HAPPY? Halloween
2019.10.31
ハロウィンっていったら、やっぱりやらなきゃと思って……!
でもえろくならなかった。
もうしわけなす。
「トリックオアトリート!」
「いや……お前な」
「お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ!」
「……暇なの?」
平日も平日。特にノー残業でもなんでもない日だろうし、そもそもそんな言葉は皆無な業界にいるのはお互い様。
なのに、優人はわざわざ大学まで姿を見せたどころか、俺の研究室にまで足を伸ばしてきた。
ああ、暇なんだなお前。羨ましい。
片手には、コイツがよく『ファッションの一部』と言っているコーヒーチェーン店のカップがあり、しかもそこにはいかにもってくらいかわいらしい文字でフルネームと『お疲れさまです』の言葉が添えられていた。
「今日、羽織と会うだろ?」
「いや、平日だからどうかな。レポートがどうのって、昨日も図書館へ詰めてたし」
会えるならそりゃ会いたい相手。
だが、学生の本分は勉強であり、資料を集めるとか整理するのが苦手とも言っていたあたりからして、今日は難しいかもしれない。
まあ、その辺を口実に……ってわけにいかないんだけど。
俺もちょっと忙しい。
「あー、ちょっと待った」
「え、なになに? なんかくれんの?」
「ああ」
にこにことなぜか楽しげな優人を見ていたら、ふと思い出した。
今日の2限目に学生からもらった、クッキーがあったんだったな。
「ほら。これやるから帰れ」
「うっは、すげ! なにこれ、手作り?」
「市販」
「へーすっげー! いやー、昨今のハロウィンブームはすごいですなー」
手のひらよりも大きなサイズの、クモ……を象ったクッキー。
ご丁寧に模様までチョコレートで描かれており、見た目のグロテスクさとビビッドな色遣いも相まってまったく食欲が湧かなかった。
あー、よかった。ちょうどいいところにきてくれて。
これで無事処分先が決まった。
「あ、そんじゃ俺からもプレゼントあげる」
「いや、普通逆だろ? ていうか、菓子渡したんだから帰れよ」
「やだなー、大人ですから。たしなみ程度におすそわけ」
にっこり笑って差し出されたのは、真っ黒い袋。
いかにも怪しげで、眉が寄る。
「そんな顔すんなって。羽織ちゃんきっと大喜び」
「嘘つけ」
「ひどいなーホントだって。羽織の好きな、いちご味だもん」
「……味?」
「そ。一緒に召しあがれ」
いつだって優人の笑みは嘘くさい。
だが、彼女の名前を出されると弱い……って待て。なんか去年もこんなことなかったか。
「あ! おま、ちょっ……待てって!」
「いやー俺っち忙しいんだわー。このあと図書館行かなきゃなんないし」
「……お前、怒られるぞ」
「あ、慣れてるから平気」
ほとんど人通りのないここと違い、図書館は不特定多数の人間が行き交う場所。
まだ閉館時間にはほと遠いが、ドアからコイツが入ったら間違いなく孝之は嫌がるだろうよ。
まあ、実際は優人の扱いに一番慣れてそうだけど。
るんたるんたと楽しげに去っていく後ろ姿をそれ以上何も言わずに見送ったことに、何も問題はなかった。
「…………」
いちご味。
とか言いながら、絶対怪しい何かじゃないのか。
「……あれ」
装飾の一切ない袋の封を切ると、意外にも中からはイチゴフレーバーの紅茶が出てきた。
うわ、普通だ。いや、普通か?
いかにも外国製品ではあるが、ざっと見たところいかがわしい要素はない。
しいていうなら、ピンクのリボンを付けた黒猫を象ったパッケージが、唯一ハロウィンっぽいか。
「…………」
紅茶か。
こういう普通の物も買うんだな、アイツ。
たしかに彼女が好きそうで、そう思ったからこそ……あー、会いたくなるだろ。くそ。
学内にいるかどうかわからないものの、今まとめていた作業を終えたらメッセージを送る気になった。
******
「……お前暇だな」
「あれ、なんかそれデジャヴ」
「あっそ」
返却図書を棚へ戻し、階段を降りようとしたところで4階のエレベーターが口を開けた。
乗ってたのは、優人のみ。
いるはずないヤツがいると結構ビビるものの、コイツなら仕方ないと思うあたり俺も割とどうかしてる。
「トリックオアトリート!」
「ほらよ」
「え、なんで持ってんの?」
「さっきもらった」
エレベーターへ乗り込み、下階へ。
ワイシャツのポケットから、ハロウィン用に作られたお化けのパッケージのチョコを渡すと、それはそれは意外そうな顔をされた。
お前のそーゆー顔久しぶりに見た。
ある意味貴重か。
テレビのニュースで賑わう都内とは違い、少なくとも俺の周辺でイベントはない。
駅前の商店街や市立図書館では、子ども向けのイベントが1週間ほど行われていたが、大学じゃねーよな。さすがに。
とか思ったものの、マメに折り紙やら色画用紙であちこち野上さんがデコってたけど。
そういや今朝は、魔女がかぶってそうな帽子を持ってうろうろしてたけどな。
小さい子どもが来ることはほとんどない場所なのにやるってことは、本人が楽しんでるってことだろ。
さすがにねーな。俺には。
「じゃあ、これはたーくんにあげるにゃん」
「いや、いらねーけど」
「なんでだよー。喜べってそこは」
「お前からもらったモンで、俺が喜んだことあんまねーだろ」
思い返すまでもなく、夏にもらった暑中見舞いはハバネロが練りこまれた激辛ソーメンだったし、バレンタインは……あー忘れとくか。
そういや、優人の所業を知ってるもうひとりは、珍しく羽織と4階のテーブルで何やら本を広げていた。
俺に気づいて苦笑したのは、あからさまに俺が羽織を蔑んだのがわかったんだろーよ。
でも、そりゃそーだろ?
