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「うわぁ……!」
 まっすぐ駐車場へ入った途端、目の前には光を受けて輝く湖面が広がっていた。
「祐恭さん、早くっ」
「わかってるよ」
 珍しく、颯爽と車を降りて前方へ回った彼女に、苦笑を浮かべながら降りて鍵を閉める。
 ……随分積極的だな。
 まぁ、気持ちはわからないでもないけど。
 コレほどまでにデカい湖なんて、冬瀬近くにはなかなかないからな。
「……すごい……きれいですね」
「だね」
 駆け寄るように隣へ来た彼女の手を取って、のんびりと湖に向かう。
 ……ここも、人が多いな。
 夏休みという魔力は、どこにでも平均的に働いているらしい。
「気持ちいい……」
 さわさわと吹く風は、水辺のお陰なのか、心地よかった。
 まるで、ここだけひと足早く秋になったみたいだ。
 流れる髪を押さえる彼女を見ながら、笑みが浮かぶ。
 手を繋いだまま散策してみると、様々な目的でここに来ている人々が目に入った。
 鯉に餌をやる家族連れ、ボートに乗るカップル、記念撮影する団体。
 それぞれが、それぞれの楽しみ方で満喫している様子を見ていると、なんかこう、のどかというか……ホントに、典型的な休日ともいうか。
「祐恭さん?」
「ん?」
 いつの間にか足が止まっていたらしく、声をかけられてそちらを見ると、少しだけ不思議そうな彼女がいた。
「あ、いや。なんか……のんびりしてるな、と思って」
「そうですね」
 今度は、くすくす笑いながらうなずいた彼女に手を引かれる番になった。
 まるで、行き先でも知っているかのように、先を歩きながら俺を導く。
 ……なんか……アレだな。
 まるで、休日ごろごろしている旦那を『ねぇ、早く行こうよ』とか言いながら引っ張る幼な妻みたいで、悪い気はしない。
 …………。
 ……ホント、平和だな。
 こんこん、と軽く頭を叩きながら息をつくと、つくづく平和ボケしている自分がおかしい。
「ねぇ、先生」
「祐恭」
「……ぅ。祐恭さん」
 さりげに出たな、今のは。
 多分、無意識に言ったんだろう。
 鋭く瞳を細めてつっこむと、素直に訂正した。
 ……かわいいね、君は。
 少し照れくさそうに名前を呼んでくれるのは、本当に楽しい。
「で。何?」
「あの……ボート、乗りませんか?」
「ボート?」
 足を止めて、彼女がちらりと見た先。
 そこには、仲睦まじげにボートに乗り込むカップルの姿があった。
 ……なるほど。
「転覆したいの?」
「えぇ!?」
 さらりと口にすると、ものすごい反応をされた。
 相変わらず、何事にも……そして何時でも一生懸命な彼女。
 からかいたくなる気持ちは、多くの人にわかってもらえるだろう。
「えっと……漕げませんか?」
「まさか。これでも平均的に体力は持ち合わせてるけど」
 おずおずと見上げた彼女に、笑いながら首を振る。
 すると、ようやくぱっと表情を明るくしてから、俺の手を改めて引いた。
「じゃあ、行きましょ?」
「わかったよ」
 珍しく、彼女のが乗り気――……というか、まるで子どものようにはしゃいでいる。
 この姿を見るのは、いったいいつ振りだろうか。
「30分になりますね。気をつけて行ってらしてください」
「どうも」
 笑顔が似合う、係員のおばちゃん。
 乗り込む際、彼女は手を掴んでもらって助けられた。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
 ほっとしたらしく、俺の向かいに座った彼女。
 手を振ってそう告げると同時に、オールを漕ぐ。
「……なんか……いそうですよね、こういう湖って」
「早速だな」
 桟橋から、まだ数メートルと離れていない付近で、おもむろに彼女が口を開いた。
 決して、透明度の高いきれいな水とは言えない湖。
 だが、こうしてボートなんかに乗るのは、それこそ初めて。
 しばらくオールを手前に漕ぎ続け、ほとりから大分離れたところで静かに力を緩める。
「……あ」
「え?」
「デカい波が来るな」
「波?」
 ふと、目に入ったもの。
 彼女の遥か後方にあるからこそ、彼女は気付いていないんだろう。
 ……黙っててもいいが。
 ぱちぱちとまばたきをしながら不思議そうな顔をする彼女に、あえてにっこりと笑ったまま首を振る。
「…………」
「祐恭さん?」
「……来た」
「え?」
 途端。
