「あ。ちょっと本屋寄っていいか?」
「もちろん。私もちょっとだけ、文庫本見てくるね」
「ああ」
気に入った手帳があったらしく、雑貨屋をあとにした葉月は嬉しそうだった。
かくいう俺は探していたインクが見当たらず、若干スッキリしなかった……が、探してはなかったものの目に留まったブツがあって、そっちを買ったからまぁ多少はよかったかとも思えている。
……そういや本屋にもあるかもな。
見たかった雑誌もそうだが、その前に一角へ設けられている筆記用具コーナーへ。
詰め替えインクの棚を探し……あった。
さっきの雑貨屋とは違い、在庫も抱負。
どうせまた買うことになるし、だったら何本かまとめて買っとくか。
数本束にして持ったまま、一路雑誌コーナーへ。
昨日発売とあってうず高く詰まれており、こちらも難なくゲット。
あー、ストレスねぇな。
会計へ行こうかと思ったが、どうせなら……つーか、単純に葉月がなんの本を読もうとしているのかも気になり、文庫の棚を目指す。
平日にもかかわらず、人が多かった。
どちらかというと年配層の多い通路に見えた、葉月の横顔でふと足が止まる。
「…………」
目線だけでタイトルを追い、恐らくは無意識だろうがあごへ指先を当てる。
背が低いにもかかわらず、人ごみに紛れることなく“そこ”にいる姿に、思わず見入った。
『あ』と小さく声に出ただろう。
一点へ手を伸ばし、背表紙を抜く。
その瞬間の嬉しそうな顔が目に入り、ガラにもなくまたあの言葉が浮かびそうになった。
「あ、見つかったの?」
「ああ。会計してくるから、貸せ」
「え、いいよそんな」
「いーって。俺も読む」
「そうなの?」
見続けていたら、葉月のほうが先に気づいてこちらへ歩いてきた。
手のひらを差し出すも、案の定『うん』とは言わなかったが、抜き取るようにすると抵抗しなかった。
前々作がベストセラーになり、それこそ映画化までされた作者。
そういや、読んでなかったなと表紙を見て気づいた。
前作は……どういう話だったっけな。
どうやら繋がりのある続編めいたものらしく、帯を見ながら思い出してはみるがぱっとは出てこない。
「前作、どんな話だったか覚えてるか?」
「んー、はっきりとは覚えてないの。たーくん、持ってない?」
「ねぇな。……あー、図書館にならあンけど」
「じゃあ今度借りてきてくれる?」
「なんなら、帰り寄ってくか?」
「いいの?」
「ああ。俺も、ちょっと用あるし」
あると言っても、買ったこのインクを置いてくる程度。
明日でもいいが、帰り道でもあるし借りたい本があるなら寄ることはいとわない。
すっきりしないのが、なんかこう……ストレスっつーか。
どうせなら、『ああそうそう。こんなだった』と理解した上で読みたいってだけだけど。
「あっ……だから、私が……」
「いーって。稼いでンから気にすんな」
文庫を取り、まとめてレジへ。
すると、いつものように苦笑しながらも、葉月ははっきり『ありがとう』と口にした。
「わ、かわいい色」
「買ってやろうか?」
「もう。どうしたの? いつもと逆だね」
「何が」
店頭へ並んでいたカーネーションの花を見て、葉月が笑った。
いや、ンな高いわけじゃねーし、言っただけじゃん。
にもかかわらず、かなり意外そうな顔をされ、眉が寄る。
「だって、お買い物のときはたーくんが欲しがる物を私がセーブする側でしょう?」
「ンな欲しがってばっかじゃなくね?」
「ふふ。今日は少なめだね」
「つか、俺が欲しいって単に食いモンじゃん。それはいいんだよ。俺が出してる金なんだから」
食料品が詰め込まれたエコバッグを持つと、葉月は笑って『ありがとう』と口にした。
ささいな仕草だし、いつもとは同じ。
だが、その動作へいちいち目が行くのは、俺の心持ちがいつもと違うから……なのか。
正直、よくわかんねぇけど。
「いや、でも世間じゃこーゆーのを……」
ふいに思い浮かんだセリフが出そうになり、ふと立ち止まる。
……デートってこういうこと、か?
映画やら娯楽施設やらに行くならまだしも、今日はそれこそ日常と変わりない買い物。
果たしてこれがそう言えるのかは、俺にもわからない。
つか、そもそも定義ってあんのかな。
だとしたら、当てはまるかはまらないかは、きっちりわかりそうなモンだけど。
「たーくん?」
「あ?」
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
つーか、『デート』って言葉がなんか恥ずかしくねーか。
俺がンなセリフ言うようになるとか、想像もつかなかった。
らしくないのは承知。
だが……あー、こーゆー時間過ごしたことねぇからよくわかんねーんだよ。
「あ……っ」
「どっかまだ見るか?」
「ううん、もう大丈夫」
「んじゃ帰ろうぜ」
「……ん」
葉月の右手を取り、立体駐車場へ続くエレベーターまで足を向ける。
すると、握りなおすように少しだけ力が込められたあと、葉月が俺を見上げた。
「たーくんに、聞いてもいい?」
「何を」
「えっと……お正月、お参りに行ったとき……彼女と別れたって言ってたじゃない?」
「あー。あれか」
「クリスマスに出かけたときは、付き合ってるって言ってたから……その間に、ってことなのかなって……」
何を聞かれるのかと思いきや、まさかの直球めいた話で、一瞬喉が鳴る。
ある意味好都合。
だが、ざわざわと音の多い場所で切り出されるとは思いもしなかったせいか、逆にそっちを見れなかった。
……つか、もしかしなくても敢えてこういう場所選んだのか?