学科違うのに、葉月にレポート手伝ってもらってんじゃねーよ。
だが、そう言う前に『心理学実験のお手伝いだから』と先行されたから言わないでやったけど。
「あ? なんだこれ」
「紅茶だよ、紅茶。薔薇のかほり」
「…………」
「やだぁ、そんないかがわしい目つきしなくても他意はないにゃん」
ぽんと渡されたのは、黒猫を象ったパッケージの何か。
成分表の書かれているラベルを見ると、確かにまあ怪しい単語は見受けられない。
だが……。
「はい、アウトー」
「っ……ンだよ」
「勘のいいガキは嫌いだよ」
「タメに言う台詞じゃねーだろ」
眼鏡をしてもいないのに直すような仕草をされ、思わず噴き出す。
てことはやっぱ、マトモなもんじゃねーってことだな。
仕方なく、取り出したスマフォをポケットへ戻し、ドアが開いたところでカウンターへ……ってなんだ。コイツも暇だな。
「忙しかったんじゃねーの?」
「忙しい」
「そう見えねーから聞いてんだろ」
今日の昼、学食へ行ったら席に着いた途端、『返しに行く時間がない』と祐恭から本の束を渡された。
つか、担々麺食おうとしてる俺に渡すなっつの。
どー考えても汁飛ぶだろ。
あれは間違いなく嫌がらせだと取っていい案件だった。
「どいもこいつも、暇なら帰れば?」
「だから、暇じゃないって……」
「あ、俺ちん忙しいから帰るわ」
「いや、お前が一番暇だろ」
「失敬だなー。これからハロウィンコンがあるのだよ」
「明日もあんのに、元気だな」
「いやー、それほどでも」
スチャ、と手を挙げた優人は言いながらガラスドアへ向かった。
知り合いでもないはずなのに、入れ違いで入ってきた女子数人に笑顔で挨拶をしながら。
「で? お前は帰んねーの?」
「4階に用事」
「……アイツまだ終わんねーぞ」
「なんでわかったんだよ」
「お前が敢えて足向ける理由なんざ、ンなもんだろ」
どいつもコイツも暇だな。
うっかり口走ったのが悪かったらしく、ふくらはぎを蹴飛ばされるはめになった。
*********
「これ、俺そんなに嫌いじゃないんだよね」
「疲れません?」
「計算は得意だから」
「うぅ……羨ましい」
「いや、本気に取らないでほしいんだけど」
図書館ではなく、場所を研究室へ移したあとも、彼女は数枚の結果用紙を見ながら平均値を求めるのに苦労していた。
それこそ、心理学実験はそれ用のプログラムもあるんだし、パソコンでやったほうが早そう……なんだけど、今回のものはタイムの平均値をもとにグラフを作るらしく、まだ手作業でいいらしい。
「あ。私淹れます」
「いいよ。俺は手伝っただけだし」
「でも……」
「まだかかるでしょ? 夜は長いね」
「……うぅ」
電気ケトルが止まったのを見て、立ち上がりかけた彼女を制す。
久しぶりにやったな、クレペリン作業検査。
単純に、隣り合う数字を足していく作業。
負荷はかかるが、さほど嫌いじゃないあたり性分なのかなんなのか。
まあ、彼女に貢献できてるっていうのが大きいんだろうけど。
「はい」
「わあ……甘い香り。いちごですか?」
「らしいね。優人がくれた」
「へえー!」
彼女へは、先ほど優人からもらった紅茶をホットで。
念のため味見はしたが、いわゆる普通のフレーバーティ……のはず。
多少色が濃い気はしないが、さすがにいかがわしいものを大事な従妹に渡さないだろ。
……多分。
「これもあげる」
「え? わ、かわいいですね」
「一緒に入ってたんだよ」
小さなかぼちゃの台座に立つ、猫のキャンドル。
尻尾部分に火がつくようになっていて、思った通り彼女は嬉しそうに手を伸ばした。
「…………」
気のせいかな、とは思った。
だが、どうやらそうじゃないらしい。
数人の実験結果をまとめている彼女……の唇に目がいく。
あー……そーゆーことか。
「え?」
「ごめん、もっと早く気付くべきだった」
「えっと……何がですか?」
手鏡なんてシャレたものはないが、つい今しがた使ったばかりの実験用鏡を彼女へ渡す。
違う違う。見るのは、ここ。
「っわ!」
「……こういう駄菓子あったよね、昔」
「そうなんですか?」
「あー……そうか、知らないか」
6歳違うってことは、それなりに文化も異なるからな。まあ仕方ない。
最初見たときは気のせいか、はたまた彼女自身の化粧かと思ったんだが、カップを口に運ぶたび濃くなっていくのは気のせいじゃなかった。
赤い紅茶の色が、唇を染めたらしい。
「あー……」
「赤いですか?」
「これはまた、なかなか……ゾンビ感ある」
「えぇ!?」
「冗談。色っぽいよ」
「もぅ……あんまり嬉しくないです」
頬に手を当てると、意図を察したのか彼女は唇を開いた。
舌まで真っ赤。
明日までに薄くなればいいけど、これで講義受けるってのはちょっとかわいそうだな。
