葉月の場合
2022.04.02
「たーくん、ちょっとだけいい?」
「あ?」
職場でもある図書館にいること自体は珍しくない。
が、仕事中こんなふうに声をかけてくることは、稀。
今朝、開館と同時に別れたときとは違う、どこか切羽詰まったような顔つきに、配架の手を止める。
「どうした?」
「えっと……あのね?」
視線が動き、周囲の面々を気にしているのはわかる。
すぐそこには、学習室。
今日は予約が入っておらず、何かに使ってもないらしい。
「あ……」
「どうせならこっちのほうがいいだろ」
横をすり抜けて学習室へ向かい、鍵を開ける。
こういうとき、マスターキー預かれる身でホントよかったと思うぜ。
てか、普通はもっと上位職が持って然るべきなんだろうけど、やたら早くからいるって理由でもらえたときは、社会って意外と意外なんだなって思ったぜ。
「で?」
ガラスに囲まれた部屋ではあるが、音は十分防げる。
さっきまでと違い、若干こもったような音の響きに、ああこれも悪くないかもなと多少思った。
「……」
個室へ移動したのに、葉月はどこか浮かない顔だった。
別に見られるのがどうのってわけじゃないだろうが、じゃあ別の理由はなんだ。
中央に置かれているテーブルへ手をつくも、葉月は組み合わせた両手の指を見つめたまま、視線をあげなかった。
「……あのね?」
「ああ」
「その……」
「なんだよ」
別に苛立ってるわけじゃないが、ここまで言いあぐねるのが珍しいなと思っただけ。
普段、割となんでも物おじせず言うし……って、俺に気つかってるってことか?
誰が相手であっても遠慮せず言いたいことをストレートに言うやつなのに、まさか俺に対して遠慮とはね。
いや、もしかしてそういう状況になってることがまずいんじゃないのか?
内心、恭介さんにバレたら打ち首レベルの何かなのかと邪推すると、若干緊張はする。
っていや、別に今さら身が潔白じゃないのは周知だろ。
じゃあなんだ。今のところ借金もなければ、そっち関係でのトラブルもない。
交友関係あらわれたら、そりゃ埃の一つや二つは出てくるかもしれないが、それはそれ。
多分。おそらく。きっと。
「あのね」
まるで、心底困っているかのような顔に、思わずこくりと喉が鳴る。
「たーくんのこと……好き、じゃないって言ったら……どうする?」
「…………」
「…………」
「……は?」
切羽詰まった顔で何を言い出すかと思えば、何言い出すんだお前。
好きじゃない。俺を。お前が。
「ふーん」
「……え?」
「いや別に。どうもしねぇけど」
思わず首筋を撫で、腕を組む。
どうもしない。当然だ。
別に、お前の気持ちを聞いたところで、何が変わるでもない。
「いいの?」
「いや、いいも何も。それは俺じゃなくて、お前だろ? 好きでもねぇ男と一緒に住んでるどころか、四六時中一緒にいるんだぜ? 負担じゃねぇの?」
正確にはそこじゃない。
今日は華の金曜日。
毎週末、あほみたいに近場へ泊りに行く両親不在の今日は、食うもの食ったらしようと思ってた。
さすがにお前はわかっちゃいないだろうが、ある種の予感はしてるんだろうよ。
ある意味、ルーティンになってるんだから。
「私は、別に……ううん、負担じゃないよ?」
「あ、そう」
なら問題ねぇじゃん。
目を見たまま肩をすくめると、逆に葉月は目を丸くして俺に近づいた。
「どうして、とか……思わない?」
「別に」
「だって、好きじゃない、んだよ?」
「しょうがねぇじゃん。好きでも嫌いでもねぇってことだろ? ある意味無関心ってことなら、まあそれはそれ」
「無関心なんかじゃっ……!」
「いやお前、好きも嫌いも同じベクトルなんだぜ? 好きの反対は、無関心なんだっつの」
「っ……」
どこか慌てたような顔の葉月の額を中指で弾き、時間を確認。
ああ、ちょうどコーヒー飲むのにはうってつけだな。
どうせなら甘いモンでも食うか。
今日はまだ学食が開いてないが、購買は開いてるはず。
「たーくんっ!」
「別にお前が俺をなんとも思ってなくても、変わんねぇって。なんなら今までも、そういうヤツらしかいなかったし」
振り返れば、そうだった。
あくまで、葉月が異質。
俺が欲しいんじゃなくて、俺の感情が欲しいとぬかした。
感情ってなんだ。好きってなんだ。どういうことだ。
散々口にした言葉が、うっすらと蘇る。
恭介さんにたずねたときも、わからなかった。
人を好きになることが、自身にどんな影響を及ぼすかも。
「うわ!」
ドアの取っ手に手を伸ばしたところで、後ろから反対の手を引かれた。
思ってもなかった力加減に、思わず声が出る。
が、振り返ってなおのこと、目が丸くなった。
「おま……は? なんだよ」
「何じゃないでしょう? 私は違うよ?」
「……は?」
「そんな顔しないで」
いや、それはこっちのセリフ。
あれ、なんで俺怒られてんの?
