「嫌なんだよ、お前がほかのヤツのところへ行くのを見るのは」
「っ……」
「単純に、おもしろくねぇと思った」
まっすぐ見て言えれば、また違っただろうな。
だが、さすがにそこまで据わってないらしく、頬杖をつくと視線は落ちたままだった。
「たとえ相手が祐恭だろうと……ヨシだろうと。中学生相手にンなこと思うとか、自分でもどうかしてるとは思う。あンときは気づかなかったけどな、わかったときさすがにやべぇと思った」
なんであんなにイライラしてるのか、当時はわからなかった。
気づいたのは……ひとり暮らしをした、あのころ。
葉月が俺のところへきたとき、素直に嬉しかった。
俺を気にかけて、わざわざ動いてくれたことが。
手を伸ばしても離れようとしなかったことで、安堵してもいた。
人を好きになるのがどういうことか、今だからわかる。
俺以外のヤツが手を伸ばしたらおもしろくない、と。
コイツがほかの男へ当たり前に笑いかけ、手を伸ばされて喜んでいるのを見たら、どす黒い何かが沸きそうだと、な。
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが
よその男のこころのままになるなんて
昨日、図書館で見かけた“高村光太郎詩集”。
その中にある『人に』の一節が、がらにもなく頭に浮かんだ。
「誕生日のこと、覚えてるか?」
「誕生日って……たーくんの?」
「ああ」
今からまだ、1ヶ月も経っていない俺の誕生日。
突然葉月がこっちへ来ていると知り、探し回ったあのとき。
……葉月はストレートに俺へ告げた。
『たーくんのこと、好きなんだもん』と。
「あンとき、傷ついたろ」
俺は知らなかった。葉月が本気で俺へそんな気持ちを抱いていたことを。
あのとき態度がおかしかったのは、そりゃ当然だ。
おもしろくなかっただろうよ。
自分としては気持ちをストレートに伝えたつもりだったのに、張本人は受け止めることなく流したんだから。
「っ……」
「そんな顔しないで」
わずかに目を丸くした葉月が、いつものように笑った。
くすりと表情を緩ませ、わずかに首をかしげる。
クセ、でもあるんだろうな。
頬へ髪がかかったのを見て、手が伸びそうになった。
「たーくん、申し訳ないって思ってくれてるの?」
「そりゃ、一応な。今だから……お前が俺を思ってくれてるってわかった今だから、反省はしてる」
もし、目の前でほかのヤツらが同じやり取りをしていたら、きっと俺はつっこみを入れただろう。
当事者じゃない、第三者ならわかるはず。
言ったときの表情も見ていれば、雰囲気もわかるんだから。
悩みは他人ほど解決しやすい、ってな。
『その「好き」は、お前の考えてるものとは違う』と言っただろうよ。
「けど、ホントにいいのか? 俺で。元日の夜、お前言ったろ? 簡単に付き合って簡単に別れるなんてバチが当たるって」
「……ん。いけない人だと思うよ」
「っ……お前な」
「でもね、気持ちわかるの。……だって、私もほかの人たちと同じだもん」
予想しなかったセリフで、眉が寄る。
だが、葉月はひどく穏やかな顔で、テーブルへ乗せたままだった俺の手へそっと手のひらを重ねた。
「きっとね、たーくんを好きな人はたくさんいると思うの。できることなら付き合いたいって思ってる人も。これまでたくさんの人が想いを伝えたのは、たーくんへの気持ちがあったのと……もうひとつ、自分ならって思ったからだと思う」
「自分なら……?」
「たーくんを変えられる、って。ギャンブルと同じかもしれないね。みんなが知ってるこれまでの瀬那孝之を、自分なら変えられるって信じたかったんじゃないかな」
そんなふうに言われたのも初めてなら、ンな解釈を与えられたのも初。
きれいにまとめられているとは思うが、一方で少しだけ納得してしまいそうにもなる。
決して、きれいな関係じゃなかった。
互いの利害が一致して、ある種のスポーツのように身体を重ねただけ。
それゆえに後腐れはなく、それ以上でも以下でもなかった――と、少なくとも俺は思っていた。
もしかしたら、相手は違ったのかもしれないけどな。
それでも俺はこれまで、考えを改めることも理解することも正直なかった。
「誰だって、誰かの特別になりたいでしょう?」
特別、と口にされて小さく喉が鳴った。
俺にとっては、これまでなかった概念。
……特別、か。
枠を設けられた外の、特殊な立ち位置。