「…………」
「……祐恭さん?」
唇が、普段とは異なる色味を帯びていて、それこそ……ちょっとイケナイ子に見えなくもない。
こういう色の口紅をすることはなさそうでか、色っぽいと素直に思う。
「っ……ん」
口づけると、かなり甘いイチゴの香りがした。
外国製品特有といえばそう。
だが、普段の口づけも甘いような気はしてるし、これはこれで特に問題ないか。
「ん……っ……ぁ、祐恭さん……」
「うん?」
「もぅ……あはは、ちょっとかわいい」
「え?」
ちゅ、と音を立てて離れると、さっき俺がしたように今度は彼女が俺の頬へ触れる。
かと思いきいや小さく笑われ、何が——……あー。
「しまった」
唇が染まるということは、そういうこと。
テーブルに置いたままの鏡を見ると、案の定ほんのりと唇が染まっていた。
「ハロウィンっぽいですね」
きっとなんの気なしの台詞だったんだろうが、だからこそふと決まり文句が浮かぶ。
「Trick or treat?」
「…………」
「…………」
「え、っと……え? お菓子ですか?」
「持ってる?」
「えぇ!?」
目の前で囁くと、きょとんとまばたいたあと意図を察したように目を丸くした。
さすが、よくわかってるね。
慌てたようにバッグを探ってはいるけれど、どうやらないらしい。
それじゃあ仕方ない。
通例に従うしかないよね。
「あ、あっ! 絵里にもらった、おせんべいならっ……!」
「お菓子ならなんでもいいわけじゃないんだよ?」
「えぇ!? そうなんですか?」
「treatだから、もてなしてくれないとね」
昔懐かしいパッケージの煎餅が現れ、味が一瞬浮かぶ。
小さいころ食べたな、そういえば。
今となっては食べる機会の減った、甘しょっぱいアレ。
それにしても、絵里ちゃん意外と渋いな。
とか言ったら、怒られそうだけど。
「まあもっとも、俺の場合は甘いもの食べないから何もいらないけどね」
「そんなぁ! それじゃ、こまっ……」
「困る?」
「っ……祐恭さん、ずるい……」
「そういう顔するほうが、よっぽどずるいと思うけど」
くすくす笑いながら近づくと、唇を結んで眉を寄せる。
ほんの少しだけ自分のせいで明かりが陰り、一層赤い唇が目についた。
「続きは家でしようか」
「で、でも、祐恭さん……忙しいんじゃ……」
「レポートのまとめの話だよ?」
「っ……!」
頬に指先で触れ、顎をたどって少しだけ上を向かせる。
ああ、その顔もかわいいね。
小さく笑って口づけると、まだイチゴの甘い香りがした。
********
「ふふ。小さい子は喜ぶでしょうね」
「そーか? 恭介さんが知ったら、怒りそうじゃね?」
「これくらいで怒ったりしないよ?」
ならよし。
赤と言うよりやや紫に近い色の口紅でもつけているかのような、葉月。
やめとけと言ったのに『おもしろそうだね』と意外な台詞とともにコイツは優人の紅茶を自ら口にした。
手鏡を覗きながらくすくす笑っている今、それこそ普段とはまるで違う濃い色の唇が余計目につく。
「…………」
色が白いからか、やけに目立つんだよな。
つか、えろい。
恐らくは無意識だろうが、手鏡をテーブルへ置いたまま指先で唇をなぞり、その様がやたら艶やかで。
ニュースで流れている作り物のメイクを纏う連中とはまた違う意味で目立つ。
「向こうでもやるのか? ハロウィン」
「んー、やるっていうか……イベントくらいかな。友達の家を訪ねることはしないよ」
「へえ」
まあ確かに、ハロウィンはアメリカがメインか。
とはいえ、数日前からうちの玄関にもくり抜かれたオレンジのかぼちゃが花台に鎮座しており、小さいながらも夜になると葉月は火を灯してランタンにしていた。
マメだなほんと。
まあ、もしかしなくても意外と祭りとかそーゆーの好きなんだろーけど。
「高校のときは、学校でチャリティパーティーをするの」
「チャリティ?」
「うん。その日だけは仮装して登校していいことになってる代わりに、募金を集めて市内の病院へ寄付するんだよ」
「はー。殊勝な心がけだな」
「せっかく人が集まるなら、貢献できるとなおいいって思うんじゃないかな」
となると、コイツの目には……いや、そういうことをしてる連中からしたら、単に仮装して酒飲んで挙げ句の果てに散らかすだけの連中はどう見えてるんだかな。
ソファへもたれたまま両手を頭の後ろで組み、テレビへ視線を移す。
と、ちょうどいいタイミングでハロウィンの中継から湯河原の温泉宿特集へと切り替わった。
「てことは、お前もなんか仮装したのか?」
「仮装っていうか……私の場合は、袴をはいて行ったけれど」
「は?」
隣へ腰掛けた葉月に、思い切り声が出た。
袴って……なんでまた。
いや、そりゃ日本人なら別におかしくねーけどよ。
にしたってまさかンな答え出てくるとか思わねーだろ。
