「たーくんに聞きたいことがあるんだけど……ちょっとだけ、いい?」
「奇遇だな。俺も聞きてぇことがあった」
「え……そうなの?」
「ああ」
 たらふく食べ、デザートのプリン……だけでなくコーヒーまで追加してもらい、結局家へ帰ってきたのは14時近かった。
 つか、ランチの時間をいつもより先に切り上げて一緒にコーヒー飲むとか、どうなんだアレ。
 自由すぎる営業スタイルで、麻斗が椅子持ってきたとき吹きそうになったぜ。
 何を聞きたがるのかと思いきや、当然のように葉月に対してで。
 元旦といい今日といい、俺が連れまわしているのがよほど意外だったらしく、麻斗はしなくてもいいのに俺の中学と高校時代の話を吹き込み、葉月は俺を見て眉を寄せていた。
 至極真っ当だろ。今考えたら十分。
 あのころは若かったんだよ。仕方ない。
 誰にでもあるだろ、ちょっとばかり消してみたい過去ってやつは。
「たーくんの聞きたいことって、なに?」
 リビングのソファではなくラグへ座り、こたつへ足を伸ばす。
 俺はさすがに上着こそ脱いだが、葉月はまだコートを着たまま正座していた。
「図書館で何かあったか?」
「っ……」
 まっすぐ目を見たまま口にすると、明らかに反応した。
 何があったか、までは検討がついてない。
 だが、麻斗のところでこぼした言葉といい、距離を取っているところといい、なんらかの遠慮を俺に感じているのは確か。
 明確なものはわからないが、だからこそ今はっきりさせておきたかった。
「本を……探しに行ったとき、ね。学生の人たちが、この間のことを話してたの」
「この間?」
「先週の金曜日。たーくんが……私を助けてくれたときのこと」
 思い返すまでもなく、つい昨日だって聞かれたこと。
 人の噂なぞ勝手なもんだとは思うが、葉月にとっては他人事でない以上、気にはなるだろうな。
「それで……たーくんが助けた人は、英文学科の3回生だって……言ってて」
「俺が?」
「その……見た人がいる、って言ってたの。付き合ってるって噂が出てる人だ、って」
「…………」
「だから、えっと……なんて言ったらいいのかな。もちろん、噂だから本当のことじゃないし、事実からは遠いと思うんだけれど、でも……私、少しだけ納得しそうになって……」
「……はー。おま――」
「そう思う自分が嫌だったの」
「っ……」
 言葉を遮ってまでまっすぐ見つめられ、意志の強いまなざしに口をつぐむ。
 噂を信じるタイプじゃない。
 どちらかというと俺に似ていて、根拠を求める。
 それこそ、噂していた連中は葉月にとって見ず知らずの相手だろう。
 そんなヤツらの言葉より、俺の言葉を優先してくれるだろうことは明らかだが、そうじゃなくて……信じそうになった自分が嫌だ、とはね。
 らしくない、とでも思ったんだろうな。
 いや、むしろそんな自分をどこかで恥じ――……ああ、そうか。
 それで、距離を取ったのか。お前。
 俺に申し訳ないとか、ふさわしくないとか、なんだかんだ言って自分を責めて。
「たーくんは今誰とも付き合ってないって言っていたし、今日だって、お休みなのにわざわざ私と過ごしてくれたでしょう? それに……この間の、湯河原でのときだって……あんなふうに言ってくれたこと、私はとっても嬉しかったの」
「…………」
「デートできて嬉しかったし、特別だってわかってるのに……なのに、どうしても自信が持てなくて、それが申し訳なくて。でも……ひとつだけ、ね。自分じゃ出せない答えがあるの」
 デート。
 明確に口にされ、どきりとする。
 今日のアレは、葉月にとってそう思ってもらえたのか。
 だとしたら……ふたりきりで出かけること云々ではなく、相手がどう取るかによって決まるってのが定義なのかもな、とは思った。
「今の私は、たーくんにとって何になるのかなって」
「っ……」
「誰かに聞かれたとき、私はなんて答えていいの?」
 まっすぐに見つめられたまま、ストレートにぶつけられた“想い”に、喉が動く。
 俺と同じ、か。
 麻斗へ『彼女』と茶化されたとき、葉月はただ困っていた。
 いいのかな、と。
 ぽつりと漏れた言葉が予想以上に尾を引き、俺でさえそうなんだから、当の本人はもっとってことなんだな。
 思い返せば……いや、始まりはそもそも11月のあのとき。
 葉月から和歌をもらったときから、ずっと続いていたんだ。
「年末に、俺へ聞いたこと覚えてるか?」
「え?」
「大晦日。なんで和歌を送った、って俺に聞いたろ?」
 もしかしたら、忘れているかもしれない。
 あのあと、考えながら返事をしたら、葉月はすでに眠っていた。
 ずっと、聞きたいことではあったんだろうな。
 今日の今このときと同じように、聞きたくてでも聞いていいのか悩んで、あそこまで引き伸ばしたんだろうから。
「俺はお前から受け取ったとき、本気に取らなかった」
「っ……」
「どういうつもりで送ってきたのかわからなかったし、だから……ああ冗談なら応えてやろうと思って、あの返歌をした」
 俺の中で葉月は従妹だった。
 告白だとは決して受け取らなかったからこそ、どういうつもりかまでは読まずに、ただ冗談として処理をした。
 葉月にとっては、それこそ一世一代のものだったかもしれないのに、だ。
 今だから……そう。
 何もかも今だから、わかる。
 あのとき確実に葉月が傷ついたであろうことも。
 もし、葉月が俺の返歌を心から喜んでいたとしたら、再会を果たした俺の誕生日のセリフは、予想以上に傷ついたはずだ。
 ストレートに好きだと伝えたにもかかわらず、俺は『従妹なんだから』と返したからな。
 きっと、そこで葉月はわかったんだろう。
 俺の返歌は、そういう類じゃなかったことに。
「悪かった。お前を傷つけたな」
「たーくん……」
 本気の想いへ、本気では応えなかった。
 半分以上冗談で、それどころか俺は葉月に言われるまですっかり忘れてもいたほど。
 疑問ではあったが、もんもんと繰り返し疑問には浮かべなかった。
 ……葉月とは違って、な。
「じゃあ……今は?」
「今?」
「今なら、たーくんはなんて応えてくれるの?」
 心なしか、葉月のまなざしが潤んでいるようにも見える。
 泣くな。そうじゃない。
 ンな顔をさせるために、言ってるわけじゃない。
 今は――もし、今もう一度葉月へ送るとしたら。
 俺はどの和歌を選ぶのか。
 昔むかし、授業中に覚えさせられた百人一首のうちのいくつかが頭に浮かんだ。

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