「孝之。アンタいい加減にゲーム終わりにしなさい!」
「ちょ、待ってって! 今バトル中でセーブできないんだから!」
 いつもと同じ夜だった。
 晩飯のあと、リビングのデカいテレビでゲームをしてたところで、恭介さんが帰ってきたらしいことはわかった。
 が、なぜか親父もお袋も羽織までも出迎えていたから、なんだ? とは思ったが手は離せず。
 いつもと違う雰囲気は感じとっていたが、そっちへ足を向けることはできなかった。
「孝之。それ終わったらセーブできるな?」
「あ、恭ちゃんお帰り!」
「そこまで進んだのか。お前、相当やりこんだな」
「だってさー、俺が一番進んでないんだよ? 宿題終わったのに時間延ばしてくれないし」
「はは。そりゃ、お前は前借り時間が多すぎるからだろ?」
「う……でもさぁ」
 ぽんぽん、と頭を撫でられて振り返ると、すぐここでしゃがんだ恭介さんと……その隣へ、ぴったりくっ付くようにして俺を見ている、小さい女の子がいた。
 どこかで会ったような気はするし、見たことあるような……とは思ったが、ぱっと名前の出てこない子が恭介さんへべったりくっ付いてるのが俺としては不思議だった。
「今日から一緒に住む、和葉だ」
「和葉?」
「ああ。俺の娘だよ」
 葉月が名前を変えたのは、オーストラリアへ渡る直前。
 それがどういう意味だったのか、どうしてそうしたのかは、俺はまだ知らない。
 恭介さんと……もしかしたら、女将や美月さんの中では合意があってだったんだろうが。
「え、恭ちゃんの娘って……え? どゆこと?」
「お前の従妹だな」
「あー……うん。え、でもさ、恭ちゃんって……」
 突然“娘”だと言われたものの、当時は不思議でもあり正直『なんで?』でもあった。
 はっきりとは覚えていないものの、当時俺はどこかで恭介さんの“彼女”に会っていた気がしたから。
 だが、それを口にしていいのかわからず、でも……と素直にも飲み込めなかったせいでか、恭介さんは『あとでちゃんと話すよ』と約束してくれ、結果として“男同士の約束”を結ぶことになった。
 春休み中、家にいなかった彼が戻ってきたのは嬉しかったが、まさか子ども連れて帰ってくるなんて思わなくて。
 どこがどうなったのかはわからなかったが、それでも、恭介さんにとって大事な子なら、俺だって仲良くしてやらなきゃな、とは子どもながらにすぐ思った。
 なんせ、明らかに俺よりも小さくて。
 背格好からして羽織と同じくらいだなと思ったからこそ、妹みたいなもんだな、とすぐに納得したんだと思う。
「和葉、覚えてるか? 孝之のこと」
「…………」
 恭介さんの口ぶりからして、今日が初めましてじゃないらしいとはわかったが、葉月は十分に覚えてたんだろう。
 恭介さんを見たまま、『スイカ食べたよね』と小さな声で話しており、おかげでぼんやりながらも夏休みに見慣れない家で過ごした1日のことは思い出したから。
「いらっしゃい」
「今日から一緒に住むんだから、次からはおかえりって言いなさいよ?」
「あー、そっか。おかえり、和葉」
「っ……」
 ようやくセーブできたところでコントローラーを置き、ふたりへ向き直る。
 だが、お袋に言われて直したものの、葉月はしっかり恭介さんへしがみついたまま離れようとしなかった。
「孝之、本あったでしょ。読んであげて」
「なんの?」
「ほら、毎日寝るときに読む本あるでしょ? あれ」
「あー、おっけー」
 お袋に言われてリビングの本棚から取り出したのは、毎日違った物語が載っている分厚い本。
 民話だけじゃなく、いわゆる世界の童話も短くまとめなおされているもので、いつもお袋は俺と羽織を寝かせるときに読み聞かせていた。
 ……そういうところ、マメだよな。ホント。
 今からは考えられないマメさだが、親になるってのはそういうことなのかもな、とも今だから少しわかる。
「どれがいいかなー。羽織、どれがいい?」
「はーちゃん、これ!」
「あー、ペンギンのやつか」
 恭介さんと親父とお袋の3人で話し始めてしまい、葉月が輪から外れた。
 どうしていいかわからないような顔をしていたのがわかったから、DVDを見ようとしていた羽織を引っ張り、こっちへ巻き込む。
 そういや、当時アイツは自分のこと『ちゃん』付けで呼んでたんだよな。
 今じゃ覚えてないかもしれないが、まさに年相応の反応だった。
「これ、おんなじ」
「え?」
「ねぇねも……にぃにも、いっつもよんでくれたの」
 着ていたジャンパースカートの裾を握りしめながら、葉月が本を指さした。
 分厚い、それこそ辞書並みの厚さのコレ。
 本と俺とをまじまじ見つめられ、そんな偶然もあるんだなと不思議な縁を感じたのは覚えている。
「そっか。じゃあ、知ってる話かもしんないけど、和葉もこれでいい?」
「うん」
 まさか泣かせるわけにいかない。
 ましてや、恭介さんの子どもだと聞いた以上、いいところを見せたい気持ちのほうが当時はでかかった。
