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「……あ」
 再び駐車場前の広場に戻ると、彼女が何かを見つけて声をあげた。
 視線の先。
 風にはためく旗を見て、眉が寄る。
「嫌だ」
「えぇ!? ま、まだ何も――」
「どーせ、孝之と一緒でああいう、けったいなものを食いたいとか言い出すんだろ?」
「え? お兄ちゃんも言ったんですか?」
「……やっぱりアレか」
 意外そうな顔をした彼女に、思いきり深々とため息をついてから、手近にあったベンチに腰かける。
 ……やっぱり兄妹、か。
 まるで、デジャヴを見ているような錯覚に陥いるとともに、軽い頭痛。
「言っておくけど、俺は食わないよ」
「あ、それは構わないですよ? ……あ、でも話のネタに……」
「なんのネタだ」
「……う」
 だいたい、どうしてああいうものを食べたがるんだ?
 何も、わざわざ『マズい』ってわかりきってるようなものを食べなくても、普通に味が想像できるものを食えばいいじゃないか。
 でかでかと掲げられた緑色の旗を見ていると、やっぱり気分は降下の一途を辿る。
「買ってきても……いいですか?」
「……ひとりで食うならね」
「う。……うん」
「一瞬、何考えた?」
「……か、考えてませんってば」
 瞳を細めて彼女を見ると、慌てたように手を振った。
 逃げるように売店へ向かう後ろ姿を見ていると、どうしても孝之と重なってしまう。
 ……アイツも、ここに来たとき同じように人の制止を振りきってまで、買いに行ったんだよな。
 まぁ、途中で食べるの辞めてたけど。
 そういや、アイツも『ネタになる』とかなんとか言ってたな。
 まったく同じ光景が頭に蘇って、もう1度深いため息が出た。
「……すごい色」
 ほどなくして、数年前の孝之と完全に一致したモノを手にした彼女が戻って来た。
 手にあるのは、真緑という表現がよく当てはまる色をした、ソフトクリーム。
 ……そう。
 これは、紛れもなくソフトクリームだ。
 いいか?
 味は、そんじょそこらで売られているような、『メロン味』でも『抹茶味』でもない。
 なぜ箱根でこれなのか知らないが、目の前にあるこの真緑の物体は、『わさびソフトクリーム』なる名称で売られていた。
 色はもちろん、何もかもすべてがあのわさびの鮮やかな緑。
 それがアイスって……想像するまでもなくものすごくマズイだろうとわかるのに、どうして挑戦したがるんだ。
 彼女にしては、珍しい好奇心の一端を見た気分だ。
「いや、いらないから」
 隣に腰かけた彼女がこちらを見た瞬間、手と首を振りながらきっぱりと拒否しておく。
「……よくわかりましたね」
「まぁね」
 唇が、『食べる?』と動きそうだった。
 ただ、それだけ。
 俺は、そんなモノを味わいたいと思うような人生を送っちゃいない。
 ……まぁ、それは彼女も一緒だろうけれど、俺はやっぱり平穏無事な人生を歩みたい派で。
 孝之みたいに、わざわざ冒険アリアリの道を進むほど、いろいろ持てあましてるわけでもない。
「いただきます」
 ご丁寧に、断りを入れてから、早速彼女がひとくち含んだ。
 ――……途端。
「…………うぁ」
「……今、呻いたろ」
「う、呻いてません」
「嘘つけ。顔が笑ってないクセに」
「……うぅ……」
 見事なまでに、萎えた表情で彼女が口を押さえた。
 衝撃的と言ってもいいだろう。
 多分、ある意味コレほど『刺激的』なアイスを、彼女は今後二度と口にしないと思う。
 誓ってもいい。
 絶対だ、絶対。
「これ……何? 辛い……ていうか、うわっ、わさびが入ってますよ!?」
「……今さら何を」
 名前に『わさび』と入っているのに、今ごろアイスの中にわさびの破片が見えてると言われても……。
 呆れながら笑ってやると、べ、と舌を出してから手で仰いだ。
「だって、普通はもっとおいしいと思うじゃないですか。なのに、こんな……粒いらない……」
「いや、普通は名前からして珍メニューだと思うけど」
 ……と。
 あれこれ文句を言ってはみるものの、結局、彼女は吐き出したり捨てようとしたりする素振りも見せなかった。
 それどころか、眉を寄せてそれこそ懸命に、口付けているワケで
「……もう辞めれば?」
「だって! 食べ物粗末にするなんて……もったいないんだもん」
 律儀というか、生真面目というか。
 半分どころか、ふたくちほどでゴミ箱へ放った孝之とは正反対だ。
「……うぅ」
 普段から、食べ物を粗末にはしない彼女だけあって、きっちり、しっかりと最後まで食べ終えた。
 ……すごいなこの子は。
 ある種の尊敬の念を抱く。
 というか、見てるこっちが気分悪くなりそうなんだが。
「……ジュース買ってきます」
「うん」
 口元を押さえて立ち上がると、彼女は一目散に自販機へ向かった。
 ……偉いな。
 我が彼女ながら、ホント、尊敬する。
 でも、なぜか嫌いなニンジンは食べれないんだよな……。
 あんなマズいアイスを食いきるより、よっぽど苦手メニューを克服したほうが負担じゃないと思うんだが。
「……はぁ」
 ペットボトルを手に戻ってきた彼女は、隣へ腰かけてから、ごくごくとすべてを洗い流すかのように紅茶を飲んだ。
 ……正解かもな。
 まあ、この場合はコーヒーとかで味を誤魔化すって手もあるっちゃあるけど。
「…………うー……まだヒリヒリする」
「よく食ったな。アレ、孝之は半分も食わなかったよ」
「でしょうね」
 苦笑を浮かべてもう1度紅茶を呷った彼女は、大きくため息をついた。
 若干どころか、割と……どっと?
 疲れたように見えるのは、多分気のせいじゃないはず。
「……え?」
「じゃ、次行こうか」
「あ、はいっ」
 立ちあがってから彼女の手を取り、ぴったりと身体を添わせるように引いてやる。
 反応を伺うと、さっきまでのヘコんでた顔とはまったく違い、嬉しそうな笑み。
 ……ま、人生経験を豊かにしておくってのは、悪い事じゃないか。
 見えてきた愛車の鍵を取り出しながら、ふとそんなことも浮かんだ。
「じゃあ、次は芦ノ湖ね」
「はぁい」
 鍵を開けてから乗り込み、キーを回す。
「…………」
 普段と変わらない表情で、シートベルトをしながらうなずいた彼女。
 ――……の頬へ、そっと手を当てる。
「え? 祐恭さん?」
 不思議そうな、丸い瞳。
 この表情をじまじ見つめているのもいいんだが――……このほうが、もっとイイ。
「……っ……」
 唇を合わせ、舐めるように口づけてやる。
 一瞬、驚いたようにびくっと身体を震わせたものの、丁寧に口づけていると、やがて大人しく応えた。
 ……しかし、まだ辛いな。
 若干、合わせた舌がぴりぴりする気がして、あのアイスの威力を間接的に思い知る。
「……は」
 名残惜しさは、もちろんある。
 だが、さすがに真っ昼間から人前でキスをしてやる必要もないだろう?
 唇を離した途端、ふぅっと息をついて見上げる瞳。
 ……はー。
 やっぱり、昼にするキスじゃないな。
 なんか、いろいろと落ち着かない。
「少しは治った?」
「うん……大丈夫です」
「そっか」
 少し憂いのある声で頬を染める彼女は、やっぱり名残惜しい。
 ……ちょっと後悔。
 まぁ……通行人がいないとは言えないから、これ以上はやめておくか。
 先を考えてしまいそうになる頭を振って、ハンドルを回しながら一路芦ノ湖へ車を向かわせることにした。

