プリン事件
2020.04.24
事件ですよ、事件。
私のプリンが……なくなっていたんや……。
これはもう、大事件。
誰じゃい! 勝手に食べたのは!
きーー!!となりながら書いた、安定の瀬那さんち。
うぅ、長いよぅ。
おうちこもりチャレンジ、2ヶ月目が終わろうとしてるんだぜ……。
毎日家にいたら、おかしくなるわい!
誰かなんとかして……。
お庭チャレンジも、そろそろ限界です神様。
「…………」
「…………」
「あのね? だから、私じゃないってば!」
「何も言ってねーだろ」
「目が言ってる!」
あれから半日程度経過した、現在。
リビングで録りためた番組を見ていたら、ソファへ座ったお兄ちゃんは相変わらず機嫌悪そうに眉を寄せた。
ていうか、今の今まで部屋にいたのに、なんでまた急にリビングに来るかなぁ。
悪いわけじゃもちろんないけど、でも、あのね?
今ここで喧嘩を始めるわけにはいかないの。
なぜなら——葉月が、留守だから。
「はー……」
早く帰ってきて、葉月。お願いだからぜひとも。
ちらりと壁の時計を見ると、葉月が出かけてまだ40分しか経ってないのが見えた。
「あれ?」
ことの発端は、今日の朝ごはんのあと。
珍しくお兄ちゃんが9時前に起きてきたなぁと思ったら、冷蔵庫を覗いて変な声をあげた。
「お前、プリン知らねぇ?」
「プリン? なんの?」
「いや、普通の。こンくらいのサイズのヤツ」
手で示されたのは、割と小さめなプリンだった。
プリン……えぇ? 知らないけど。
というか、最近は買い物にすら出ていないわけで。
基本、お母さんが仕事帰りに買い物をして帰ってくるから、私も葉月もお兄ちゃんも家からはほとんど出ていない。
せいぜい、郵便物を取りに行くくらいかなぁ。
あ、あとは庭に出るとかね。
だから、冷蔵庫にプリンが入っていたことすら私は知らなかった。
「え、いつ買ったの?」
「おととい」
おととい……あぁ、言われてみれば、その日お兄ちゃんだけ郵便局へ行ったんだっけ。
てことは、その帰りに買ってきたのね。
相変わらず、自分のためのものはきちんと把握してるらしい……って、きっとみんなそうだろうけど。
「お前食ったろ」
「えぇ? 食べてないってば!」
ていうか、存在自体知らないって言ったのに、なんでそうなるの?
ひどいなぁもぅ。
昔からそうだけど、基本、冷蔵庫に入ってるものはお母さんに『これ食べていい?』って聞いちゃうんだよね。
だから、お兄ちゃんと違って私は勝手に食べたりしない。
そう……お兄ちゃんと違って。
なのに、そんなふうに真正面から疑われたら、すっごく嫌な気分。
「寝ぼけて食べちゃったの、忘れてるんじゃないの?」
「ンなわけねーだろ。昨日の夜、風呂あがったときまではあったんだから」
「そのとき、食べたんじゃないの?」
「だから、食ってねぇつってんだろ!」
むぅ。ひどい言いよう。
ていうか、私は食べてないどころか、存在自体知らないんだってばもぅ!
イライラしてるのがわかるから、こっちまでイライラしてくる。
ああもぅ、悪循環。でも、悪いのはどう考えたって勝手に疑いをかけてきたお兄ちゃんなんだからね!
「どうしたの?」
2階から降りてきたらしく、葉月がリビングに姿を見せた。
どうやら2回目のお洗濯をしようとしていたらしく、手にはなぜかお兄ちゃんのスウェットを手にしている。
……って、あー絶対あれ、拾ってきてくれたヤツでしょ。
もぅ。いい加減、自分のことは自分ですればいいのに!