よほど俺が意外そうな顔をしたらしく、葉月はくすくす笑うとスマフォを取り出して何か探し始めた。
「うわ、すっげぇ」
「ふふ。意外でしょう? お父さんもこんなことするんだよ」
「いや、それもあるけど……ってすげぇな。これ、ガチで人斬ってる顔じゃね」
「もう。怒られるよ?」
「……言うなよ」
スマフォの画面いっぱいに映る、恭介さんと葉月の写真。
だがしかし、まさかの袴違いっつーか……まさか居合の格好とは誰が思うよ。
白と紺の組み合わせといい、手にしてる大振りの模造刀といい……この血糊といい。
にこやかではなく不敵な笑みにしか見えず、ホンモノっぽくて一瞬背筋が震える。
「つか、さすがにこんなスプラッタで学校行かねーだろ?」
「行くよ?」
「マジで!?」
「まだ、おとなしいほうだと思うの。……ほら」
「うわ。グロい」
映し出されたのは、まさにゾンビ集団。
メイクもかなり凝っており、小さい子どもが見たら泣くレベル。
ゾンビだけでなくハラワタぶら下げてるミイラしかり、フランケンしかり、どいつもこいつもクオリティ高すぎだろ。
さすが海外。ちょっとナメてた。
「……こんな連中相手に授業するとか、教師もすげーな」
「ふふ。特別だね」
数枚の写真の中には授業風景もあり、ズタボロの服をまとう連中がみな大人しく着席していた。
つか、教員も仮装ってすげーな。
英語で書かれているのでぱっと見て英語の授業か見まごうが、多分違う。理科か何かだな。
ちなみに、写真に写っている教師は血まみれの白衣をまとっている。
「…………」
スマフォをいじり、写真の一覧からふたたび袴姿の葉月を選ぶ。
様々な連中と写ってはいるが、普段どころかまったく見たことのない姿に、つい興味が出たらしい。
白と紺の袴をまとい、高い位置で髪を結んでいる。
手には模造刀。
あー、こういうポスターありそう。
つか、じーちゃんが見たらこれを基にして剣士募集チラシ作りそうだなと素直に思った。
「ん?」
「いや……お前和装似合うな」
「そうかな? ありがとう」
素直な感想を伝えると、いつもと同じように笑みを浮かべる。
袴も悪くねーな。
機会があったら、こっちでも着たらいい。
「…………」
がしかし、そういって笑った葉月は、写真とは異なり艶やかな唇のまま。
違う意味で目が行き、スマフォを返しながら体の向きを変える。
「え?」
「言ってみ?」
「Happy Halloween?」
「そっちじゃねぇやつ」
あー、そうだな。お前は言わないだろうよ。
首をかしげたのを見ながら、指先で頬に触れる。
さらりと髪が流れ、ほのかに甘い香りがした。
ああ、そういやあの紅茶も薔薇だつってたっけな。
実際に甘いかどうかは知らないが、少なくとも香りは十分甘かった。
「Trick or treat?」
聞き返す意味だったんだろうが、よほどいい発音でささやかれ小さく笑いが漏れる。
残念。あいにくもう、手元に菓子はない。
テーブルの端に、お袋が職場で配ったらしいチョコの残りがあったが、それは見ないことにした。
「So naughty」
「ッ……たーくん!」
「発音がえろい」
「そういう使い方しないでしょう? もう!」
「なんだよ。褒めてンぞ、これでも」
「だって……びっくりするじゃない」
言葉通り、葉月は目を丸くした。
だが、ほんのり頬を染めており、それがさらに……だからえろいんだよ、お前。
「んっ……!」
視線を逸らしたのを見てから口づけ、押さえ込むように腕を回す。
菓子はいらないし、これといって渡せる何かはない。
が、そっちが先に希望したんであれば、しょーがねぇだろ。
大人しく……いや、甘んじて受ければいい。
「……ふ……」
わずかに漏れた吐息が、やけに耳について。
向けられた眼差しが色っぽく見えるのは、唇のせいなんだろうな。
小さく笑うとついなぞるように唇に触れており、くすぐったようにつぐまれたが、その仕草がかえってぞくりとさせられた。
でもえろくならなかった。
もうしわけなす。
「トリックオアトリート!」
「いや……お前な」
「お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ!」
「……暇なの?」
平日も平日。特にノー残業でもなんでもない日だろうし、そもそもそんな言葉は皆無な業界にいるのはお互い様。
なのに、優人はわざわざ大学まで姿を見せたどころか、俺の研究室にまで足を伸ばしてきた。
ああ、暇なんだなお前。羨ましい。
片手には、コイツがよく『ファッションの一部』と言っているコーヒーチェーン店のカップがあり、しかもそこにはいかにもってくらいかわいらしい文字でフルネームと『お疲れさまです』の言葉が添えられていた。
「今日、羽織と会うだろ?」
