葉月の場合
2022.04.02
「たーくん、ちょっとだけいい?」
「あ?」
職場でもある図書館にいること自体は珍しくない。
が、仕事中こんなふうに声をかけてくることは、稀。
今朝、開館と同時に別れたときとは違う、どこか切羽詰まったような顔つきに、配架の手を止める。
「どうした?」
「えっと……あのね?」
視線が動き、周囲の面々を気にしているのはわかる。
すぐそこには、学習室。
今日は予約が入っておらず、何かに使ってもないらしい。
「あ……」
「どうせならこっちのほうがいいだろ」
横をすり抜けて学習室へ向かい、鍵を開ける。
こういうとき、マスターキー預かれる身でホントよかったと思うぜ。
てか、普通はもっと上位職が持って然るべきなんだろうけど、やたら早くからいるって理由でもらえたときは、社会って意外と意外なんだなって思ったぜ。
「で?」
ガラスに囲まれた部屋ではあるが、音は十分防げる。
さっきまでと違い、若干こもったような音の響きに、ああこれも悪くないかもなと多少思った。
「……」
個室へ移動したのに、葉月はどこか浮かない顔だった。
別に見られるのがどうのってわけじゃないだろうが、じゃあ別の理由はなんだ。
中央に置かれているテーブルへ手をつくも、葉月は組み合わせた両手の指を見つめたまま、視線をあげなかった。
「……あのね?」
「ああ」
「その……」
「なんだよ」
別に苛立ってるわけじゃないが、ここまで言いあぐねるのが珍しいなと思っただけ。
普段、割となんでも物おじせず言うし……って、俺に気つかってるってことか?
誰が相手であっても遠慮せず言いたいことをストレートに言うやつなのに、まさか俺に対して遠慮とはね。
いや、もしかしてそういう状況になってることがまずいんじゃないのか?
内心、恭介さんにバレたら打ち首レベルの何かなのかと邪推すると、若干緊張はする。
っていや、別に今さら身が潔白じゃないのは周知だろ。
じゃあなんだ。今のところ借金もなければ、そっち関係でのトラブルもない。
交友関係あらわれたら、そりゃ埃の一つや二つは出てくるかもしれないが、それはそれ。
多分。おそらく。きっと。
「あのね」
まるで、心底困っているかのような顔に、思わずこくりと喉が鳴る。
「たーくんのこと……好き、じゃないって言ったら……どうする?」
「…………」
「…………」
「……は?」
切羽詰まった顔で何を言い出すかと思えば、何言い出すんだお前。
好きじゃない。俺を。お前が。
「ふーん」
「……え?」
「いや別に。どうもしねぇけど」
思わず首筋を撫で、腕を組む。
どうもしない。当然だ。
別に、お前の気持ちを聞いたところで、何が変わるでもない。
「いいの?」
「いや、いいも何も。それは俺じゃなくて、お前だろ? 好きでもねぇ男と一緒に住んでるどころか、四六時中一緒にいるんだぜ? 負担じゃねぇの?」
正確にはそこじゃない。
今日は華の金曜日。
毎週末、あほみたいに近場へ泊りに行く両親不在の今日は、食うもの食ったらしようと思ってた。
さすがにお前はわかっちゃいないだろうが、ある種の予感はしてるんだろうよ。
ある意味、ルーティンになってるんだから。
「私は、別に……ううん、負担じゃないよ?」
「あ、そう」
なら問題ねぇじゃん。
目を見たまま肩をすくめると、逆に葉月は目を丸くして俺に近づいた。
「どうして、とか……思わない?」
「別に」
「だって、好きじゃない、んだよ?」
「しょうがねぇじゃん。好きでも嫌いでもねぇってことだろ? ある意味無関心ってことなら、まあそれはそれ」
「無関心なんかじゃっ……!」
「いやお前、好きも嫌いも同じベクトルなんだぜ? 好きの反対は、無関心なんだっつの」
「っ……」
どこか慌てたような顔の葉月の額を中指で弾き、時間を確認。
ああ、ちょうどコーヒー飲むのにはうってつけだな。
どうせなら甘いモンでも食うか。
今日はまだ学食が開いてないが、購買は開いてるはず。
「たーくんっ!」
「別にお前が俺をなんとも思ってなくても、変わんねぇって。なんなら今までも、そういうヤツらしかいなかったし」
振り返れば、そうだった。
あくまで、葉月が異質。
俺が欲しいんじゃなくて、俺の感情が欲しいとぬかした。
感情ってなんだ。好きってなんだ。どういうことだ。
散々口にした言葉が、うっすらと蘇る。
恭介さんにたずねたときも、わからなかった。
人を好きになることが、自身にどんな影響を及ぼすかも。
「うわ!」
ドアの取っ手に手を伸ばしたところで、後ろから反対の手を引かれた。
思ってもなかった力加減に、思わず声が出る。
が、振り返ってなおのこと、目が丸くなった。
「おま……は? なんだよ」
「何じゃないでしょう? 私は違うよ?」
「……は?」
「そんな顔しないで」
いや、それはこっちのセリフ。
あれ、なんで俺怒られてんの?