「プリンがねぇんだよ」
「プリン?」
「こないだ買ったコンビニの新商品」
この間、葉月は一緒に出ていない。
けれど、“コンビニ”の言葉を聞いて思い当たったらしく、『あ』と言うと珍しく口をつぐんだ。
「買ってこようか?」
「いや、そーじゃねーだろ。つか、なんでお前が買い……食った?」
「ううん」
ありえないとは思ったものの、当然のように否定するのを見て内心安堵する。
だけど、葉月は両手を合わせるとお兄ちゃんを見て小さく苦笑した。
「今日の午後、お父さんと出かける予定なの。だから、おやつの時間でよければ、買ってくるよ」
「……あのな。俺が知りたいのは、買えるかどうかじゃなくて、誰が食ったかってとこだって」
「そうだけど……でも、ないでしょう?」
「ああ」
「だから……代替案じゃだめかな?」
私と違い、葉月はずっと穏やかなまま話していた。
そのせいか、お兄ちゃんは私に向けていたトゲトゲしい言葉にはならず、最後にはいつもと同じようなテンションに戻っている。
ああ、やっぱりどっちがリードするかで違うんだなぁ。
さっきまでの会話は、間違いなく私がお兄ちゃんに引っ張られていた。
「…………」
舌打ちこそしたけれど、お兄ちゃんはそれ以上何も言わずにまた冷蔵庫を開けた。
代わりに取り出したのは、冷茶のポット。
どうやら、諦めたらしい。
……よかった。
こんなときに、またこんな情けないことで喧嘩になったら、外にも出れないし発散できないもん。
思わず葉月に視線をうつすと、お兄ちゃんを見送ったあと私を見てやっぱり苦く笑った。
で、今に戻る。
あのあと、結局お兄ちゃんはなんにも言わなくはなったけれど、どこか機嫌は悪そうなままで。
午前中もお昼ごはんのあとも、葉月いわくパソコンで作業してたみたいだけど、さすがにコーヒーブレイクにしたらしい。
葉月をたよらず入れた、ブラックコーヒーの大きめのマグカップがすぐここに置かれている。
…………。
………………。
あの……あのね?
私、今日はさっきまですごくがんばったの。
レポートも仕上げたし、ずっと読んでいたあの分厚い本だってやっと読み終わったの。
午後は葉月と日課のヨガをやるつもりだったけど、今は恭ちゃんとお出かけしてる関係で葉月は不在。
だからこその録画番組消化だったんだけど……うぅ、ちっとも笑える雰囲気じゃなくなっちゃったじゃない。
別にお兄ちゃんが悪いとはひとことも言ってないけれど、でもだってあのね?
…………。
うぅ。せめて、これだけ出演陣が爆笑してるシーンなんだから、反応くらいしたらいいのになぁ。
さっきまでと打って変わって、けらけら笑えなくなった雰囲気に、もういっそ再生をやめようかなとも思った。
どうせなら、一緒に笑ってくれる葉月と見たほうが何倍も楽しいだろうし。
うん、そうしよう。
私も紅茶入れて、そーっと部屋へ戻ろうっと。
あ、その前にさっき畳んだ洗濯物、片付けてからね。
「……あ」
立ち上がってキッチンへ行こうとしたら、玄関の鍵が開いた。
葉月だけでなく恭ちゃんも一緒らしく、ふたりで話しているのが聞こえる。
「お、珍しいな。ふたりとも下にいたのか」
「うん、まあ……いらっしゃい、恭ちゃん」
「ただいま」
「っ葉月、おかえり……!」
にっこり笑った恭ちゃん……ではなく、彼の陰からひょっこり姿を見せた葉月を見て、情けない声が漏れる。
でもでも、だって!
こんなに待ちわびたの、いつぶりだろう。
ていうか、葉月がいてくれて本当によかった。
私の反応が意外だったらしく……ていうかまぁそうだろうけど。
恭ちゃんと葉月は、顔を見合わせると少しだけおかしそうに笑った。
「たーくん、おやつ食べる?」
「その前に、孝之は俺たちへ言う言葉があるだろう」
「あー……いらっしゃい。おかえり」
「ずいぶん儀礼的だな」
「いや、別に他意はないんだけど」
あーとか、うーとか言いながらだったのが気になったらしく、恭ちゃんは眉を寄せた。
でも、葉月はくすくす笑うと、お兄ちゃんへ袋から取り出した何かを渡した。
「うわ、なんだこれ」
「ふふ。今日からの新発売なんだって」
「え? なになに? ……わ、すごい! なにこれ!」
珍しい反応をしたお兄ちゃんの手元を覗くと、小さめのプリンが3つ入っている大きなプリンアラモードがあった。
え、えー! なにこれ!