「いや、平日だからどうかな。レポートがどうのって、昨日も図書館へ詰めてたし」
会えるならそりゃ会いたい相手。
だが、学生の本分は勉強であり、資料を集めるとか整理するのが苦手とも言っていたあたりからして、今日は難しいかもしれない。
まあ、その辺を口実に……ってわけにいかないんだけど。
俺もちょっと忙しい。
「あー、ちょっと待った」
「え、なになに? なんかくれんの?」
「ああ」
にこにことなぜか楽しげな優人を見ていたら、ふと思い出した。
今日の2限目に学生からもらった、クッキーがあったんだったな。
「ほら。これやるから帰れ」
「うっは、すげ! なにこれ、手作り?」
「市販」
「へーすっげー! いやー、昨今のハロウィンブームはすごいですなー」
手のひらよりも大きなサイズの、クモ……を象ったクッキー。
ご丁寧に模様までチョコレートで描かれており、見た目のグロテスクさとビビッドな色遣いも相まってまったく食欲が湧かなかった。
あー、よかった。ちょうどいいところにきてくれて。
これで無事処分先が決まった。
「あ、そんじゃ俺からもプレゼントあげる」
「いや、普通逆だろ? ていうか、菓子渡したんだから帰れよ」
「やだなー、大人ですから。たしなみ程度におすそわけ」
にっこり笑って差し出されたのは、真っ黒い袋。
いかにも怪しげで、眉が寄る。
「そんな顔すんなって。羽織ちゃんきっと大喜び」
「嘘つけ」
「ひどいなーホントだって。羽織の好きな、いちご味だもん」
「……味?」
「そ。一緒に召しあがれ」
いつだって優人の笑みは嘘くさい。
だが、彼女の名前を出されると弱い……って待て。なんか去年もこんなことなかったか。
「あ! おま、ちょっ……待てって!」
「いやー俺っち忙しいんだわー。このあと図書館行かなきゃなんないし」
「……お前、怒られるぞ」
「あ、慣れてるから平気」
ほとんど人通りのないここと違い、図書館は不特定多数の人間が行き交う場所。
まだ閉館時間にはほと遠いが、ドアからコイツが入ったら間違いなく孝之は嫌がるだろうよ。
まあ、実際は優人の扱いに一番慣れてそうだけど。
るんたるんたと楽しげに去っていく後ろ姿をそれ以上何も言わずに見送ったことに、何も問題はなかった。
「…………」
いちご味。
とか言いながら、絶対怪しい何かじゃないのか。
「……あれ」
装飾の一切ない袋の封を切ると、意外にも中からはイチゴフレーバーの紅茶が出てきた。
うわ、普通だ。いや、普通か?
いかにも外国製品ではあるが、ざっと見たところいかがわしい要素はない。
しいていうなら、ピンクのリボンを付けた黒猫を象ったパッケージが、唯一ハロウィンっぽいか。
「…………」
紅茶か。
こういう普通の物も買うんだな、アイツ。
たしかに彼女が好きそうで、そう思ったからこそ……あー、会いたくなるだろ。くそ。
学内にいるかどうかわからないものの、今まとめていた作業を終えたらメッセージを送る気になった。
******
「……お前暇だな」
「あれ、なんかそれデジャヴ」
「あっそ」
返却図書を棚へ戻し、階段を降りようとしたところで4階のエレベーターが口を開けた。
乗ってたのは、優人のみ。
いるはずないヤツがいると結構ビビるものの、コイツなら仕方ないと思うあたり俺も割とどうかしてる。
「トリックオアトリート!」
「ほらよ」
「え、なんで持ってんの?」
「さっきもらった」
エレベーターへ乗り込み、下階へ。
ワイシャツのポケットから、ハロウィン用に作られたお化けのパッケージのチョコを渡すと、それはそれは意外そうな顔をされた。
お前のそーゆー顔久しぶりに見た。
ある意味貴重か。
テレビのニュースで賑わう都内とは違い、少なくとも俺の周辺でイベントはない。
駅前の商店街や市立図書館では、子ども向けのイベントが1週間ほど行われていたが、大学じゃねーよな。さすがに。
とか思ったものの、マメに折り紙やら色画用紙であちこち野上さんがデコってたけど。
そういや今朝は、魔女がかぶってそうな帽子を持ってうろうろしてたけどな。
小さい子どもが来ることはほとんどない場所なのにやるってことは、本人が楽しんでるってことだろ。
さすがにねーな。俺には。
「じゃあ、これはたーくんにあげるにゃん」
「いや、いらねーけど」
「なんでだよー。喜べってそこは」
「お前からもらったモンで、俺が喜んだことあんまねーだろ」
思い返すまでもなく、夏にもらった暑中見舞いはハバネロが練りこまれた激辛ソーメンだったし、バレンタインは……あー忘れとくか。
そういや、優人の所業を知ってるもうひとりは、珍しく羽織と4階のテーブルで何やら本を広げていた。
俺に気づいて苦笑したのは、あからさまに俺が羽織を蔑んだのがわかったんだろーよ。
でも、そりゃそーだろ?