納得いかないどころか、それこそ正論ぶちかます3秒前みたいな顔つきの葉月に、思わずごくりと喉が鳴った。
「私がたーくんを好きじゃないって、どうして信じるの?」
「は? いや、だっておま、自分で言ったんじゃん。言葉信じなきゃ、コミュニケーションが成り立たねえだろ」
「そうだけど、でも、違うでしょう?」
「何が」
「私、どうする? って聞いたの。あれは質問なんだよ?」
「…………。ああ、そう」
数分前のことながらも、一瞬何を言っているのか意味がわからなかった。
質問。なるほど。そう考えることもできるな、確かに。
だがしかし。
質問だとしたら、俺はちゃんと答えたはずだぜ。
「私は、違うの」
「何が」
「だから……もし、たーくんが私のこと、好きじゃなくても……気持ちは変わらないから」
「…………。え、そゆこと?」
「え?」
「いやなんか、回りくどくてよくわかんねぇ」
てか、俺が違ったか?
つか、なんでこんなことになってる?
いや、そもそもはコイツが悪い。
ルールってやつを知らなさすぎるだろ。
すでに15時をまわったのを腕時計で確認し、改めて葉月へ向き直る。
「お前さ」
「え?」
「嘘ついていいの、午前中だけって知ってるか?」
「……え」
真顔のまま目の前でつぶやいてやると、それはそれは消え入りそうな『え』が聞こえた。
ああ、そう。ふぅん。知らないってか。
だったら上等だ。
ルール破ってンなセリフ吐くなら、こっちだってそれなりの方法ってのがある。
「はー……」
「っあ……たーくんっ」
「仕事」
あからさまに不機嫌さをかもしだし、ため息ひとつ残して改めてドアノブをつかむ。
今日の夕飯、何つってたっけか。
ああ、そういや冷凍のカキフライがどうのつってたな。
さすがにそれを選んで出してきた日には、さすがにフリじゃなく機嫌悪くなるだろうよ。
「たーくん!」
「暇じゃねぇんだよ俺は」
ワントーン低い声で答えるものの、さっきとは違って葉月は体を割り込ませるように俺の前へ回ろうとした。
必死な顔つきは悪くない。
が、もうちょい必要なモンがあるだろ。
「続きは家帰ってからな」
「……え?」
「なんでもない」
うっかり漏れた言葉を消すように手を振ると、図書館の窓から西日が薄く差してるのが見えた。
「あ?」
職場でもある図書館にいること自体は珍しくない。
が、仕事中こんなふうに声をかけてくることは、稀。
今朝、開館と同時に別れたときとは違う、どこか切羽詰まったような顔つきに、配架の手を止める。
「どうした?」
「えっと……あのね?」
視線が動き、周囲の面々を気にしているのはわかる。
すぐそこには、学習室。
今日は予約が入っておらず、何かに使ってもないらしい。
「あ……」
「どうせならこっちのほうがいいだろ」
横をすり抜けて学習室へ向かい、鍵を開ける。
こういうとき、マスターキー預かれる身でホントよかったと思うぜ。
てか、普通はもっと上位職が持って然るべきなんだろうけど、やたら早くからいるって理由でもらえたときは、社会って意外と意外なんだなって思ったぜ。
「で?」
ガラスに囲まれた部屋ではあるが、音は十分防げる。
さっきまでと違い、若干こもったような音の響きに、ああこれも悪くないかもなと多少思った。
「……」
個室へ移動したのに、葉月はどこか浮かない顔だった。
別に見られるのがどうのってわけじゃないだろうが、じゃあ別の理由はなんだ。
中央に置かれているテーブルへ手をつくも、葉月は組み合わせた両手の指を見つめたまま、視線をあげなかった。
「……あのね?」
「ああ」
「その……」
「なんだよ」
別に苛立ってるわけじゃないが、ここまで言いあぐねるのが珍しいなと思っただけ。
普段、割となんでも物おじせず言うし……って、俺に気つかってるってことか?
