絵里の場合
2022.04.02
「私、あんたのこと好きじゃないから」
「へー」
「……ちょっと」
「あいてっ。ちょ、おま、深爪になったらどうすんだよ!」
足の爪きり中、人の肩をたたく馬鹿がここにいた。
しかも親指だぞ、親指。巻き爪になったらどうしてくれる。
「なんだよ」
「なんだよじゃないわよ! 人の話聞いてないでしょ、あんた!」
「聞いてるだろ。ちゃんと返事だってしてる」
「してない!」
というか、さっきまでテレビの“巨大スーパー魅力デリランキング”を見て散々行きたいってごねてなかったか?
まるでふと思い出したように言い出しやがって。
あ、いや。まるでじゃないか。
こいつの人生、すべて意図的だ。
「だからね? 私、別にあんたのこと好きじゃないんだから」
「ふーん」
「だから勘違いしないでよね!」
「あっそう」
「ちょっと!!」
「……なんだよもー。うるせーなー」
小指まできっちり切り終えたところで新聞を畳むと、それはそれは嫌そうな顔をした。
いや、別に爪切りのとき新聞使うって割と一般的じゃないか?
お前は普段ごみ箱へ直接ダイレクトインしてるが、掃除機かけるとたまに落ちてるヤツあるよ?
どうせ言っても直さないし、気づいてもないだろうから、あえて指摘しないけど。
「で?」
「だからね? 私、別に純也のこと好きでもなんでもないから」
仕方なしに体ごとそっちへ向き直ると、まるで勝ち誇ったかのように胸を反らした。
さっき、買ったばかりのTシャツにマヨネーズを垂らしたから、着替えなおしたらしい。
だったらなおのこと、そんなアホなセリフを吐く前に、手洗いしてやった俺に感謝すればいいのに。
「今日はそういう気分てことか」
「ちがーう! なんでそうなるのよ! 私そんなに単純じゃないし!」
「別に単純とは言ってないだろ。気分って言ったんだよ、気分って」
「だから違うってば!」
すでに食洗器が稼働してるおかげで、部屋の中はテレビとその音となかなかのカオス状態。
そんな中、さらに絵里のでかい声が響き渡り、ああ明日が休みで本当によかったと思った。
「大学生はいいよなぁ。授業始まるの来週からだろ? 今日なんて、ぴっちぴちの新採用見て、ああ俺も年取ったなってへこんで帰ってきたのに」
「は? なんでへこむのよ」
「いやだってほら、お前考えてみ? どの業種でもそうだろうけどさ、卒業したての新入社員はスーツがぴしっとしてんだよ。緊張してて姿勢もやたらいいし、あいさつのときは、すげぇ緊張してる顔してるし。ああいうの見るとさ、俺もそういうときあったなーって感じるわけ」
「何言ってんの? 純也だってついこないだじゃない」
「ついこないだってのは、せいぜい一昨年までだろ? 祐恭君とか孝之君とかならそうだろうけど、俺じゃねぇ」
思い出すのは今朝の講堂でのできごと。
ホール壇上の管理職隣に並ぶ、新採用と異動の先生方の紹介を見ていたら、あまりにもまぶしくて苦しくなった。
……その顔を、祐恭君にも見られたわけだけど。
ああ、そういや孝之君は今年も当然だけど新採用こないって嘆いてたな。
まああの部署で毎年新採用が増えるほうが、ある意味驚くけど。
「だからまあ、なんだ。俺が嫌ならしょうがないな。周りを見れば若いやつはいっぱいいるし、きっとお前に合うやつも大勢いるだろうよ」
「……何それ」
「は?」
「なんでそんな弱気なのよ。馬鹿じゃない?」
「……は?」
テレビがバラエティから今日のニュースへ変わったところでそっちを見ていたのに、ふいにおぞましい声が聞こえて眉が寄る。
「いや、ちょっと待て。なんでお前怒ってんの?」
「怒ってないわよ! 馬鹿じゃないのって言ってんの!」
「いや、だからそれ怒ってるやつじゃん」
「違う!」
ああそうだ。完全にキレてる状態の相手には、言葉なんて通用しないんだった。
こういうとき必要なのはクールダウンだっけ?
なかなか大学でそれやることないけど、きっと小学校じゃ必須なんだろうよ。
「へこむ理由がどこにあるの? 経験値で勝ってるでしょ? 何言ってんのよ、情けない」
「…………」
「新採用がいい? 昔振り返ったって、なんの得にもならないくせに。今が一番いいって思ってんの、知ってんだからね!」
「…………」
「だいたい、ほかの男って何よ。馬鹿じゃないの? 仮にも彼氏でしょ? 一番近くにいる女のこと引き止められないで、何言ってんのよ! 馬鹿! ばーか!!」
目の前で肩をいからせる絵里を見ていたら、笑うでも怒るでも驚くでもなく、素の感情がこぼれる。
「お前、俺のこと好きすぎじゃん」
「ち……違うわよ! 馬鹿じゃないの!!」
今日一番のデカい声が聞こえた。
「へー」
「……ちょっと」
「あいてっ。ちょ、おま、深爪になったらどうすんだよ!」
足の爪きり中、人の肩をたたく馬鹿がここにいた。
しかも親指だぞ、親指。巻き爪になったらどうしてくれる。
「なんだよ」
「なんだよじゃないわよ! 人の話聞いてないでしょ、あんた!」
「聞いてるだろ。ちゃんと返事だってしてる」
「してない!」
というか、さっきまでテレビの“巨大スーパー魅力デリランキング”を見て散々行きたいってごねてなかったか?