学科違うのに、葉月にレポート手伝ってもらってんじゃねーよ。
だが、そう言う前に『心理学実験のお手伝いだから』と先行されたから言わないでやったけど。
「あ? なんだこれ」
「紅茶だよ、紅茶。薔薇のかほり」
「…………」
「やだぁ、そんないかがわしい目つきしなくても他意はないにゃん」
ぽんと渡されたのは、黒猫を象ったパッケージの何か。
成分表の書かれているラベルを見ると、確かにまあ怪しい単語は見受けられない。
だが……。
「はい、アウトー」
「っ……ンだよ」
「勘のいいガキは嫌いだよ」
「タメに言う台詞じゃねーだろ」
眼鏡をしてもいないのに直すような仕草をされ、思わず噴き出す。
てことはやっぱ、マトモなもんじゃねーってことだな。
仕方なく、取り出したスマフォをポケットへ戻し、ドアが開いたところでカウンターへ……ってなんだ。コイツも暇だな。
「忙しかったんじゃねーの?」
「忙しい」
「そう見えねーから聞いてんだろ」
今日の昼、学食へ行ったら席に着いた途端、『返しに行く時間がない』と祐恭から本の束を渡された。
つか、担々麺食おうとしてる俺に渡すなっつの。
どー考えても汁飛ぶだろ。
あれは間違いなく嫌がらせだと取っていい案件だった。
「どいもこいつも、暇なら帰れば?」
「だから、暇じゃないって……」
「あ、俺ちん忙しいから帰るわ」
「いや、お前が一番暇だろ」
「失敬だなー。これからハロウィンコンがあるのだよ」
「明日もあんのに、元気だな」
「いやー、それほどでも」
スチャ、と手を挙げた優人は言いながらガラスドアへ向かった。
知り合いでもないはずなのに、入れ違いで入ってきた女子数人に笑顔で挨拶をしながら。
「で? お前は帰んねーの?」
「4階に用事」
「……アイツまだ終わんねーぞ」
「なんでわかったんだよ」
「お前が敢えて足向ける理由なんざ、ンなもんだろ」
どいつもコイツも暇だな。
うっかり口走ったのが悪かったらしく、ふくらはぎを蹴飛ばされるはめになった。
*********
「これ、俺そんなに嫌いじゃないんだよね」
「疲れません?」
「計算は得意だから」
「うぅ……羨ましい」
「いや、本気に取らないでほしいんだけど」
図書館ではなく、場所を研究室へ移したあとも、彼女は数枚の結果用紙を見ながら平均値を求めるのに苦労していた。
それこそ、心理学実験はそれ用のプログラムもあるんだし、パソコンでやったほうが早そう……なんだけど、今回のものはタイムの平均値をもとにグラフを作るらしく、まだ手作業でいいらしい。
「あ。私淹れます」
「いいよ。俺は手伝っただけだし」
「でも……」
「まだかかるでしょ? 夜は長いね」
「……うぅ」
電気ケトルが止まったのを見て、立ち上がりかけた彼女を制す。
久しぶりにやったな、クレペリン作業検査。
単純に、隣り合う数字を足していく作業。
負荷はかかるが、さほど嫌いじゃないあたり性分なのかなんなのか。
まあ、彼女に貢献できてるっていうのが大きいんだろうけど。
「はい」
「わあ……甘い香り。いちごですか?」
「らしいね。優人がくれた」
「へえー!」
彼女へは、先ほど優人からもらった紅茶をホットで。
念のため味見はしたが、いわゆる普通のフレーバーティ……のはず。
多少色が濃い気はしないが、さすがにいかがわしいものを大事な従妹に渡さないだろ。
……多分。
「これもあげる」
「え? わ、かわいいですね」
「一緒に入ってたんだよ」
小さなかぼちゃの台座に立つ、猫のキャンドル。
尻尾部分に火がつくようになっていて、思った通り彼女は嬉しそうに手を伸ばした。
「…………」
気のせいかな、とは思った。
だが、どうやらそうじゃないらしい。
数人の実験結果をまとめている彼女……の唇に目がいく。
あー……そーゆーことか。
「え?」
「ごめん、もっと早く気付くべきだった」
「えっと……何がですか?」
手鏡なんてシャレたものはないが、つい今しがた使ったばかりの実験用鏡を彼女へ渡す。
違う違う。見るのは、ここ。
「っわ!」
「……こういう駄菓子あったよね、昔」
「そうなんですか?」
「あー……そうか、知らないか」
6歳違うってことは、それなりに文化も異なるからな。まあ仕方ない。
最初見たときは気のせいか、はたまた彼女自身の化粧かと思ったんだが、カップを口に運ぶたび濃くなっていくのは気のせいじゃなかった。
赤い紅茶の色が、唇を染めたらしい。
「あー……」
「赤いですか?」
「これはまた、なかなか……ゾンビ感ある」