誰が相手であっても遠慮せず言いたいことをストレートに言うやつなのに、まさか俺に対して遠慮とはね。
いや、もしかしてそういう状況になってることがまずいんじゃないのか?
内心、恭介さんにバレたら打ち首レベルの何かなのかと邪推すると、若干緊張はする。
っていや、別に今さら身が潔白じゃないのは周知だろ。
じゃあなんだ。今のところ借金もなければ、そっち関係でのトラブルもない。
交友関係あらわれたら、そりゃ埃の一つや二つは出てくるかもしれないが、それはそれ。
多分。おそらく。きっと。
「あのね」
まるで、心底困っているかのような顔に、思わずこくりと喉が鳴る。
「たーくんのこと……好き、じゃないって言ったら……どうする?」
「…………」
「…………」
「……は?」
切羽詰まった顔で何を言い出すかと思えば、何言い出すんだお前。
好きじゃない。俺を。お前が。
「ふーん」
「……え?」
「いや別に。どうもしねぇけど」
思わず首筋を撫で、腕を組む。
どうもしない。当然だ。
別に、お前の気持ちを聞いたところで、何が変わるでもない。
「いいの?」
「いや、いいも何も。それは俺じゃなくて、お前だろ? 好きでもねぇ男と一緒に住んでるどころか、四六時中一緒にいるんだぜ? 負担じゃねぇの?」
正確にはそこじゃない。
今日は華の金曜日。
毎週末、あほみたいに近場へ泊りに行く両親不在の今日は、食うもの食ったらしようと思ってた。
さすがにお前はわかっちゃいないだろうが、ある種の予感はしてるんだろうよ。
ある意味、ルーティンになってるんだから。
「私は、別に……ううん、負担じゃないよ?」
「あ、そう」
なら問題ねぇじゃん。
目を見たまま肩をすくめると、逆に葉月は目を丸くして俺に近づいた。
「どうして、とか……思わない?」
「別に」
「だって、好きじゃない、んだよ?」
「しょうがねぇじゃん。好きでも嫌いでもねぇってことだろ? ある意味無関心ってことなら、まあそれはそれ」
「無関心なんかじゃっ……!」
「いやお前、好きも嫌いも同じベクトルなんだぜ? 好きの反対は、無関心なんだっつの」
「っ……」
どこか慌てたような顔の葉月の額を中指で弾き、時間を確認。
ああ、ちょうどコーヒー飲むのにはうってつけだな。
どうせなら甘いモンでも食うか。
今日はまだ学食が開いてないが、購買は開いてるはず。
「たーくんっ!」
「別にお前が俺をなんとも思ってなくても、変わんねぇって。なんなら今までも、そういうヤツらしかいなかったし」
振り返れば、そうだった。
あくまで、葉月が異質。
俺が欲しいんじゃなくて、俺の感情が欲しいとぬかした。
感情ってなんだ。好きってなんだ。どういうことだ。
散々口にした言葉が、うっすらと蘇る。
恭介さんにたずねたときも、わからなかった。
人を好きになることが、自身にどんな影響を及ぼすかも。
「うわ!」
ドアの取っ手に手を伸ばしたところで、後ろから反対の手を引かれた。
思ってもなかった力加減に、思わず声が出る。
が、振り返ってなおのこと、目が丸くなった。
「おま……は? なんだよ」
「何じゃないでしょう? 私は違うよ?」
「……は?」
「そんな顔しないで」
いや、それはこっちのセリフ。
あれ、なんで俺怒られてんの?