「……なんか……森林浴って感じですね」
「ん? あぁ……かもね」
 少し身を乗り出すようにして景色を見上げた彼女と、同じ方向を見てからうなずく。
 確かに、木々に囲まれた道を走るのは、結構気持ちがいい。
 この時期の箱根はまぁ、割と暑いといえば暑いんだろうが、下界と比べればまったく違う。
 日陰は、本当に涼しくて心地いいし。
「……そういえば、羽織ちゃんって車酔いしないよね」
「え? ……あ、そうですね。でも、これでも昔はマニュアルダメだったんですよ?」
「そうなの?」
 意外な言葉でそちらを一瞬見ると、苦笑を浮かべながら軽くうなずいた。
 だが、本当に意外だ。
 これまで、どんな悪路だろうと山道だろうと、まったくそんな気配もなかったから。
「ほら、運転がうまい人じゃないと、ガタガタするじゃないですか。あれがダメだったんです」
「あーなるほど。確かに、あれはキツイな」
「うん。……だから、祐恭さんの運転は全然酔わないですよ」
「それはどーも」
 間接的に『運転がうまい』と言ってもらえたような気がして、正直嬉しかった。
 ……単純?
 まぁね。否定はしない。
「…………ん?」
 にこにこと笑ってシートにもたれた彼女を、横目で捉えながらギアを変えたとき。
 ふと、過去のあることを思い出した。
 あれは、今年の遠足のときだ。
 あのときは確か――……。

