「…………」
「…………」
 図書館をあとにして向かうのは、我が家。
 だが、つい数十分前とは違い、空気が少しだけ重く感じる。
 普段は空気を読まないことにはしてるし、俺は俺なりのやりかたを通すタチ。
 だが、明らかに違いすぎだろ。
 ハンドルを握ったまま、どう言えばいいかわからずため息を漏らす。
 雑誌を読んでいたら、ほどなくして葉月はカウンターへ姿を見せた。
 たちまち野上さんが声をあげたので、セーブすべく近づいた……ものの、目が合わない。
 いや、合うには合ったが、弱い笑みと同時に逸らされる。
 訝って訊ねても、首を振られるだけ。
 ……そして何より、距離が開いた。
 買い物のときは意識してなかっただろうに、図書館から出るとき、明らかに葉月は俺と距離をとっていた。
 手が届かない場所、まで。
 図書館で何かあった、のか。ひょっとして。
 いや、ひょっとしてじゃねぇよな。何かあったんだろう。
 だが、正面からたずねたとしても、口は割らない気がした。
 じゃあ……どうすればいい。
 住宅街の角を曲がったところですぐ我が家が見え、いい手が思いつかないままスピードを落とすしかなかった。
「荷物置いたら、メシ食い行こうぜ」
「え?」
「麻斗ンとこ。もうランチやってる」
 外階段を先に上がりながら振り返ると、葉月は少しだけ困ったような顔をした。
 だから、なんでンな顔すんだよ。
 結局、一緒に出かけたとはいえいつもと代わり映えのない買い物で終わってしまい、できたことも微々たる程度。
 ショッピングモールを出る際、葉月が振ってくれた話も、結局俺が途中で終わらせてしまった。
 だから……いつもとは違う行動を取るしか、ない。
 行動しなきゃチャンスは舞い込んでこねぇしな。
 いつだったか、やはり恭介さんに言われたセリフが蘇り、愛娘相手と知らない彼へ伏せたまま、今回はありがたく使わせてもらう。
「でも……」
「俺とふたりじゃ不満か?」
 玄関のドアを開けると、葉月は一瞬何かを言いかけてから首を振った。
 だが、笑みはない。
 困ったような顔のまま……俺に気づいて小さく笑う。
 ……気を遣われてるか? もしかして。
 だとしたら、何に対してだ。
 少なくとも、モールのときはこんなんじゃなかった。
 手を握っても文句は出なかったし、距離だってもっと近かった。
 が、今はその倍以上開いている。
 となると……やっぱり図書館で何かあったんだな。
 野上さんが葉月へ妙なことを吹き込んではなかったから、あるとすれば離れていた時間、か。
 10分にも満たない時間にもかかわらず、どこで何を吹き込まれたんだ。
 入学してない以上、館内に知り合いがいるとは考えにくい。
 なら――……蘇るのは、俺の誕生日。
 図書館で本を読んでいた葉月のそばで、学生に俺との関係をひけらかされたのは、記憶に新しい。
 ……何を聞いた。
 戸惑うような、身を引くような、何かであろうことは違いない。
 ストレートに聞いても、まあ、答えてはくれるだろうけどな。コイツの場合は。
「あ……」
「行くぞ」
 冷蔵庫へ生鮮食品をしまい終えたところで、強引に手を取る。
 だが、葉月はどこかぎこちなく反応し、モールのあのときとは違って握り返してはこなかった。

「あら、いらっしゃーい。久しぶりですね」
「どうも」
 麻斗の店まで、徒歩数分。
 看板娘の子に出迎えられ、『どこでもどうぞ』とテキトーな接客を受ける。
 昼時とあって、先日とは比べものにならないほど混雑していた。
 独特の雰囲気が漂う、それこそ昔ながらの洋食店。
 ランプにはオレンジの火がともり、どこもかしこもうまそうな匂いで満たされている。
「麻斗さん呼んできましょうか?」
「いや、いいよ。忙しいだろうし」
「じゃあ、瀬那さんがかわいい彼女連れてきましたよってことだけ報告しときます」
「そりゃどーも」
「っ……」
 席へついてすぐ、メニューとグラスを置いていった彼女を見送り、葉月へ視線を移す。
 すると、何か言いたげな顔をしたものの、両手を組んで視線を落とした。
「不満か?」
「え?」
「俺の彼女扱いされンの」
 頬杖をつき、メニューを開く。
 つってもま、ここへ来て食うものはいつもと同じ。
 俺だとわかれば、麻斗は写真どおりのメニューじゃないモノをよこすからな。
「私は……彼女なのかな?」
「は?」
「ご注文お決まりですかー?」
「っ……タイミングよすぎ」
「え? 邪魔しちゃいました?」