納得いかないどころか、それこそ正論ぶちかます3秒前みたいな顔つきの葉月に、思わずごくりと喉が鳴った。
「私がたーくんを好きじゃないって、どうして信じるの?」
「は? いや、だっておま、自分で言ったんじゃん。言葉信じなきゃ、コミュニケーションが成り立たねえだろ」
「そうだけど、でも、違うでしょう?」
「何が」
「私、どうする? って聞いたの。あれは質問なんだよ?」
「…………。ああ、そう」
数分前のことながらも、一瞬何を言っているのか意味がわからなかった。
質問。なるほど。そう考えることもできるな、確かに。
だがしかし。
質問だとしたら、俺はちゃんと答えたはずだぜ。
「私は、違うの」
「何が」
「だから……もし、たーくんが私のこと、好きじゃなくても……気持ちは変わらないから」
「…………。え、そゆこと?」
「え?」
「いやなんか、回りくどくてよくわかんねぇ」
てか、俺が違ったか?
つか、なんでこんなことになってる?
いや、そもそもはコイツが悪い。
ルールってやつを知らなさすぎるだろ。
すでに15時をまわったのを腕時計で確認し、改めて葉月へ向き直る。
「お前さ」
「え?」
「嘘ついていいの、午前中だけって知ってるか?」
「……え」
真顔のまま目の前でつぶやいてやると、それはそれは消え入りそうな『え』が聞こえた。
ああ、そう。ふぅん。知らないってか。
だったら上等だ。
ルール破ってンなセリフ吐くなら、こっちだってそれなりの方法ってのがある。
「はー……」
「っあ……たーくんっ」
「仕事」
あからさまに不機嫌さをかもしだし、ため息ひとつ残して改めてドアノブをつかむ。
今日の夕飯、何つってたっけか。
ああ、そういや冷凍のカキフライがどうのつってたな。
さすがにそれを選んで出してきた日には、さすがにフリじゃなく機嫌悪くなるだろうよ。
「たーくん!」
「暇じゃねぇんだよ俺は」
ワントーン低い声で答えるものの、さっきとは違って葉月は体を割り込ませるように俺の前へ回ろうとした。
必死な顔つきは悪くない。
が、もうちょい必要なモンがあるだろ。
「続きは家帰ってからな」
「……え?」
「なんでもない」
うっかり漏れた言葉を消すように手を振ると、図書館の窓から西日が薄く差してるのが見えた。
絵里の場合
2022.04.02
「私、あんたのこと好きじゃないから」
「へー」
「……ちょっと」
「あいてっ。ちょ、おま、深爪になったらどうすんだよ!」
足の爪きり中、人の肩をたたく馬鹿がここにいた。
しかも親指だぞ、親指。巻き爪になったらどうしてくれる。
「なんだよ」
「なんだよじゃないわよ! 人の話聞いてないでしょ、あんた!」
「聞いてるだろ。ちゃんと返事だってしてる」
「してない!」
というか、さっきまでテレビの“巨大スーパー魅力デリランキング”を見て散々行きたいってごねてなかったか?
まるでふと思い出したように言い出しやがって。
あ、いや。まるでじゃないか。
こいつの人生、すべて意図的だ。
「だからね? 私、別にあんたのこと好きじゃないんだから」
「ふーん」
「だから勘違いしないでよね!」
「あっそう」
「ちょっと!!」
「……なんだよもー。うるせーなー」
小指まできっちり切り終えたところで新聞を畳むと、それはそれは嫌そうな顔をした。
いや、別に爪切りのとき新聞使うって割と一般的じゃないか?
お前は普段ごみ箱へ直接ダイレクトインしてるが、掃除機かけるとたまに落ちてるヤツあるよ?