「っわ!?」
 ザブッと大きな音を立てて、ボートが左右に大きく揺れた。
「あはは。すごいな」
「わっ、わわっ……!? な、何っ!?」
 しっかりとオールを持ったまま、予想外の出来事に笑いが出た。
 目の前には、それこそ『落ちるんじゃ!?』と必死にボートの縁へ捕まっている彼女がいる。
 ……大丈夫だって。
 この程度の波じゃ、落ちたりしないから。
 くすくす笑ったままで再びボートを漕ぎ出すと、ようやく静まった湖面を見つめてから、彼女が眉を寄せる。
「もぅっ……! 祐恭さん、知ってたなら教えてくれればいいじゃないですか!」
「ごめん。いや、だってさ……知らないほうが楽しいこともあるだろ?」
「そういう問題じゃないですっ!」
 すでに、乗り場から遠く離れて湖の奥へと向かっている、遊覧船。
 それと俺とを見比べながら、彼女はどうやら怒っているようだ。
 まぁ、迫力はないし……やっぱかわいいと思うんだが、本人に言ったら本気で怒られそうなのでやめておく。
「……あっ」
「ん?」
 今度は、彼女が声をあげた。
 視線は、俺のずっと後方。
 漕いでいた手を止めてそちらを振り返ると――……。
「……あーあ」
 今にも転覆しそうな勢いのボートが、1隻あった。
 普通、こういうタイプのボートは、それこそ片側へ極端な加重をしない限りは簡単に転覆したりしない。
 だが、大きな波を真横から受けた場合や、極端なことをしたときは別。
 びっくりするくらい、簡単にひっくり返るモンだ。
「…………」
 ……あれは、大学に入った最初の年だったか。
 男3人で無理矢理ボートに乗り込んで、優人がジャンプした拍子にひっくり返ったんだよな。
 係員のおばちゃんにはものすごく怒られるし、当然服も靴もすべてがびしょびしょ。
 車は優人の旧レガシィだったからよかったものの、新車やレンタカーだったらシャレにならなかった。
 ……それなりに泳げてよかった。
 そして、あのときは本気で孝之と優人に巡り会ったことを後悔したもんだ。
「祐恭さん?」
「え? ……あぁ、何?」
「大丈夫ですか? ……気分とか、悪いですか?」
 つんつん、と足をつつかれて彼女を見ると、心配そうな顔をして俺を見つめていた。
 どうやら、よほど考え込んでいたらしく、不安にさせてしまったようだ。
 ……もしかしたら、さっき彼女が怒ったせいで、ヘコんでるとでも思われたかも。
 ふとそんなことが浮かんで逆手に取ってやろうかどうしようか悩んだが、まぁ、やめておく。
「……大丈夫ですかね」
「ま、平気だろ」
 遠目にある転覆寸前のボートには、俺たちと同じくカップルが乗っているようだった。
 ちょうど遊覧船の航路近くにいたということもあって波に相当煽られたんだろうが、むしろ、あれは慌てて立ち上がった彼氏のせいだと思うんだが。
 今でも、何やらあたりを気にしながら落ち着かない様子だし、それに――……。
「……アレ、戻れるのか?」
「え?」
 不安な点が、ひとつ。
 確かに、彼氏はそれこそ懸命にオールを漕いでいた。
 だが、ぐるぐるとものの見事なまでにその場で回転を始め、しかも、どうやって戻ったらいいのかわからないらしく慌てふためいていた。
「…………」
「……大丈夫……なのかな……」
 いったい、どうやってあそこまで進んだんだろう。
 …………。
 ……もしかしたら、運よく……かどうかはわからないが、単にほかのボートや遊覧船による波で運ばれただけなのかも。
「……まぁ、いいか」
「えぇ……?」
「だってほら、知り合いでもないし。それに俺たちが行ったところでどうにかなる問題でもないだろ?」
 彼らの方向へ進んでしまわないように、舵を取りながら反対方向へボートを進める。
 ……がんばれよ? 彼氏。
 恐らく、彼女にいいところを見せようとがんばってボートに乗り込んだんだろうが、これはこれで結構――……どころか、かなり体力使うんだよな。
 さすがに、俺でさえ腕が疲れて休憩を挟んでるんだから、見た目にも決してイカツいと言えないあの彼じゃあ……明日筋肉痛で倒れるだろうな。
 いや、もしかしたら明後日かもしれないが。
「…………」
 よそのカップルに散々なことを言ってるな、と改めて思い直したのは、彼らが再び戻ってきた遊覧船の波に飲まれかかっているのを桟橋から見たときだった。


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