納得いかないどころか、それこそ正論ぶちかます3秒前みたいな顔つきの葉月に、思わずごくりと喉が鳴った。
「私がたーくんを好きじゃないって、どうして信じるの?」
「は? いや、だっておま、自分で言ったんじゃん。言葉信じなきゃ、コミュニケーションが成り立たねえだろ」
「そうだけど、でも、違うでしょう?」
「何が」
「私、どうする? って聞いたの。あれは質問なんだよ?」
「…………。ああ、そう」
数分前のことながらも、一瞬何を言っているのか意味がわからなかった。
質問。なるほど。そう考えることもできるな、確かに。
だがしかし。
質問だとしたら、俺はちゃんと答えたはずだぜ。
「私は、違うの」
「何が」
「だから……もし、たーくんが私のこと、好きじゃなくても……気持ちは変わらないから」
「…………。え、そゆこと?」
「え?」
「いやなんか、回りくどくてよくわかんねぇ」
てか、俺が違ったか?
つか、なんでこんなことになってる?
いや、そもそもはコイツが悪い。
ルールってやつを知らなさすぎるだろ。
すでに15時をまわったのを腕時計で確認し、改めて葉月へ向き直る。
「お前さ」
「え?」
「嘘ついていいの、午前中だけって知ってるか?」
「……え」
真顔のまま目の前でつぶやいてやると、それはそれは消え入りそうな『え』が聞こえた。
ああ、そう。ふぅん。知らないってか。
だったら上等だ。
ルール破ってンなセリフ吐くなら、こっちだってそれなりの方法ってのがある。
「はー……」
「っあ……たーくんっ」
「仕事」
あからさまに不機嫌さをかもしだし、ため息ひとつ残して改めてドアノブをつかむ。
今日の夕飯、何つってたっけか。
ああ、そういや冷凍のカキフライがどうのつってたな。
さすがにそれを選んで出してきた日には、さすがにフリじゃなく機嫌悪くなるだろうよ。
「たーくん!」
「暇じゃねぇんだよ俺は」
ワントーン低い声で答えるものの、さっきとは違って葉月は体を割り込ませるように俺の前へ回ろうとした。
必死な顔つきは悪くない。
が、もうちょい必要なモンがあるだろ。
「続きは家帰ってからな」
「……え?」
「なんでもない」
うっかり漏れた言葉を消すように手を振ると、図書館の窓から西日が薄く差してるのが見えた。
「あ?」
職場でもある図書館にいること自体は珍しくない。
が、仕事中こんなふうに声をかけてくることは、稀。
今朝、開館と同時に別れたときとは違う、どこか切羽詰まったような顔つきに、配架の手を止める。
「どうした?」
「えっと……あのね?」
視線が動き、周囲の面々を気にしているのはわかる。
すぐそこには、学習室。
今日は予約が入っておらず、何かに使ってもないらしい。
「あ……」
「どうせならこっちのほうがいいだろ」
横をすり抜けて学習室へ向かい、鍵を開ける。
こういうとき、マスターキー預かれる身でホントよかったと思うぜ。
てか、普通はもっと上位職が持って然るべきなんだろうけど、やたら早くからいるって理由でもらえたときは、社会って意外と意外なんだなって思ったぜ。
「で?」
ガラスに囲まれた部屋ではあるが、音は十分防げる。
さっきまでと違い、若干こもったような音の響きに、ああこれも悪くないかもなと多少思った。
「……」
個室へ移動したのに、葉月はどこか浮かない顔だった。
別に見られるのがどうのってわけじゃないだろうが、じゃあ別の理由はなんだ。
中央に置かれているテーブルへ手をつくも、葉月は組み合わせた両手の指を見つめたまま、視線をあげなかった。
「……あのね?」
「ああ」
「その……」
「なんだよ」
別に苛立ってるわけじゃないが、ここまで言いあぐねるのが珍しいなと思っただけ。
普段、割となんでも物おじせず言うし……って、俺に気つかってるってことか?
誰が相手であっても遠慮せず言いたいことをストレートに言うやつなのに、まさか俺に対して遠慮とはね。
いや、もしかしてそういう状況になってることがまずいんじゃないのか?