どうせ言っても直さないし、気づいてもないだろうから、あえて指摘しないけど。
「で?」
「だからね? 私、別に純也のこと好きでもなんでもないから」
仕方なしに体ごとそっちへ向き直ると、まるで勝ち誇ったかのように胸を反らした。
さっき、買ったばかりのTシャツにマヨネーズを垂らしたから、着替えなおしたらしい。
だったらなおのこと、そんなアホなセリフを吐く前に、手洗いしてやった俺に感謝すればいいのに。
「今日はそういう気分てことか」
「ちがーう! なんでそうなるのよ! 私そんなに単純じゃないし!」
「別に単純とは言ってないだろ。気分って言ったんだよ、気分って」
「だから違うってば!」
すでに食洗器が稼働してるおかげで、部屋の中はテレビとその音となかなかのカオス状態。
そんな中、さらに絵里のでかい声が響き渡り、ああ明日が休みで本当によかったと思った。
「大学生はいいよなぁ。授業始まるの来週からだろ? 今日なんて、ぴっちぴちの新採用見て、ああ俺も年取ったなってへこんで帰ってきたのに」
「は? なんでへこむのよ」
「いやだってほら、お前考えてみ? どの業種でもそうだろうけどさ、卒業したての新入社員はスーツがぴしっとしてんだよ。緊張してて姿勢もやたらいいし、あいさつのときは、すげぇ緊張してる顔してるし。ああいうの見るとさ、俺もそういうときあったなーって感じるわけ」
「何言ってんの? 純也だってついこないだじゃない」
「ついこないだってのは、せいぜい一昨年までだろ? 祐恭君とか孝之君とかならそうだろうけど、俺じゃねぇ」
思い出すのは今朝の講堂でのできごと。
ホール壇上の管理職隣に並ぶ、新採用と異動の先生方の紹介を見ていたら、あまりにもまぶしくて苦しくなった。
……その顔を、祐恭君にも見られたわけだけど。
ああ、そういや孝之君は今年も当然だけど新採用こないって嘆いてたな。
まああの部署で毎年新採用が増えるほうが、ある意味驚くけど。
「だからまあ、なんだ。俺が嫌ならしょうがないな。周りを見れば若いやつはいっぱいいるし、きっとお前に合うやつも大勢いるだろうよ」
「……何それ」
「は?」
「なんでそんな弱気なのよ。馬鹿じゃない?」
「……は?」
テレビがバラエティから今日のニュースへ変わったところでそっちを見ていたのに、ふいにおぞましい声が聞こえて眉が寄る。
「いや、ちょっと待て。なんでお前怒ってんの?」
「怒ってないわよ! 馬鹿じゃないのって言ってんの!」
「いや、だからそれ怒ってるやつじゃん」
「違う!」
ああそうだ。完全にキレてる状態の相手には、言葉なんて通用しないんだった。
こういうとき必要なのはクールダウンだっけ?
なかなか大学でそれやることないけど、きっと小学校じゃ必須なんだろうよ。
「へこむ理由がどこにあるの? 経験値で勝ってるでしょ? 何言ってんのよ、情けない」
「…………」
「新採用がいい? 昔振り返ったって、なんの得にもならないくせに。今が一番いいって思ってんの、知ってんだからね!」
「…………」
「だいたい、ほかの男って何よ。馬鹿じゃないの? 仮にも彼氏でしょ? 一番近くにいる女のこと引き止められないで、何言ってんのよ! 馬鹿! ばーか!!」
目の前で肩をいからせる絵里を見ていたら、笑うでも怒るでも驚くでもなく、素の感情がこぼれる。
「お前、俺のこと好きすぎじゃん」
「ち……違うわよ! 馬鹿じゃないの!!」
今日一番のデカい声が聞こえた。
「へー」
「……ちょっと」
「あいてっ。ちょ、おま、深爪になったらどうすんだよ!」
足の爪きり中、人の肩をたたく馬鹿がここにいた。
しかも親指だぞ、親指。巻き爪になったらどうしてくれる。
「なんだよ」
「なんだよじゃないわよ! 人の話聞いてないでしょ、あんた!」
「聞いてるだろ。ちゃんと返事だってしてる」
「してない!」
というか、さっきまでテレビの“巨大スーパー魅力デリランキング”を見て散々行きたいってごねてなかったか?