デラックスどころか、すっごい食べ応えありそうなものだけに、おいしそうではあるけれど、さすがにちょっとひとりでは……って、や、お兄ちゃんは食べそうだけどね。全然気にせず。
あまりにもなモノを見てあまりにもな反応をしたせいか、葉月は私を見ておかしそうに笑った。
「羽織には、普通サイズのプリン買ってきたよ」
「え、ほんと!? 嬉しい!」
「なんだ。ふたりとも腹が減ってたのか」
「ぅ、そういうわけじゃないんだけど」
「どうりで、珍しく葉月がコンビニへ寄りたいと言うわけだ」
お兄ちゃんの隣へ腰かけた恭ちゃんは、上着を脱ぐと大きな伸びをひとつ。
足を組んだままお兄ちゃんを見て、『お前は本当に甘いものが好きだな』と苦笑する。
「わざわざ寄ってくれたの?」
「んー……ちょっとだけ、ね」
キッチンにある電気ケトルを手にした葉月を見ると、いつものように笑いながらうなずいた。
でも、それって絶対わざわざ、だよね。
もちろん、私のためでもあるだろうけれど……誰よりも、お兄ちゃんのため、に。
「お父さん、何か飲む?」
「コーヒーをもらおうか」
「ん。羽織は?」
「あ、私も手伝うよ」
あとを追い、食器棚からマグカップを取り出す。
すると、シンクへ向かった葉月が私を見て苦笑した。
「たーくんのプリンね、伯母さんが朝食べちゃったの」
「え! そうなの?」
「内緒にしてね」
「お兄ちゃんには内緒にするけど、もぅ……お母さんにはひとこと言うからね。だって、私すっごい疑われたんだよ?」
苦笑した葉月に唇を尖らせると、想像はしていたらしく、笑うだけで何も言わなかった。
むー。
お母さんのせいで、私がひどいめに遭ったんだから、もぅ!
ていうか、普段あんまりそういうの食べないのに、なんでこういうときにかぎって食べちゃうかな。
今日帰ってきたらひとこと言おう。
でも、お母さんのことだから『あー、ごめんごめん』で終わりにしそうだけど。
「……って、はや! もう食べてるの?」
「うまい」
「ふふ。よかった」
葉月といっしょにマグカップを持ちながらリビングへ戻ると、お兄ちゃんはすでに1/2ほど平らげていた。
生クリームたっぷりのプリンアラモード。
そりゃおいしいだろうなぁとは思うけど、そのサイズをひとりで食べたら夕飯食べられなさそう……。
うぅ。さすがに見るだけでお腹いっぱい。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
ソーサーごと恭ちゃんへコーヒーを差し出し、葉月がすぐそこへ座る。
それを見てお兄ちゃんが何か言いたげな顔をしたけれど、口をつぐむと1/4ほどになったプリンを手に冷蔵庫へ向かった。
かと思えば、すっかり冷めたであろうマグを取りに戻ってくる。
「全部食べないの?」
「いや、さすがに多い」
珍しいことを言い出したのが、どうやら葉月も不思議に思ったらしい。
恭ちゃんだけは、普段のお兄ちゃんの物欲……食欲? を知らないからか、無反応。
え、ひょっとして具合悪いとかじゃないよね?
今日のお昼ごはんだったキノコパスタは、いつもと同じようにおかわりしてたし。
「大丈夫?」
「何がだよ。失礼だぞお前」
「む。失礼なのはお兄ちゃんでしょ? 私のこと疑っておいて」
「あ? 蒸し返すのか? お前。まだカタついてねぇんだぞ」
「だから、私が食べたんじゃないってずっと言ってるじゃない!」
「口でだけならどうとでも言えンだろ!」
これでも心配してあげたのに、相変わらずひとこと多いんだよね。お兄ちゃんって。
うぅ、言っちゃいたい。
プリン犯人はお母さんだ、って!