ふたりきりで改まって話すと、空気が重くなるとでもふんで。
「あンとき、勘違いしたんだよ」
「え?」
「俺はてっきり、お前は祐恭を好きなんだと思ってた」
混雑をみせるエレベーターホール。
ドアが開くと中からそこそこな人数が下りてきて、音がかき消される。
だが、葉月へはしっかり届いたようで、手が反応したのがわかった。
「だから……お前が話してた内容が、まさか俺のことだなんて思わなかった」
音のないエレベーター内だから、小さな声でもよく響く。
まるで内緒話のような声量で葉月を見ると、目を丸くして何か言いたげに唇を開いた。
ツリーを見に出かけた帰り道、葉月へ『どうして好きになった』と聞いた。
あのとき、俺は『なんで祐恭を』って意味で聞いたが、葉月は『どうして俺を』ととらえたんだろう。
今だから、わかる。
あの時点で大きな齟齬があったことが。
「俺のこと、兄貴には思えなかったっつったな?」
「うん」
「いつから?」
「え?」
「いつからそうだった?」
エレベーターを降り、駐車場へ足を向ける。
日の当たらない場所とあってか、外へ出た途端冷たい風に一瞬眉が寄った。
「最初から、かな」
「っ……」
車の鍵を開け、ルーフ越しに目が合ったとき。
葉月は、“あのとき”を懐かしむかのように、柔らかく笑った。
「初めてたーくんと会ったのは……湯河原だったんだよね」
「おま……」
「え?」
「いや……お前、それ覚えてるのか?」
「全部じゃないけれどね。でも……とっても印象に残ってるから、かな。今まで身近にいなかった、小学生のお兄さんと『初めまして』だったのもそうだけど、会ったばかりなのに一緒に遊んでくれて、すごく構ってくれたのが……きっと嬉しかったんだと思うの」
まるで当時を思い出すかのように、葉月は頬を緩めた。
俺が覚えている“初めまして”は、家に恭介さんが葉月を連れて帰ってきたときのこと。
だが、恭介さんと女将からはその前に一度会っていることを聞いた。
そして……葉月が今口にしたのは、後者。
俺よりもずっと幼く、それこそ当時まだ4歳になってなかっただろうに、正直驚いた。
「ちゃんと覚えてるのは、今のお家で会った日のことかな」
同じタイミングで車へ乗り込んだ葉月は、ベルトに手を掛けたものの、思い出しているかのように視線をあちらへ向けた。
初めて、ウチへ来た日。
当時、葉月は5歳になる年なんだから……正確には、4歳後半。
にもかかわらず覚えているとなると、よほど印象強かったんだろうなとは思う。
「あのとき、たーくんゲームしてたでしょう?」
「……よく覚えてんな」
「ふふ。とっても優しい顔で迎えてくれた伯母さんが、次の瞬間たーくんのこと叱ってて、驚いたのかもしれないね」
恭介さんが葉月とうちへ帰ってきたのは、夜だった。
夕食を食べたあと、いつものように当時流行っていたRPGをやっていて、セーブができる場所じゃなくて……ってごねたら、怒られたんだったな。
でも、さらにお袋へどやされる前に恭介さんが俺のところへ来て、頭撫でたんだよ。
『セーブして、ちょっと話聞けるか?』って。
ああ、ほんと扱いうまいなって今だからよくわかる。
「お父さんと一緒に玄関を開けたら、伯父さんと伯母さんがすぐそこにいて。とっても優しく……」
「……? っ……おま……」
「ごめんね、違うの。ちょっと、懐かしくて……だって、とっても嬉しかったんだもん」
言葉が途切れたなと思ってそちらを見たら、葉月が涙ぐんでいた。
まさかの展開に慌て、るもののどうすればいいかわからない。
だが、葉月は首を振ると改めて笑った。
「いらっしゃい、今日からここがあなたのお家よ。だから、次からはおかえりなさいって言うわねって……伯母さん、頭撫でてくれたの」
「……へぇ」
「伯母さんが幼稚園の先生って知ったのはすぐあとだったけれど、でも、だからあんなふうに安心させてくれたんだなってわかったのは、大きくなってからだった」
普段は減らず口しかきかない相手だが、言われてみれば、葉月に対してはいつだってお袋は気遣うセリフしか言っていない。
冗談めいて喋ることもまぁあるが、俺ほどじゃない。
……ま、姪っ子だからってのもあんだろーけど。
それでも、葉月にはそれなりに伝わってたんだなってこともわかり、少しだけほっとしてもいた。
「羽織はすぐに『一緒に遊ぼう』って誘ってくれて、一緒におもちゃで遊んだの。あのときは何を作ったんだったかなぁ。シールか、ビーズか……とってもきらきらしたものをふたりで作って、できたものをにこにこしながらお父さんに見せたのを覚えてるよ」
「へぇ」
「友達になれるんだっていうのは、とっても嬉しかった。でも……それ以上にね、たーくんの存在は大きかったんだよ」
「……俺が?」
「ん。私にとってたーくんは、初めて会ったときからずっと……カッコいい人、だったんだから」
「っ……」
エンジンをかけようとしたところでまっすぐに見つめられ、目が丸くなる。
噛みしめるように、思い出すようにつぶやかれた言葉で、胸のあたりがなんともいえない感じを覚える。
覚えてる、はずだ。当然。
なんせ俺は、当時小学校高学年になろうとしてたんだから。
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