まるでふと思い出したように言い出しやがって。
あ、いや。まるでじゃないか。
こいつの人生、すべて意図的だ。
「だからね? 私、別にあんたのこと好きじゃないんだから」
「ふーん」
「だから勘違いしないでよね!」
「あっそう」
「ちょっと!!」
「……なんだよもー。うるせーなー」
小指まできっちり切り終えたところで新聞を畳むと、それはそれは嫌そうな顔をした。
いや、別に爪切りのとき新聞使うって割と一般的じゃないか?
お前は普段ごみ箱へ直接ダイレクトインしてるが、掃除機かけるとたまに落ちてるヤツあるよ?
どうせ言っても直さないし、気づいてもないだろうから、あえて指摘しないけど。
「で?」
「だからね? 私、別に純也のこと好きでもなんでもないから」
仕方なしに体ごとそっちへ向き直ると、まるで勝ち誇ったかのように胸を反らした。
さっき、買ったばかりのTシャツにマヨネーズを垂らしたから、着替えなおしたらしい。
だったらなおのこと、そんなアホなセリフを吐く前に、手洗いしてやった俺に感謝すればいいのに。
「今日はそういう気分てことか」
「ちがーう! なんでそうなるのよ! 私そんなに単純じゃないし!」
「別に単純とは言ってないだろ。気分って言ったんだよ、気分って」
「だから違うってば!」
すでに食洗器が稼働してるおかげで、部屋の中はテレビとその音となかなかのカオス状態。
そんな中、さらに絵里のでかい声が響き渡り、ああ明日が休みで本当によかったと思った。
「大学生はいいよなぁ。授業始まるの来週からだろ? 今日なんて、ぴっちぴちの新採用見て、ああ俺も年取ったなってへこんで帰ってきたのに」
「は? なんでへこむのよ」
「いやだってほら、お前考えてみ? どの業種でもそうだろうけどさ、卒業したての新入社員はスーツがぴしっとしてんだよ。緊張してて姿勢もやたらいいし、あいさつのときは、すげぇ緊張してる顔してるし。ああいうの見るとさ、俺もそういうときあったなーって感じるわけ」
「何言ってんの? 純也だってついこないだじゃない」
「ついこないだってのは、せいぜい一昨年までだろ? 祐恭君とか孝之君とかならそうだろうけど、俺じゃねぇ」
思い出すのは今朝の講堂でのできごと。
ホール壇上の管理職隣に並ぶ、新採用と異動の先生方の紹介を見ていたら、あまりにもまぶしくて苦しくなった。
……その顔を、祐恭君にも見られたわけだけど。
ああ、そういや孝之君は今年も当然だけど新採用こないって嘆いてたな。
まああの部署で毎年新採用が増えるほうが、ある意味驚くけど。
「だからまあ、なんだ。俺が嫌ならしょうがないな。周りを見れば若いやつはいっぱいいるし、きっとお前に合うやつも大勢いるだろうよ」
「……何それ」
「は?」
「なんでそんな弱気なのよ。馬鹿じゃない?」
「……は?」
テレビがバラエティから今日のニュースへ変わったところでそっちを見ていたのに、ふいにおぞましい声が聞こえて眉が寄る。
「いや、ちょっと待て。なんでお前怒ってんの?」
「怒ってないわよ! 馬鹿じゃないのって言ってんの!」
「いや、だからそれ怒ってるやつじゃん」
「違う!」
ああそうだ。完全にキレてる状態の相手には、言葉なんて通用しないんだった。
こういうとき必要なのはクールダウンだっけ?