でも……でも、葉月と約束したんだもん、破るわけにもいかない。
これ以上言ったらまた喧嘩になりそうだから閉口したけれど、ちらりと葉月を見るとちょっぴり申し訳なさそうに、『ごめんね』と代わりに謝られてしまった。
……だからもう言わないであげる。
葉月のためにも。
ていうか、もともとは葉月が悪いんじゃなくて、お母さんがよくなかった。
「大きくなっても喧嘩の中身は子どもと同じだな」
「っ……」
「うぅ……お兄ちゃんといっしょにしないでほしい」
「かわいいもんだ」
マグをかたむけた恭ちゃんが、小さく笑った。
どこか呆れているように聞こえなくもない。
もぅ、お兄ちゃんのせいだからね。
でも……そういえば、祐恭さんにもよく言われるんだよね。そのセリフ。
さすがにそろそろ、食べ物で喧嘩しないようにしたい。私だって。
これじゃ、小学生のころとなんにも変わってない感じするし。
からから笑った恭ちゃんに唇を尖らせつつ、一応は反省してみる。
でも……ってだから、堂々巡りになっちゃうから、言わない。
お母さんが帰ってくるだろう時間まで、あと3時間。
少なくとも、恭ちゃんの前では蒸し返さないのが私のためだなと改めて感じた。
ちなみに。
夕食のあと、お兄ちゃんは食べかけのプリンを食べていた。
やっぱり胃がどうかしてると思う。
だって、あれだけフライとサラダもりもり食べてたのにまだ食べられるって……うぅ、お腹いっぱいどころか気持ち悪い。
そんなお兄ちゃんを見て眉を寄せたものの、葉月は『おいしいけど、ひとくちで十分ね』とちょっぴり不思議なことを口にしていた。
ちなみに、私のプリン食べた人はまだ見つかってない……。
誰だよ人の食べたの!ばかぁ!
私のプリンが……なくなっていたんや……。
これはもう、大事件。
誰じゃい! 勝手に食べたのは!
きーー!!となりながら書いた、安定の瀬那さんち。
うぅ、長いよぅ。
おうちこもりチャレンジ、2ヶ月目が終わろうとしてるんだぜ……。
毎日家にいたら、おかしくなるわい!
誰かなんとかして……。
お庭チャレンジも、そろそろ限界です神様。
「…………」
「…………」
「あのね? だから、私じゃないってば!」
「何も言ってねーだろ」
「目が言ってる!」
あれから半日程度経過した、現在。
リビングで録りためた番組を見ていたら、ソファへ座ったお兄ちゃんは相変わらず機嫌悪そうに眉を寄せた。
ていうか、今の今まで部屋にいたのに、なんでまた急にリビングに来るかなぁ。
悪いわけじゃもちろんないけど、でも、あのね?
今ここで喧嘩を始めるわけにはいかないの。
なぜなら——葉月が、留守だから。
「はー……」
早く帰ってきて、葉月。お願いだからぜひとも。
ちらりと壁の時計を見ると、葉月が出かけてまだ40分しか経ってないのが見えた。
「あれ?」
ことの発端は、今日の朝ごはんのあと。
珍しくお兄ちゃんが9時前に起きてきたなぁと思ったら、冷蔵庫を覗いて変な声をあげた。
「お前、プリン知らねぇ?」
「プリン? なんの?」
「いや、普通の。こンくらいのサイズのヤツ」
手で示されたのは、割と小さめなプリンだった。
プリン……えぇ? 知らないけど。
というか、最近は買い物にすら出ていないわけで。
基本、お母さんが仕事帰りに買い物をして帰ってくるから、私も葉月もお兄ちゃんも家からはほとんど出ていない。
せいぜい、郵便物を取りに行くくらいかなぁ。
あ、あとは庭に出るとかね。
だから、冷蔵庫にプリンが入っていたことすら私は知らなかった。
「え、いつ買ったの?」
「おととい」
おととい……あぁ、言われてみれば、その日お兄ちゃんだけ郵便局へ行ったんだっけ。
てことは、その帰りに買ってきたのね。
相変わらず、自分のためのものはきちんと把握してるらしい……って、きっとみんなそうだろうけど。
「お前食ったろ」
「えぇ? 食べてないってば!」
ていうか、存在自体知らないって言ったのに、なんでそうなるの?