俺にとってそこは、これまで存在しないものだったかもしれない。
「じゃあ俺は?」
「え?」
「俺はお前にとって、どういう存在だ」
聞いてみたかったのはあるが、あえて口にするつもりはなかった。
が、あまりにも葉月が穏やかに笑うから、つい、口に出ていた。
じゃあお前にとっての特別は誰なんだ、と。
あえて言葉で聞いてみたくて……なんて、俺らしくもない動機ゆえに。
「……唯一の人、かな」
噛みしめるように呟かれた言葉で、どきりとした。
大切な何かを口にするかのように、目を合わせたまま葉月が柔らかく笑う。
「誰よりも近くにいたくて、どうしても離れてほしくなくて……この前も言ったけれど、ほかの誰にも同じように触れてほしくない、特別な人だよ」
「っ……」
それこそ明確な限定を口にされ、言おうとした言葉が消える。
言葉だけじゃない。
それはそれは嬉しそうに近い距離で微笑まれたのも、当然デカかった。
「たーくん、湯河原で私に聞いたでしょう? お父さんのプロポーズを見てなんとも思わないのか、って」
「……ああ」
俺はあのとき、単純な疑問でそう口にした。
もしも俺ならばと仮定したとき、なんとなく表現のしにくいものを抱いたから。
「あれって……ね、きっと今だからああ答えられたんだと思う」
一度目を伏せた葉月は、あのときを思い返すかのように視線を宙へ向けた。
あのときのことは葉月にとってとてもいい記憶らしく、再び目が合ったとき嬉しそうに笑う。
「目の前でプロポーズを見たとき、本当に嬉しかったの。よかったって素直に思った。でも……ほら、11月の試験のときは、私は……お父さんに幸せになってもらいたいって言いながら、きっとどこかで寂しく思ってたんだなって……。お父さんが、好きな人と過ごせないことはとても申し訳ない気持ちはあったけれど、でも、ちょっとだけ、ひとりぼっちになっちゃうことが怖かったのもあるんだろうなって、気づいたの」
11月の試験を受けるために帰国した葉月は、確かにどこか困惑した様子だった。
自分がいるせいで恭介さんが幸せになれないとも思っていたし、彼が紹介したい人を『再婚相手』と勘違いした。
そのせいであんなに……それこそ申し訳なさから泣いたんだろうな。
恭介さんは葉月がそんな勘違いしているとは知らず、彼は彼で戸惑ったはずだ。
なんせ、恭介さんが会わせたかったのは葉月の血縁者で、彼が妻に迎えたかったのは、葉月が思った人とは違っていたんだから。
「だから、あんなふうに答えられたのは、たーくんのおかげなんだよ」
「俺の? 何もしてねーぞ」
「そんなことないでしょう? だって……私は今、毎日好きな人のそばにいられるんだから」
「っ……」
「私、とっても幸せなの」
ひどく嬉しそうな顔だった。
言葉を噛みしめるようにつぶやき、笑う。
これまでの……それこそ、今日はまったく見てなかったような顔で、心底からそう思ってくれているような穏やかな笑みだった。
「誕生日のとき、私は傷ついたりしなかったよ?」
「……けどお前……」
「ただ、たーくんらしいなって思ったの。このやり方じゃだめなんだな、って」
「…………」
「本当はね、もっと早くこうするつもりだったんだけれど……彼女がいるって聞いて、できなかった。あの日の夜、たーくんが……キスしてくれたあと、伝えようとも思ったんだけど……勇気がいるんだね。どきどきして動けなかったの」
片手を握った葉月が、もう片方の手のひらを俺へ差し出した。
それと顔とを見比べるものの、『少しだけ』と意味深な言葉に言おうとした言葉を飲み込む。
片手ずつ握られ、まるで映画で見かける恭しい口づけと同じような仕草で、葉月が俺をまっすぐに見つめた。
温かいというよりも、少しだけ熱い手のひら。
自分よりよほど小さくて、柔らかくて。
感触の違いに、がらにもなくどきりとした。
「たーくんが好きなの」
「ッ……」
「こう伝えたら、従妹としての気持ちじゃないって、わかってもらえたかな?」
目を見ての、まさに告白。
握られた手が脈打ち、喉が鳴った。
こんなふうに触られて、“ど”が付くくらいストレートな告白は、人生で初めて。
想いを告げられるってのは、こんなにも一瞬頭が白くなるものなんだな。
それこそ、初体験そのものだった。
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