「いや全然」
 あっけらかんとした声を聞きながら、葉月へメニューを差し出す。
 すると、“おすすめ”と書かれている季節野菜ときのこのパスタを選んだ。
「瀬那さんは、ハンバーグと豚コマソテーだって言ってましたよ」
「じゃそれで」
「ご飯大盛りにしておきますね」
「よろしく」
 メニューを閉じて返し、グラスへ手を伸ばす。
 が、さすがに俺が選ばないのは不思議だったのか、葉月がまっすぐに見つめた。
「なかなか昼時にこねぇけどな。それでも、俺のときは大抵麻斗がメニュー決めてそれ出してくる」
「そうなの?」
「毎回違うからいいんだけど、そういやこの店でパスタ食ったことねぇな」
 近所でもあり、そこそこの回数きてはいる。
 が、葉月がパスタを選んだことで、そういやここにパスタメニューがあったんだなとわかった程度には認知してなかった。
 いつも、大体肉料理。
 ご飯大盛りの上に、余ったからと前回はグリーンカレーの小鉢付きだったっけか。
「はーい、スープとサラダでーす」
「いや、いつにも増して回転早くね?」
「瀬那さんを帰して、次のお客さん入れたいって言ってました」
「ひでぇ」
 さっきの葉月の話を拾おうとしたものの、間髪入れずに目の前へサラダとコーンスープが運ばれてきた。
 いつもは、オーダーを伝えてからそこそこ時間が空いている。
 てことは何か。
 混雑はしてるが、オーダー待ちはしてねぇってことか。
 ……まぁいいけど。
 だったら、とっとと食って家に帰ってから詳細聞けばいいし。
「あいにく、コーヒー一杯で数時間ねばられたら経営破たんするんでね。食ったらとっとと帰れよ。あ、いらっしゃい。葉月ちゃん」
 元旦とは違い、コックコート姿で麻斗も姿を見せた。
 片手には葉月のオーダーしたパスタ。
 もう片手には、俺の……俺のか? それ。
 さっき言われたメニューとは違い、生姜焼きとエビフライがあるようにしか見えねぇんだけど。
「先日はご馳走様でした」
「いいえ、どういたしまして。あ、この間の紅茶の別フレーバーあるんだけど、よかったら飲んでみる?」
「でも……」
「平気平気。今日のは、ちゃんと孝之にツケとくから」
「ありがとうございます」
「そこは断れよ!」
 あのときと同じように笑ったのを見て、小さく舌打ちする。
 が、麻斗には少しだけ感謝もした。
 今の葉月の反応は、間違いなく素そのものだったから。
「お前な。ハンバーグつったろ。なんでエビフライなんだよ」
「いやー、オーダーミスしちゃって、うっかり揚げちゃったから、こっちにして」
「……ち。俺はまかない要員か」
「いいじゃん。美味いよ? エビフライも」
「知ってる」
 がっつり有頭エビが乗っかっていて、まあうまそうだしいいけどよ。
 いつも通りのやり取りながら、葉月がおかしそうに笑ったのを見て、小さくため息も漏れた。
「代わりに、プリン付けてやるよ。マロンとカスタードとアーモンド。どれがいい?」
「マジで。マロン」
「さすが限定品よく覚えてるねー、お前」
「だてに通ってねぇよ」
 3本指を立てたのを見てすぐさま答える。
 つか、ここ数年来ちゃいるが、マロンは初だぞ。
 果たしてマロン味のプリンがどんなかは想像できないが、うまいだろうとは期待した。
「葉月ちゃんは?」
「でも、私……」
「嫌いじゃなければ、クリームもプラスするよ」
「俺には?」
「子どもか! つけりゃいいんだろ? つけりゃ」
「サンキュ」
 麻斗が呆れたように笑ったのを見て、こっちまでつられる。
 くすくすと看板娘の彼女が笑っていたのを見てか、葉月も少しだけ表情を緩めた。
「オススメはアーモンド」
「……いただいてもいいですか?」
「もちろん。紅茶と一緒にお届けするね」
「ありがとうございます」
 にっこり笑ってうなずいた麻斗が、きびすを返し際に俺へなぜか親指を立てた。
 いや……それ、なんの合図だ。
 ひょっとしたら、ケンカでもしたとか勘違いされたか。
 そんなつもりもないし、わけでもないが……まあ、いいけど。
 葉月が、スープへスプーンを伸ばしたのを見て、同じく手にする。
 聞くなら……まあ、家に帰ってからが妥当だよな。
 ひとくち飲んだ葉月が、俺を見て『おいしい』と笑ったのはいつもどおりだったが、さすがに何を聞くこともできず、ただうなずくしかできなかった。

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