ひどいなぁもぅ。
昔からそうだけど、基本、冷蔵庫に入ってるものはお母さんに『これ食べていい?』って聞いちゃうんだよね。
だから、お兄ちゃんと違って私は勝手に食べたりしない。
そう……お兄ちゃんと違って。
なのに、そんなふうに真正面から疑われたら、すっごく嫌な気分。
「寝ぼけて食べちゃったの、忘れてるんじゃないの?」
「ンなわけねーだろ。昨日の夜、風呂あがったときまではあったんだから」
「そのとき、食べたんじゃないの?」
「だから、食ってねぇつってんだろ!」
むぅ。ひどい言いよう。
ていうか、私は食べてないどころか、存在自体知らないんだってばもぅ!
イライラしてるのがわかるから、こっちまでイライラしてくる。
ああもぅ、悪循環。でも、悪いのはどう考えたって勝手に疑いをかけてきたお兄ちゃんなんだからね!
「どうしたの?」
2階から降りてきたらしく、葉月がリビングに姿を見せた。
どうやら2回目のお洗濯をしようとしていたらしく、手にはなぜかお兄ちゃんのスウェットを手にしている。
……って、あー絶対あれ、拾ってきてくれたヤツでしょ。
もぅ。いい加減、自分のことは自分ですればいいのに!
「プリンがねぇんだよ」
「プリン?」
「こないだ買ったコンビニの新商品」
この間、葉月は一緒に出ていない。
けれど、“コンビニ”の言葉を聞いて思い当たったらしく、『あ』と言うと珍しく口をつぐんだ。
「買ってこようか?」
「いや、そーじゃねーだろ。つか、なんでお前が買い……食った?」
「ううん」
ありえないとは思ったものの、当然のように否定するのを見て内心安堵する。
だけど、葉月は両手を合わせるとお兄ちゃんを見て小さく苦笑した。
「今日の午後、お父さんと出かける予定なの。だから、おやつの時間でよければ、買ってくるよ」
「……あのな。俺が知りたいのは、買えるかどうかじゃなくて、誰が食ったかってとこだって」
「そうだけど……でも、ないでしょう?」
「ああ」
「だから……代替案じゃだめかな?」
私と違い、葉月はずっと穏やかなまま話していた。
そのせいか、お兄ちゃんは私に向けていたトゲトゲしい言葉にはならず、最後にはいつもと同じようなテンションに戻っている。
ああ、やっぱりどっちがリードするかで違うんだなぁ。
さっきまでの会話は、間違いなく私がお兄ちゃんに引っ張られていた。
「…………」
舌打ちこそしたけれど、お兄ちゃんはそれ以上何も言わずにまた冷蔵庫を開けた。
代わりに取り出したのは、冷茶のポット。
どうやら、諦めたらしい。
……よかった。
こんなときに、またこんな情けないことで喧嘩になったら、外にも出れないし発散できないもん。
思わず葉月に視線をうつすと、お兄ちゃんを見送ったあと私を見てやっぱり苦く笑った。
で、今に戻る。
あのあと、結局お兄ちゃんはなんにも言わなくはなったけれど、どこか機嫌は悪そうなままで。
午前中もお昼ごはんのあとも、葉月いわくパソコンで作業してたみたいだけど、さすがにコーヒーブレイクにしたらしい。
葉月をたよらず入れた、ブラックコーヒーの大きめのマグカップがすぐここに置かれている。
…………。
………………。
あの……あのね?