まるでふと思い出したように言い出しやがって。
あ、いや。まるでじゃないか。
こいつの人生、すべて意図的だ。
「だからね? 私、別にあんたのこと好きじゃないんだから」
「ふーん」
「だから勘違いしないでよね!」
「あっそう」
「ちょっと!!」
「……なんだよもー。うるせーなー」
小指まできっちり切り終えたところで新聞を畳むと、それはそれは嫌そうな顔をした。
いや、別に爪切りのとき新聞使うって割と一般的じゃないか?
お前は普段ごみ箱へ直接ダイレクトインしてるが、掃除機かけるとたまに落ちてるヤツあるよ?
どうせ言っても直さないし、気づいてもないだろうから、あえて指摘しないけど。
「で?」
「だからね? 私、別に純也のこと好きでもなんでもないから」
仕方なしに体ごとそっちへ向き直ると、まるで勝ち誇ったかのように胸を反らした。
さっき、買ったばかりのTシャツにマヨネーズを垂らしたから、着替えなおしたらしい。
だったらなおのこと、そんなアホなセリフを吐く前に、手洗いしてやった俺に感謝すればいいのに。
「今日はそういう気分てことか」
「ちがーう! なんでそうなるのよ! 私そんなに単純じゃないし!」
「別に単純とは言ってないだろ。気分って言ったんだよ、気分って」
「だから違うってば!」
すでに食洗器が稼働してるおかげで、部屋の中はテレビとその音となかなかのカオス状態。
そんな中、さらに絵里のでかい声が響き渡り、ああ明日が休みで本当によかったと思った。
「大学生はいいよなぁ。授業始まるの来週からだろ? 今日なんて、ぴっちぴちの新採用見て、ああ俺も年取ったなってへこんで帰ってきたのに」
「は? なんでへこむのよ」
「いやだってほら、お前考えてみ? どの業種でもそうだろうけどさ、卒業したての新入社員はスーツがぴしっとしてんだよ。緊張してて姿勢もやたらいいし、あいさつのときは、すげぇ緊張してる顔してるし。ああいうの見るとさ、俺もそういうときあったなーって感じるわけ」
「何言ってんの? 純也だってついこないだじゃない」
「ついこないだってのは、せいぜい一昨年までだろ? 祐恭君とか孝之君とかならそうだろうけど、俺じゃねぇ」
思い出すのは今朝の講堂でのできごと。
ホール壇上の管理職隣に並ぶ、新採用と異動の先生方の紹介を見ていたら、あまりにもまぶしくて苦しくなった。
……その顔を、祐恭君にも見られたわけだけど。
ああ、そういや孝之君は今年も当然だけど新採用こないって嘆いてたな。
まああの部署で毎年新採用が増えるほうが、ある意味驚くけど。
「だからまあ、なんだ。俺が嫌ならしょうがないな。周りを見れば若いやつはいっぱいいるし、きっとお前に合うやつも大勢いるだろうよ」
「……何それ」
「は?」
「なんでそんな弱気なのよ。馬鹿じゃない?」
「……は?」
テレビがバラエティから今日のニュースへ変わったところでそっちを見ていたのに、ふいにおぞましい声が聞こえて眉が寄る。
「いや、ちょっと待て。なんでお前怒ってんの?」
「怒ってないわよ! 馬鹿じゃないのって言ってんの!」
「いや、だからそれ怒ってるやつじゃん」
「違う!」
ああそうだ。完全にキレてる状態の相手には、言葉なんて通用しないんだった。
こういうとき必要なのはクールダウンだっけ?
なかなか大学でそれやることないけど、きっと小学校じゃ必須なんだろうよ。
「へこむ理由がどこにあるの? 経験値で勝ってるでしょ? 何言ってんのよ、情けない」
「…………」
「新採用がいい? 昔振り返ったって、なんの得にもならないくせに。今が一番いいって思ってんの、知ってんだからね!」
「…………」
「だいたい、ほかの男って何よ。馬鹿じゃないの? 仮にも彼氏でしょ? 一番近くにいる女のこと引き止められないで、何言ってんのよ! 馬鹿! ばーか!!」
目の前で肩をいからせる絵里を見ていたら、笑うでも怒るでも驚くでもなく、素の感情がこぼれる。
「お前、俺のこと好きすぎじゃん」
「ち……違うわよ! 馬鹿じゃないの!!」
今日一番のデカい声が聞こえた。
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