 役に立てることが、ただただ嬉しくて。
 彼に褒めてもらえることは、俺にとって何よりも自己肯定感を得られる特別なことだった。
「昔々あるところに、一羽のペンギンがいました」
「ねえねえ、なんでペンギンなのに“わ”なの? どうぶつさんは“ひき”だよ?」
「いや、ペンギンって鳥の仲間なんだよ。わかる?」
「でも、とべないよ?」
「飛べなくても鳥なの。それ言ったら、にわとりだって鳥じゃん」
 まさかの羽織つっこみで、1行も読めなかったことは覚えている。
 当時は『そう言われても、そういうもの』と言い返したような気はする程度には、知識が足りなかった。
 だが、このやり取りがあったおかげで、葉月は口を開いたんだよな。
「にわとりさん、とべるよ?」
「え?」
「ばあばのおうちにいるにわとりさん、こんなにおっきいの。ちゃいろくて、ぱたぱたーってとぶんだよ」
「えー! にわとりって、とぶの!? すごーい!」
「飛ぶの?」
「うん。ね、にぃにっ……じゃなくて、お父さんっ。ばぁばのところにいるこっこちゃん、とぶよね?」
 身体いっぱいで表現しながら立ち上がった葉月が、恭介さんのそでを引いたとき。
 一瞬聞こえた『にぃに』が不思議だったが……ああなるほど、と今だからわかる。
 すべて、今、だから。
 と同時に――……俺は葉月を妹みたいに思っていたのに、どうして俺を『お兄ちゃんに思えなかった』と言ったのか、わかった。
 葉月にとってはずっと、『にぃに』と呼んで過ごしてきた恭介さんがその場所にいたからなんだろう。

「どうする? 俺が借りてきてやろうか?」
「あ……ううん、私探してくるね」
 自分が代休にもかかわらず職場へ足を向けるとか、すげぇ殊勝じゃねーか。
 大学の図書館裏手、いつもの駐車場へ停めて建物を見上げると、朝と違って少しだけ太陽が翳ったせいか肌寒く感じた。
「そういや、カード作ってもらったんだって?」
「うん。野上さんが、特別に作ってくれたの」
「欲しけりゃ俺に言えばいいのに」
「んー……私としては、ひとりで図書館へ来ることはないから、たーくんに借りてもらえればよかったんだけど……ふふ。野上さん、とっても嬉しそうに勧めてくれたから、なんだか嬉しくて」
 野上さんの勢いは、なんとなく目に浮かぶ。
 葉月がひとりで来ることはない以上、俺が知らないところでそうなったってことか。
 ……ま、いいけど。
 人がいいっつーか、押しに弱いっつーか、そういう意味じゃちっと心配だけどな。
「んじゃ、あとでな」
「少しだけ待っててね」
「おー」
 図書館のドアをくぐったところで別れ、自分は執務室へ。
 すると、当然俺がくるはずないと思われていたこともあり、一瞬どよめき立った。
 ……中でも特に、どうやら葉月を見つけたらしい野上さんが。
「瀬那さんんん! 従妹ちゃんっ! 何階行きました!?」
「さぁ」
「ちょっとぉおお、教えてくださいよっ! ついこの間のお話、じっくりこってり聞かなければ!」
「今日はオフ」
「それは瀬那さんがでしょぉぉ!? いいじゃないですか、ちょっとだけなんですから! 3分で終わりにしますからぁあ!」
「断る」
 野上さんを見ずに机へ向かい、インクを補充しつつ代わりに置きっぱなしだった名刺フォルダを取る。
 つい先日名刺交換した相手とおぼしき人物から昨日の夜メッセージが来ていたが、核心がもてなくて返信しなかった。
 ……あー、記憶力落ちたな。
 多分、だろうとは思うが、違ったらまずい。
 お、合ってた。
 名前と番号がきっちり一致していて、内心まだまだ平気だなと安堵もした。
「んじゃ、また明日」
「えぇええ!? ちょお! 従妹ちゃん連れてきてくれます!?」
「いや、アイツは留守番」
「ぬぁんでですかああ! 連れてきてくださいよ! 一緒ににゃんにゃんさせてください!!」
「無理」
 彼女を見ずにスマフォを弄り、とっととカウンターから脱出。
 だが、しばらくの間野上さんは俺にまとわりつきながら、あーだこーだと喋っていた。
「あ。職務戻ってもらっていいすか」
「くぅうう、なんでそんな他人行儀なんですかっ! 私と瀬那さんの仲なのにっ!」
「いや、どんな仲だよ」
 数人がカウンターへ並んだのを見て顎でしめすと、ぶーぶー言いながらもカウンター内へ戻っていった。
 そーやって、きっちり仕事だけしてくれ。
 列に葉月は並んでおらず、もう少しかかるのかもな、と新聞と雑誌コーナーへ足を向ける。
 そのとき、ふいに湯河原特集の旅行雑誌が目に入り、つい手が伸びた。
 ほんの少し前じゃ、考えられない違いだな、ほんと。
 ぱらぱらめくっていくと、老舗旅館と銘打たれた流浪葉が大きめに写っており、ああさすがだなと改めて思った。

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