私、今日はさっきまですごくがんばったの。
レポートも仕上げたし、ずっと読んでいたあの分厚い本だってやっと読み終わったの。
午後は葉月と日課のヨガをやるつもりだったけど、今は恭ちゃんとお出かけしてる関係で葉月は不在。
だからこその録画番組消化だったんだけど……うぅ、ちっとも笑える雰囲気じゃなくなっちゃったじゃない。
別にお兄ちゃんが悪いとはひとことも言ってないけれど、でもだってあのね?
…………。
うぅ。せめて、これだけ出演陣が爆笑してるシーンなんだから、反応くらいしたらいいのになぁ。
さっきまでと打って変わって、けらけら笑えなくなった雰囲気に、もういっそ再生をやめようかなとも思った。
どうせなら、一緒に笑ってくれる葉月と見たほうが何倍も楽しいだろうし。
うん、そうしよう。
私も紅茶入れて、そーっと部屋へ戻ろうっと。
あ、その前にさっき畳んだ洗濯物、片付けてからね。
「……あ」
立ち上がってキッチンへ行こうとしたら、玄関の鍵が開いた。
葉月だけでなく恭ちゃんも一緒らしく、ふたりで話しているのが聞こえる。
「お、珍しいな。ふたりとも下にいたのか」
「うん、まあ……いらっしゃい、恭ちゃん」
「ただいま」
「っ葉月、おかえり……!」
にっこり笑った恭ちゃん……ではなく、彼の陰からひょっこり姿を見せた葉月を見て、情けない声が漏れる。
でもでも、だって!
こんなに待ちわびたの、いつぶりだろう。
ていうか、葉月がいてくれて本当によかった。
私の反応が意外だったらしく……ていうかまぁそうだろうけど。
恭ちゃんと葉月は、顔を見合わせると少しだけおかしそうに笑った。
「たーくん、おやつ食べる?」
「その前に、孝之は俺たちへ言う言葉があるだろう」
「あー……いらっしゃい。おかえり」
「ずいぶん儀礼的だな」
「いや、別に他意はないんだけど」
あーとか、うーとか言いながらだったのが気になったらしく、恭ちゃんは眉を寄せた。
でも、葉月はくすくす笑うと、お兄ちゃんへ袋から取り出した何かを渡した。
「うわ、なんだこれ」
「ふふ。今日からの新発売なんだって」
「え? なになに? ……わ、すごい! なにこれ!」
珍しい反応をしたお兄ちゃんの手元を覗くと、小さめのプリンが3つ入っている大きなプリンアラモードがあった。
え、えー! なにこれ!
デラックスどころか、すっごい食べ応えありそうなものだけに、おいしそうではあるけれど、さすがにちょっとひとりでは……って、や、お兄ちゃんは食べそうだけどね。全然気にせず。
あまりにもなモノを見てあまりにもな反応をしたせいか、葉月は私を見ておかしそうに笑った。
「羽織には、普通サイズのプリン買ってきたよ」
「え、ほんと!? 嬉しい!」
「なんだ。ふたりとも腹が減ってたのか」
「ぅ、そういうわけじゃないんだけど」
「どうりで、珍しく葉月がコンビニへ寄りたいと言うわけだ」
お兄ちゃんの隣へ腰かけた恭ちゃんは、上着を脱ぐと大きな伸びをひとつ。
足を組んだままお兄ちゃんを見て、『お前は本当に甘いものが好きだな』と苦笑する。
「わざわざ寄ってくれたの?」
「んー……ちょっとだけ、ね」
キッチンにある電気ケトルを手にした葉月を見ると、いつものように笑いながらうなずいた。
でも、それって絶対わざわざ、だよね。
もちろん、私のためでもあるだろうけれど……誰よりも、お兄ちゃんのため、に。
「お父さん、何か飲む?」
「コーヒーをもらおうか」
「ん。羽織は?」
「あ、私も手伝うよ」
あとを追い、食器棚からマグカップを取り出す。
すると、シンクへ向かった葉月が私を見て苦笑した。
「たーくんのプリンね、伯母さんが朝食べちゃったの」
「え! そうなの?」
「内緒にしてね」
「お兄ちゃんには内緒にするけど、もぅ……お母さんにはひとこと言うからね。だって、私すっごい疑われたんだよ?」
苦笑した葉月に唇を尖らせると、想像はしていたらしく、笑うだけで何も言わなかった。
むー。
お母さんのせいで、私がひどいめに遭ったんだから、もぅ!
