どれくらい、経ったのかな。
少し遅れて、数発目の花火が夜空に上がった。
距離があるから、さすがに昼間のように……とはいかないけれど、でも、それでもきっと見ている顔だけは光で照らされていたに違いない。
ドーン、と身体にまで響く大きな音。
ぱっという音が聞えそうなほど見事に咲く、大きな華。
当然だけど、同時に周りからは歓声があがった。
周りを見回すまでもなく、みんな、相手がいる人たちばかり。
私みたいにひとりきりで、花火を楽しむ余裕もない人なんてここにはいない。
……ただ。
如いてあげるとするならば――……私の隣にいてくれた、祐恭さん。
彼ひとりを除いては。
「…………」
きゅ、と握った手を見ると、なんだか切なくなった。
つい……ほんの、ついさっきまでは、繋がれていた手。
温かくて、ほっとして、安心して……心強くて。
消えることなく、ずっとこのままって思うほど確かにあったものなのに、今は感触すら思い出せそうにない。
……なんで離れたんだろう。
彼を感じられなくなった途端、不安でいたたまれなくなった。
心細くて……怖くてどうしようもない自分がいて、なんとか落ち着かせようと呼吸を整えるのが今の私にできる精一杯。
……どうしよう……。
周りを見ても、彼を見つけられない。
背だって低いほうじゃないし、存在感だって、私と違って色濃くある人。
……だけど、今はどこにもない。
彼という人を表してくれる、はっきりとしたすべてのものが。
…………電話、したら繋がるかな……。
今じゃ、小学生だって携帯電話を持ってる時代。
だから当然、私だって持っていた。
彼だって、そう。
お互いの番号とメールアドレスは、目をつぶっても書けるくらいちゃんと覚えてる。
――……だけど。
「……なんで……」
履歴の1番上にあった彼の番号を押したのに、返事はどれも無機質な呼び出し音だった。
二度、三度。
いつか繋がるんじゃないかと思って、かけたのに。
なのに結局、呼び出し音のあとには決まって『伝言サービス』への接続を告げる切ない女性の声だった。
「……どうしよう……」
とりあえず、1度部屋に戻ったらいいだろうか。
そうすれば、いつかきっと彼は戻って来てくれると思う。
携帯を見て、着信があることに気付いてくれるかもしれない。
……だけど。
「…………祐恭さぁん……」
ここには、沢山の人がいる。
だけど、私の隣には、いてほしい……いてくれるべき人の姿がない。
こんなにも、人がいるのに。
なのに私だけ、ひとりぼっち。
この現実があまりにも寂しくて、つらくて、悲しくて……どうしようもない孤独感に今にも押し潰されてしまいそうになる。
だけど、元はといえば私が悪いんだ。
――……あのとき。
彼と離れてしまうキッカケになったあのとき。
私は、向かいから来た人にぶつかられて、そのまま流されてしまった。
……でも、まさか、こんなことになるなんて思わなかったんだもん。
流されたなら、戻ればいいだけ。
単純だから、そう考えてたのに……いくら元の場所を求めて進んでも、求める先に彼の姿が浮かぶことはなかった。
「…………」
途端に不安で怖くなる。
手段はあるのに、繋がらない相手。
思わずぎゅっと携帯を握り締めると、わずかに涙が滲みそうだった。
「……?」
私が今いる場所は、ちょうど橋の真ん中あたり。
だから、欄干付近にはずらりと外灯が整列している。
……影……なんてできるはずないのに。
ふいに手元が暗くなって顔を上げるも、当然そこに誰かがいるはずもなかった。
だって私は、欄干へもたれるようにして川側を向いていたんだから。
「ひとり?」
「え?」
「ヒマなの? ……あぁ、それとも迷子?」
「っ……」
くすっと笑ったような声がして、思わず喉が鳴った。
身を硬くしてぎゅっと携帯を握り、もう片方の手も重ねる。
……誰?
そもそも、かけられている声は、生憎背中側。
振り返ろうにも、混雑と――……そして、得体の知れない恐怖心からか、実行できないまま。
「……ね。ヒマ?」
「っ……!」
ぽん、と肩に手が置かれた。
途端に、ぞわぞわっと嫌な感じが身体を走る。
……なに……っなに……!?
突然のことでどうしていいのかわからず、ただただ身を縮こませたまま俯く。
背後からの、突然の言動。
私の手元が暗くなったということは、もしかしなくても私より背が高い人?
……どうしよう……っ。
これは、もしかしたら、やっぱり……ナンパ、なんだろうか。
どくどくと速くなる脈のまま身を硬くしていると、また小さく背後で笑う声が聞こえた。
「ひとりなの? そうじゃないの?」
「あ……の、待ち合わせしてて……」
「こんな場所で? そういう見え見えの嘘はやめたほうがいいんじゃない?」
「やっ、ホントに……!」
本当に、一緒なの。
一緒、だったの。
…………つい……ほんのさっきまでは。
そう思うと、また視線が落ちた。
「でも、ホントに……っ! ……彼と、待ち合わせしてて……」
「ふぅん。彼、ね。でも、来ないんじゃない?」
「っ! そんなことは……! だって、これからっ……来るって言ってて……」
視線を落としてしどろもどろに呟くと、自然に声が小さくなっていった。
……本当、だといい。
そうなってくれれば、どれだけいいか。
彼がここに今駆けつけてくれたら――……きっと、こんな状況からすぐに逃げ出せるのに。
「そんなんじゃ、簡単に断れないよ?」
「……でも本当に……」
ただひたすら、その言葉を呪文みたいに繰り返す。
だって、今の私にできるのは、ただこれだけなんだもん。
真実かどうか、そうなるかどうかは私にもわからない。
どうすることもできない状況。
だけど、こう言っていると本当にそうなってくれるような気がして、少しだけ萎んだ心が力を取り戻すように思えた。
「っ……!」
だけど、その途端。
これまでずっと後ろ向きでのやり取りから進むことがなかったけれど、突然彼が肩に置いたままだった手を強く引いた。
お陰で、ビックリするくらい簡単に、身体の向きが変わる。
……や……だ……!