「えぇ!?」
「冗談。色っぽいよ」
「もぅ……あんまり嬉しくないです」
頬に手を当てると、意図を察したのか彼女は唇を開いた。
舌まで真っ赤。
明日までに薄くなればいいけど、これで講義受けるってのはちょっとかわいそうだな。
「…………」
「……祐恭さん?」
唇が、普段とは異なる色味を帯びていて、それこそ……ちょっとイケナイ子に見えなくもない。
こういう色の口紅をすることはなさそうでか、色っぽいと素直に思う。
「っ……ん」
口づけると、かなり甘いイチゴの香りがした。
外国製品特有といえばそう。
だが、普段の口づけも甘いような気はしてるし、これはこれで特に問題ないか。
「ん……っ……ぁ、祐恭さん……」
「うん?」
「もぅ……あはは、ちょっとかわいい」
「え?」
ちゅ、と音を立てて離れると、さっき俺がしたように今度は彼女が俺の頬へ触れる。
かと思いきいや小さく笑われ、何が——……あー。
「しまった」
唇が染まるということは、そういうこと。
テーブルに置いたままの鏡を見ると、案の定ほんのりと唇が染まっていた。
「ハロウィンっぽいですね」
きっとなんの気なしの台詞だったんだろうが、だからこそふと決まり文句が浮かぶ。
「Trick or treat?」
「…………」
「…………」
「え、っと……え? お菓子ですか?」
「持ってる?」
「えぇ!?」
目の前で囁くと、きょとんとまばたいたあと意図を察したように目を丸くした。
さすが、よくわかってるね。
慌てたようにバッグを探ってはいるけれど、どうやらないらしい。
それじゃあ仕方ない。
通例に従うしかないよね。
「あ、あっ! 絵里にもらった、おせんべいならっ……!」
「お菓子ならなんでもいいわけじゃないんだよ?」
「えぇ!? そうなんですか?」
「treatだから、もてなしてくれないとね」
昔懐かしいパッケージの煎餅が現れ、味が一瞬浮かぶ。
小さいころ食べたな、そういえば。
今となっては食べる機会の減った、甘しょっぱいアレ。
それにしても、絵里ちゃん意外と渋いな。
とか言ったら、怒られそうだけど。
「まあもっとも、俺の場合は甘いもの食べないから何もいらないけどね」
「そんなぁ! それじゃ、こまっ……」
「困る?」
「っ……祐恭さん、ずるい……」
「そういう顔するほうが、よっぽどずるいと思うけど」
くすくす笑いながら近づくと、唇を結んで眉を寄せる。
ほんの少しだけ自分のせいで明かりが陰り、一層赤い唇が目についた。
「続きは家でしようか」
「で、でも、祐恭さん……忙しいんじゃ……」
「レポートのまとめの話だよ?」
「っ……!」
頬に指先で触れ、顎をたどって少しだけ上を向かせる。
ああ、その顔もかわいいね。
小さく笑って口づけると、まだイチゴの甘い香りがした。
********
「ふふ。小さい子は喜ぶでしょうね」
「そーか? 恭介さんが知ったら、怒りそうじゃね?」
「これくらいで怒ったりしないよ?」
ならよし。
赤と言うよりやや紫に近い色の口紅でもつけているかのような、葉月。
やめとけと言ったのに『おもしろそうだね』と意外な台詞とともにコイツは優人の紅茶を自ら口にした。
手鏡を覗きながらくすくす笑っている今、それこそ普段とはまるで違う濃い色の唇が余計目につく。
「…………」
色が白いからか、やけに目立つんだよな。
つか、えろい。
恐らくは無意識だろうが、手鏡をテーブルへ置いたまま指先で唇をなぞり、その様がやたら艶やかで。
ニュースで流れている作り物のメイクを纏う連中とはまた違う意味で目立つ。
「向こうでもやるのか? ハロウィン」
「んー、やるっていうか……イベントくらいかな。友達の家を訪ねることはしないよ」
「へえ」
まあ確かに、ハロウィンはアメリカがメインか。
とはいえ、数日前からうちの玄関にもくり抜かれたオレンジのかぼちゃが花台に鎮座しており、小さいながらも夜になると葉月は火を灯してランタンにしていた。
マメだなほんと。
まあ、もしかしなくても意外と祭りとかそーゆーの好きなんだろーけど。
「高校のときは、学校でチャリティパーティーをするの」
「チャリティ?」
「うん。その日だけは仮装して登校していいことになってる代わりに、募金を集めて市内の病院へ寄付するんだよ」
「はー。殊勝な心がけだな」
「せっかく人が集まるなら、貢献できるとなおいいって思うんじゃないかな」
となると、コイツの目には……いや、そういうことをしてる連中からしたら、単に仮装して酒飲んで挙げ句の果てに散らかすだけの連中はどう見えてるんだかな。