ていうか、普段あんまりそういうの食べないのに、なんでこういうときにかぎって食べちゃうかな。
今日帰ってきたらひとこと言おう。
でも、お母さんのことだから『あー、ごめんごめん』で終わりにしそうだけど。
「……って、はや! もう食べてるの?」
「うまい」
「ふふ。よかった」
葉月といっしょにマグカップを持ちながらリビングへ戻ると、お兄ちゃんはすでに1/2ほど平らげていた。
生クリームたっぷりのプリンアラモード。
そりゃおいしいだろうなぁとは思うけど、そのサイズをひとりで食べたら夕飯食べられなさそう……。
うぅ。さすがに見るだけでお腹いっぱい。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
ソーサーごと恭ちゃんへコーヒーを差し出し、葉月がすぐそこへ座る。
それを見てお兄ちゃんが何か言いたげな顔をしたけれど、口をつぐむと1/4ほどになったプリンを手に冷蔵庫へ向かった。
かと思えば、すっかり冷めたであろうマグを取りに戻ってくる。
「全部食べないの?」
「いや、さすがに多い」
珍しいことを言い出したのが、どうやら葉月も不思議に思ったらしい。
恭ちゃんだけは、普段のお兄ちゃんの物欲……食欲? を知らないからか、無反応。
え、ひょっとして具合悪いとかじゃないよね?
今日のお昼ごはんだったキノコパスタは、いつもと同じようにおかわりしてたし。
「大丈夫?」
「何がだよ。失礼だぞお前」
「む。失礼なのはお兄ちゃんでしょ? 私のこと疑っておいて」
「あ? 蒸し返すのか? お前。まだカタついてねぇんだぞ」
「だから、私が食べたんじゃないってずっと言ってるじゃない!」
「口でだけならどうとでも言えンだろ!」
これでも心配してあげたのに、相変わらずひとこと多いんだよね。お兄ちゃんって。
うぅ、言っちゃいたい。
プリン犯人はお母さんだ、って!
でも……でも、葉月と約束したんだもん、破るわけにもいかない。
これ以上言ったらまた喧嘩になりそうだから閉口したけれど、ちらりと葉月を見るとちょっぴり申し訳なさそうに、『ごめんね』と代わりに謝られてしまった。
……だからもう言わないであげる。
葉月のためにも。
ていうか、もともとは葉月が悪いんじゃなくて、お母さんがよくなかった。
「大きくなっても喧嘩の中身は子どもと同じだな」
「っ……」
「うぅ……お兄ちゃんといっしょにしないでほしい」
「かわいいもんだ」
マグをかたむけた恭ちゃんが、小さく笑った。
どこか呆れているように聞こえなくもない。
もぅ、お兄ちゃんのせいだからね。
でも……そういえば、祐恭さんにもよく言われるんだよね。そのセリフ。
さすがにそろそろ、食べ物で喧嘩しないようにしたい。私だって。
これじゃ、小学生のころとなんにも変わってない感じするし。
からから笑った恭ちゃんに唇を尖らせつつ、一応は反省してみる。
でも……ってだから、堂々巡りになっちゃうから、言わない。
お母さんが帰ってくるだろう時間まで、あと3時間。
少なくとも、恭ちゃんの前では蒸し返さないのが私のためだなと改めて感じた。
ちなみに。
夕食のあと、お兄ちゃんは食べかけのプリンを食べていた。
やっぱり胃がどうかしてると思う。
だって、あれだけフライとサラダもりもり食べてたのにまだ食べられるって……うぅ、お腹いっぱいどころか気持ち悪い。
そんなお兄ちゃんを見て眉を寄せたものの、葉月は『おいしいけど、ひとくちで十分ね』とちょっぴり不思議なことを口にしていた。
ちなみに、私のプリン食べた人はまだ見つかってない……。
誰だよ人の食べたの!ばかぁ!