内心、恭介さんにバレたら打ち首レベルの何かなのかと邪推すると、若干緊張はする。
っていや、別に今さら身が潔白じゃないのは周知だろ。
じゃあなんだ。今のところ借金もなければ、そっち関係でのトラブルもない。
交友関係あらわれたら、そりゃ埃の一つや二つは出てくるかもしれないが、それはそれ。
多分。おそらく。きっと。
「あのね」
まるで、心底困っているかのような顔に、思わずこくりと喉が鳴る。
「たーくんのこと……好き、じゃないって言ったら……どうする?」
「…………」
「…………」
「……は?」
切羽詰まった顔で何を言い出すかと思えば、何言い出すんだお前。
好きじゃない。俺を。お前が。
「ふーん」
「……え?」
「いや別に。どうもしねぇけど」
思わず首筋を撫で、腕を組む。
どうもしない。当然だ。
別に、お前の気持ちを聞いたところで、何が変わるでもない。
「いいの?」
「いや、いいも何も。それは俺じゃなくて、お前だろ? 好きでもねぇ男と一緒に住んでるどころか、四六時中一緒にいるんだぜ? 負担じゃねぇの?」
正確にはそこじゃない。
今日は華の金曜日。
毎週末、あほみたいに近場へ泊りに行く両親不在の今日は、食うもの食ったらしようと思ってた。
さすがにお前はわかっちゃいないだろうが、ある種の予感はしてるんだろうよ。
ある意味、ルーティンになってるんだから。
「私は、別に……ううん、負担じゃないよ?」
「あ、そう」
なら問題ねぇじゃん。
目を見たまま肩をすくめると、逆に葉月は目を丸くして俺に近づいた。
「どうして、とか……思わない?」
「別に」
「だって、好きじゃない、んだよ?」
「しょうがねぇじゃん。好きでも嫌いでもねぇってことだろ? ある意味無関心ってことなら、まあそれはそれ」
「無関心なんかじゃっ……!」
「いやお前、好きも嫌いも同じベクトルなんだぜ? 好きの反対は、無関心なんだっつの」
「っ……」
どこか慌てたような顔の葉月の額を中指で弾き、時間を確認。
ああ、ちょうどコーヒー飲むのにはうってつけだな。
どうせなら甘いモンでも食うか。
今日はまだ学食が開いてないが、購買は開いてるはず。
「たーくんっ!」
「別にお前が俺をなんとも思ってなくても、変わんねぇって。なんなら今までも、そういうヤツらしかいなかったし」
振り返れば、そうだった。
あくまで、葉月が異質。
俺が欲しいんじゃなくて、俺の感情が欲しいとぬかした。
感情ってなんだ。好きってなんだ。どういうことだ。
散々口にした言葉が、うっすらと蘇る。
恭介さんにたずねたときも、わからなかった。
人を好きになることが、自身にどんな影響を及ぼすかも。
「うわ!」
ドアの取っ手に手を伸ばしたところで、後ろから反対の手を引かれた。
思ってもなかった力加減に、思わず声が出る。
が、振り返ってなおのこと、目が丸くなった。
「おま……は? なんだよ」
「何じゃないでしょう? 私は違うよ?」
「……は?」
「そんな顔しないで」
いや、それはこっちのセリフ。
あれ、なんで俺怒られてんの?
納得いかないどころか、それこそ正論ぶちかます3秒前みたいな顔つきの葉月に、思わずごくりと喉が鳴った。
「私がたーくんを好きじゃないって、どうして信じるの?」
「は? いや、だっておま、自分で言ったんじゃん。言葉信じなきゃ、コミュニケーションが成り立たねえだろ」
「そうだけど、でも、違うでしょう?」
「何が」
「私、どうする? って聞いたの。あれは質問なんだよ?」
「…………。ああ、そう」
数分前のことながらも、一瞬何を言っているのか意味がわからなかった。
質問。なるほど。そう考えることもできるな、確かに。
だがしかし。
質問だとしたら、俺はちゃんと答えたはずだぜ。
「私は、違うの」
「何が」
「だから……もし、たーくんが私のこと、好きじゃなくても……気持ちは変わらないから」
「…………。え、そゆこと?」
「え?」
「いやなんか、回りくどくてよくわかんねぇ」
てか、俺が違ったか?
つか、なんでこんなことになってる?
いや、そもそもはコイツが悪い。
ルールってやつを知らなさすぎるだろ。
すでに15時をまわったのを腕時計で確認し、改めて葉月へ向き直る。
「お前さ」
「え?」
「嘘ついていいの、午前中だけって知ってるか?」
「……え」
真顔のまま目の前でつぶやいてやると、それはそれは消え入りそうな『え』が聞こえた。
ああ、そう。ふぅん。知らないってか。
だったら上等だ。
ルール破ってンなセリフ吐くなら、こっちだってそれなりの方法ってのがある。
「はー……」
「っあ……たーくんっ」
「仕事」
あからさまに不機嫌さをかもしだし、ため息ひとつ残して改めてドアノブをつかむ。
今日の夕飯、何つってたっけか。
ああ、そういや冷凍のカキフライがどうのつってたな。
さすがにそれを選んで出してきた日には、さすがにフリじゃなく機嫌悪くなるだろうよ。
「たーくん!」
「暇じゃねぇんだよ俺は」
ワントーン低い声で答えるものの、さっきとは違って葉月は体を割り込ませるように俺の前へ回ろうとした。
必死な顔つきは悪くない。
が、もうちょい必要なモンがあるだろ。
「続きは家帰ってからな」
「……え?」
「なんでもない」
うっかり漏れた言葉を消すように手を振ると、図書館の窓から西日が薄く差してるのが見えた。
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