁ、もしかしたら今朝は同伴出勤したら面倒なことになるかな、とも思ったからだけど。
読みどおりの結果になったわけで、今日はアイツに声をかけなくて正解だったと思う。
「……っ」
3階の専門書コーナーを巡り、次の返却図書である文庫の表紙を見た途端、思わず足が止まった。
『高村光太郎詩集』
葉月がこっちへ帰ってきた翌日の、クリスマス。
あの日、アイツが図書館へ行くというから出勤にあわせて一緒にきた。
おすすめの本はないかと問われ、最近流行ってた新書とともにすすめたのが、これ。
なんの気がなかった、ってわけじゃない。
ただ――俺がこれをアイツに読ませたかったのは、『俺の気持ち』ではなく、『恭介さんの気持ち』を知ってほしいと思ったからにすぎなかった。
『だって、たーくんのこと好きなんだもん』
久しぶりに再会した俺の誕生日、祐恭から葉月がこっちへ来ていると聞いて探した。
エレベーターで見つけ、心配したことを伝えたあのとき、葉月は俺にそう言った。
その言葉の背景は、今ならわかる。
俺はあのとき、『俺も好きだ』と答えた。
当然だ。従妹だからな。
恭介さんが葉月を大事にしているのも知っていたし、俺にとっても大事にしたいと思える従妹だから、さらりと答えた。
だが……あのときは気づかなかった。
なんで葉月があんな顔したのか。
どうして困惑していたのか。
今だから、わかる。
アイツが俺へ抱いていた気持ちを、ちゃんと知っているから。
「…………」
4階の中2階にある文庫コーナーへ本を戻し、背表紙をなぞる。
俺にとって、葉月はどんな存在なのか。
キスもした。手も出した。
恭介さんへ、人を好きになることがどういうものかもたずね、俺なりに答えを出した。
が――あの日以来、キスはしてない。
はばかれてるわけじゃないが、きっと……葉月が求めているのは行為じゃないんだな、ってのがわかるから。
俺はアイツへ言葉を伝えてはいない。
11月の試験のあと、帰国した葉月から百人一首の和歌が届いた。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
柿本人麻呂の和歌を、葉月はどうして俺に送ったのか……なんて、今だからわかる。
12月に再び日本へ来る以前に、葉月は俺へ伝えようとしていた。
自分の気持ちを、ストレートな方法で。
だが、それをまっすぐに受け取れなかったのは俺の鈍さか。
ありえないと蓋をし、勝手にフィルターをかけ、見ようとしなかった。
名にし負わば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
遠く離れた場所に住むアイツは、俺からの返歌をどう受け取ったのか。
合格祝いの報告の電話では言われなかったが、年末、うとうとしているアイツは俺へ直接聞いてきた。
『どうして送ったの?』
どうして、なんて理由は単純。
これを読んだら葉月がどんな顔をするか見たかった、から。
だが――それを受けて、葉月はどう思ったのか。
傷ついたのか、それとも悩んだのか。
「…………」
今の俺なら、どういう反応をするのか。
どう言ってやったのか。
葉月に和歌を送られたことで、アイツの俺へ対する気持ちを知ったとしたら、どう答えてやったんだろうな。
俺の中で葉月はずっと従妹で。
羽織と大差ない存在だった。
が、年末年始を経たことで大きく変わり、恭介さんと美月さんを見て決定的になったのもある。
今の俺だから考えられるし、葉月へ言葉で伝えることは必要だろうなとは思う。
が……タイミングを逸したと言いながら、どこかで逃げていることもわかる。
改めて口にしたら、アイツはどんな反応をするんだろうな。
喜んでくれるのか、照れたように笑うのか。
どっちにしても好意的であろうとはわかるが、こう……なんつーか……。
「……はー」
ガラじゃないのは百も承知。
だが、ずるずるこのままなのもいけないとはわかっている。
「…………」
距離が近づけば期待する。それでわかる、と葉月は言った。
だが、それはあくまでも『あっち』での話。
あのとき葉月は『向こうでは』と頭へつけた。
ということは、こっちでは、違うってことだろ?
何より、アイツも俺もこっち側の人間。
だからこそ、行動だけでは足りず、言葉とセットで然るべきになる。
葉月の気持ちは聞いている。
だが……俺は自分の気持ちを伝えていない。
気持ち。
……気持ち、か。
俺にとってアイツはどんな存在なんだ。
アイツにとっての俺も、な。
『瀬那さんの彼女が、手を出されたって本当ですか?』
今朝から、何人もの学生に言われた言葉を、俺は否定しなかった。
彼女。
彼女……なのか? アイツは。
じゃあ、今、葉月は俺のことを聞かれたらどう答えるんだろうな。
少なくとも『彼氏』と明確には説明しない気がする。
『従兄』は間違いじゃないから、そっちなんだろう。
……アイツは遠慮するだろうな。
というか、俺が切り出さなかったらきっと自分から聞いてはこない。
葉月は、自分のこととなると遠慮どころか後回しにして、むしろなかったことにさえしがち。
だから――俺が言わなきゃいけないんだろうけど。
だがしかし。
「…………」
どう言えばいい。
誰にどう聞くこともできない疑問を抱いたまま、また大きめのため息がひとつ漏れた。
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