「……でも、遠足のときはバス酔いするからって俺の横だったよね?」

「え」
「アレは、なんで?」
 大きなカーブを曲がりながら、ギアを落とす。
 そのとき彼女を見ると、なぜだか知らないが、やたら困ったように両手を組み合わせていた。
「……あ! だからっ、あの、祐恭さんの運転は平気なんですよ?」
「ホントにそれだけ? そういえば、帰りは隣に座らなかったじゃないか」
「う。……そ、そうでしたっけ……」
 う、って言ったな? 今、『う』って。
 ちらりとそちらを伺うと、まったく視線が合わないようにかどうか知らないが、こちらではなく反対の窓の外を眺めていた。
 ……アヤシイ。
 そこまでして、口ごもるというかなんというか……この素振りは、ものすごく怪しい。
 つーか、ンな態度見せたら『疑ってください』って言ってるようなモンだと思うんだが。
「なんだ。そんなに俺のそばにいたかったワケ?」
「っ! ち、ちがっ……!」
「じゃあ、どうして酔いもしないのに隣に乗ったんだ?」
 まさに、いいタイミング。
 黄色から赤に変わった信号で止まってから、同時に彼女をしっかりと見つめる。
 これならば、言い逃れはできないだろう。
 そういう意味を込めてじぃっと見つめていると、それはそれは困ったように眉を寄せてから、唇を結んだ。
「素直に、『隣に乗りたかったから』って言えばいいじゃない」
「……だって……あれは、絵里が……」
「ふぅん。人のせいにするんだ。……じゃあ、隣に乗っていろいろ話してても、全然楽しくもなんともなかったんだ? へぇ」
「そっ!? そんなこと!!」

「じゃあ、何?」

「っ……」
 そっぽを向きながら、さも彼女が食いつくであろう素振りで言葉を繋ぐ。
 すると、案の定ぱっくり食いついてくれた。
 ……わかりやすい彼女で助かるな。
 間髪入れずに彼女を見ると、『しまった』とばかりに口元に手を当てたのが見える。
「理由をどうぞ?」
 青になったのを見てから、ギアを入れ直して車を進める。
 するとようやく、正面を向いていた俺にもわかるくらいはっきりと、観念したようにこくんとうなずいた。
「……嬉しかったんです。すごく」
「そう?」
「うん。だって、先生と話せたし……隣に乗れたし」
「……だったら最初からそう言えばいいじゃないか」
「だって……なんか、恥ずかしくて」
 そう言った彼女は、まるで熱でも冷ますかのように手の甲と手のひらとを、ひっくり返しながら交互に頬へ当てていた。
 やっぱり、格別なんだよな。
 自分が『ああじゃないか』『こうじゃないか』って考えてることが正解だとしても、彼女の口から実際に欲しい言葉がもらえると。
「……え?」
「よかった」
 ぽんぽん、と彼女の頭に手を当てて撫でるようにしてから、ギアに手を置く。
 そのとき、きちんと正面から顔を見ることはできなかったが、恐らく嬉しそうな笑みを浮かべてくれていただろう。
 ……それは、わかるさ。
 今の車内の雰囲気と、彼女という人柄とを照らし合わせれば。
 ようやく芦ノ湖入り口の交差点にぶつかり、安堵やいろいろな感情から、ふっと笑みが漏れた。


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