背に欄干が当たると同時に、ぐいっと近づいた顔。
それは、上からの外灯で影が落ちているけれど、確かに男の人のものだった。
「大声で名前呼べば飛んでくるかもね」
「っ………え……?」
向き合ってしまうのが嫌で、反射的に背けた顔。
だけど……その、声。
間違えるはずのないその声で見あげると、そこには優しい――……とはちょっとだけ言えないような表情をした、先生その人がいた。
「なっ……な!?」
「……ったく。いくら声色が違うからって、心外だな」
先ほどまで被っていた影は、どこへやら。
今は、しっかりと顔を上げてくれているお陰で、表情ひとつひとつをきちんと見ることができる。
……うそ……。
でも、だって、さっきまではあんなに……!
それこそ、本当に『違う人』そのものだった。
雰囲気も、声も。
だからこそ、本当に不安で怖くてたまらなかったのに。
「しかし、この短時間で迷子とはね……。ナンパとかより、そっちの心配しなきゃいけなかったか」
肩を引き寄せてくれた彼は、くすくすと笑いながら欄干にもたれた。
大きな手のひらは、さっきまでとはまったく違う雰囲気。
温かくて……本当に、落ち着く安心するもので。
「……羽織ちゃん?」
「なんで……っ……なんで、こんな……」
たまらず、安心した途端小さな子みたいに彼へべったりとしがみついていた。
でも、本当に怖かったんだもん。
ましてや、彼は楽しんでいたみたいだけれど……私は、これっぽっちもそんな思いなんてなかった。
電話しても繋がらないし、あたりを見回しても見つからないし。
……本当に、本当に不安で怖かったのに。
「もぉ……っ……なんで電話に出てくれなかったんですか……!」
泣きそうになるのを堪えながら、顔を上げて彼を見つめる。
すると、そんな私の雰囲気が伝わったのか、ふっと笑みを消して少しだけ申し訳なさそうな顔を見せた。
「ごめん。不安にさせて悪かったよ」
「……ホントに……っ怖かったんです」
どうしようか、って。
彼の姿が見えない間、ずっとずっと不安でたまらなかった。
だけど、今はもう……平気なはず。
ただ、こうして抱きついてしまったのは、これまでの寂しさと不安に耐えた自分へ、『いつだって大丈夫なんだ』って言ってあげたかったからかもしれない。
だって……なんか、何度も電話したことを彼は知っているみたいな感じだったから。
「いや、ホントはすぐに声かけようと思ったんだけど。でも、ちょっとやりたくて」
「……もぉ……なんで、そんな……」
「ほら。ずっと、目の前にいたしね」
まるで、いたずらが見つかった子どもみたいに、彼は参ったなと言いたげに苦笑を浮かべた。
「あっ!」
顔を伏せ気味にしていたら、ぱっと周囲が明るくなった。
見ると、次々上がっていく花火。
きれいな色とりどりの花々が、身体に響く音とともに夜空へ広がる。
ひとつひとつ種類の違う、花火。
しかも、遠く山の上のほうで上げられているとはいえ、風で雲がきれいに流れてくれているからか、ハッキリくっきりとした輪郭が見えている。
「すごーい」
先ほどまでとは、180度違うと言ってもいいかもしれない。
だけど、瞬時に浮かんだ笑顔で息を漏らした途端、彼が耳元で小さく笑った。
「……ゲンキンだな」
「え?」
「誰だ? さっきまで、迷子で泣きそうになってたのは」
「……う。だって……」
眉を寄せて彼を見ると、口元を緩ませてから空を見上げた。
……うー。
その、悪戯っぽくてからかうように言ったあとの優しい顔とのギャップが、なんだか妙な感じなんですけれど。
…………先生って、ズルい。
あ。祐恭さん、って言わないと怒られるだろうけれど。
「…………」
そっと、彼の胸あたりに頭を付けてから、顔を覗くように視線を上げる。
するとそこには、花火の白くて強い光が入って普段とまったく違う印象の瞳があった。
……でも、それだけじゃない。
まるで、懐かしむかのように微笑んでいる顔は、ちょっとだけ幼いようにも思える。
「祐恭さんだって、楽しそうですよ?」
「ん。楽しいよ? ……彼女と一緒ならね」
言いながら腕に力を込められ、きゅっと、一層密着具合が高まった。
……えへへ。嬉しい。
彼に抱きしめられるのは、本当に大好き。
幸せで、ほっとして……イチバンだって思える。
そんな気持ちからひとりでにまにましていたら、彼が顔を覗き込むように私を見た。
「ほら、せっかく花火見に来たんだろ? ちゃんと見てないと終わっちゃうよ?」
「あ……」
「……それとも、そんなに俺のこと見てたいワケ?」
「っ……ち、違いますっ……!」
いたずらっぽく笑われ、かぁっと頬が熱くなる。
そ、そんなんじゃ……や、あの……あるには、あったんですけど……。
でも、まさかバレてたなんて思わなかったから。
「ほら。終わっちゃうよ?」
「……み……見てますもん」
くすくす笑われ、両手を頬に当てる。
――……ものの。
このあとの花火は、なんだかどきどきしすぎた鼓動のせいで、音が小さかったような気がした。
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