ソファへもたれたまま両手を頭の後ろで組み、テレビへ視線を移す。
と、ちょうどいいタイミングでハロウィンの中継から湯河原の温泉宿特集へと切り替わった。
「てことは、お前もなんか仮装したのか?」
「仮装っていうか……私の場合は、袴をはいて行ったけれど」
「は?」
隣へ腰掛けた葉月に、思い切り声が出た。
袴って……なんでまた。
いや、そりゃ日本人なら別におかしくねーけどよ。
にしたってまさかンな答え出てくるとか思わねーだろ。
よほど俺が意外そうな顔をしたらしく、葉月はくすくす笑うとスマフォを取り出して何か探し始めた。
「うわ、すっげぇ」
「ふふ。意外でしょう? お父さんもこんなことするんだよ」
「いや、それもあるけど……ってすげぇな。これ、ガチで人斬ってる顔じゃね」
「もう。怒られるよ?」
「……言うなよ」
スマフォの画面いっぱいに映る、恭介さんと葉月の写真。
だがしかし、まさかの袴違いっつーか……まさか居合の格好とは誰が思うよ。
白と紺の組み合わせといい、手にしてる大振りの模造刀といい……この血糊といい。
にこやかではなく不敵な笑みにしか見えず、ホンモノっぽくて一瞬背筋が震える。
「つか、さすがにこんなスプラッタで学校行かねーだろ?」
「行くよ?」
「マジで!?」
「まだ、おとなしいほうだと思うの。……ほら」
「うわ。グロい」
映し出されたのは、まさにゾンビ集団。
メイクもかなり凝っており、小さい子どもが見たら泣くレベル。
ゾンビだけでなくハラワタぶら下げてるミイラしかり、フランケンしかり、どいつもこいつもクオリティ高すぎだろ。
さすが海外。ちょっとナメてた。
「……こんな連中相手に授業するとか、教師もすげーな」
「ふふ。特別だね」
数枚の写真の中には授業風景もあり、ズタボロの服をまとう連中がみな大人しく着席していた。
つか、教員も仮装ってすげーな。
英語で書かれているのでぱっと見て英語の授業か見まごうが、多分違う。理科か何かだな。
ちなみに、写真に写っている教師は血まみれの白衣をまとっている。
「…………」
スマフォをいじり、写真の一覧からふたたび袴姿の葉月を選ぶ。
様々な連中と写ってはいるが、普段どころかまったく見たことのない姿に、つい興味が出たらしい。
白と紺の袴をまとい、高い位置で髪を結んでいる。
手には模造刀。
あー、こういうポスターありそう。
つか、じーちゃんが見たらこれを基にして剣士募集チラシ作りそうだなと素直に思った。
「ん?」
「いや……お前和装似合うな」
「そうかな? ありがとう」
素直な感想を伝えると、いつもと同じように笑みを浮かべる。
袴も悪くねーな。
機会があったら、こっちでも着たらいい。
「…………」
がしかし、そういって笑った葉月は、写真とは異なり艶やかな唇のまま。
違う意味で目が行き、スマフォを返しながら体の向きを変える。
「え?」
「言ってみ?」
「Happy Halloween?」
「そっちじゃねぇやつ」
あー、そうだな。お前は言わないだろうよ。
首をかしげたのを見ながら、指先で頬に触れる。
さらりと髪が流れ、ほのかに甘い香りがした。
ああ、そういやあの紅茶も薔薇だつってたっけな。
実際に甘いかどうかは知らないが、少なくとも香りは十分甘かった。
「Trick or treat?」
聞き返す意味だったんだろうが、よほどいい発音でささやかれ小さく笑いが漏れる。
残念。あいにくもう、手元に菓子はない。
テーブルの端に、お袋が職場で配ったらしいチョコの残りがあったが、それは見ないことにした。
「So naughty」
「ッ……たーくん!」
「発音がえろい」
「そういう使い方しないでしょう? もう!」
「なんだよ。褒めてンぞ、これでも」
「だって……びっくりするじゃない」
言葉通り、葉月は目を丸くした。
だが、ほんのり頬を染めており、それがさらに……だからえろいんだよ、お前。
「んっ……!」
視線を逸らしたのを見てから口づけ、押さえ込むように腕を回す。
菓子はいらないし、これといって渡せる何かはない。
が、そっちが先に希望したんであれば、しょーがねぇだろ。
大人しく……いや、甘んじて受ければいい。
「……ふ……」
わずかに漏れた吐息が、やけに耳について。
向けられた眼差しが色っぽく見えるのは、唇のせいなんだろうな。
小さく笑うとついなぞるように唇に触れており、くすぐったようにつぐまれたが、その仕草がかえってぞくりとさせられた。