なかなか大学でそれやることないけど、きっと小学校じゃ必須なんだろうよ。
「へこむ理由がどこにあるの? 経験値で勝ってるでしょ? 何言ってんのよ、情けない」
「…………」
「新採用がいい? 昔振り返ったって、なんの得にもならないくせに。今が一番いいって思ってんの、知ってんだからね!」
「…………」
「だいたい、ほかの男って何よ。馬鹿じゃないの? 仮にも彼氏でしょ? 一番近くにいる女のこと引き止められないで、何言ってんのよ! 馬鹿! ばーか!!」
目の前で肩をいからせる絵里を見ていたら、笑うでも怒るでも驚くでもなく、素の感情がこぼれる。
「お前、俺のこと好きすぎじゃん」
「ち……違うわよ! 馬鹿じゃないの!!」
今日一番のデカい声が聞こえた。
羽織の場合
2022.04.01
「実はお話ししたいことがあります」
今朝から様子がおかしいなとは思っていたが、彼女があえてソファではなく床に正座したのはつい先ほど。
今日は朝から冷えると言っていたキャスターの言葉は正しく、温かい紅茶を手に戻ってきたら、それはそれは真剣な顔つきで俺の前に座った。
「話?」
「あの……あのですね」
ええととか、あの、とか。
言いあぐねる様子が見え、すでに1分は経っているかもしれない。
どうやらよほど言いにくい何かがあるらしいが、彼女は膝上に置いた指先を眺め――たものの、意を決したように俺をまっすぐに見つめた。
「私ほんとは……祐恭さんのこと、好きじゃないんです」
「…………」
「…………」
「ぅ……て言ったらどうしま」
「どうもしないけど?」
カップに口づけたまま見つめたのが、もしかしなくても多少の圧力にはなったんだろうか。
小さく息をのんだあと、取り繕ったかのように言葉を続けたのを見て、もう少しで吹き出すところだった。
「え、え? どうもしないって……ええ? なんでですか?」
「なんでって、俺が聞きたいけど。なんで急にそんなこと言い出すの?」
「ぅ、いやあの、だって……というかその、あのですね」
「うん」
「本当は私が、祐恭さんのこと好きじゃないって言ったら、あの、どうします……?」
「どうもしないけど」
堂々巡りとはまさにこれ。
心なしか紅茶が少しぬるくなった気がしないでもないが、目の前の彼女は「えぇ?」と言いながら困ったように眉を寄せたので、ひとまずカップをテーブルへ置く。
なんだこの子は。
相変わらず、どこで何を吹き込まれたのか知らないが、本当に興味を惹かれる反応をくるくると繰り返すものだな。
俺の彼女って、こんなにかわいいイキモノだってことは知ってたけど。当然。
「へえ。じゃあ何?俺のこと、好きじゃないんだ」
「ぅ」
「ちっとも?」
「……」
「これっぽっちも?」
「……」
どうやら、言葉で反応するのはやめたらしく、こくりとうなずきを繰り返す。
これ、ひたすら「うん」って言うを繰り返してたら、反射でどんなものでも「うん」ってするんじゃないか。
こくこくうなずく彼女を見たまま、改めて笑いそうになった。
「ふぅん。昨日、あんなに俺にキスされてたくせに?」
「っ……」
「あんな顔して、俺のこと散々好――」
「う、祐恭さんっ!!」
「何?」
「だ、だからあの、あのですねっ。それとこれは別」
「別じゃないでしょ? というか、好きでもない男にあんな顔するなんて、それこそ羽織のほうがよほどいけない子だと思うけど」
「うぅ……だからあの、それは」
昨日というか、正確には今日のこと。
それはそれはかわらしい顔で、かわいらしい声で、散々俺のことをねだったくせに、10時間も経ってない今になって『あれは嘘なんです』と言うこと自体が、無理じゃないかと思うけどもまあ……誰かっていうか、どっちに吹き込まれたのかなとは思う。
そもそも彼女は、俺がこうして見通してるってこと、わかってそうだけど。
でも、約束は反故にできない子なんだよね。それは知ってる。
だからほら、今だってこんなに一生懸命なんだから。
「まあいいや。とりあえずじゃあ、今日はそういうことにしとくよ」
「えぇ? あっ! 祐恭さんっ!」
「ほら。どうせ、午前中もあと2時間で終わるから」
「っ……」
肩をすくめてみせると、一瞬彼女が体を震わせた。
もちろん。わかってますよ? 当然。
目を合わせたままにっこり笑うと、みるみる眉尻を下げ、困ったように俺を見上げる。
うん、かわいいね。
でも、だからって許してあげるとは言ってない。
「言っておくけど、俺に嘘ついたらどうなるかわかっててやったんだよね?」
ちょいちょいと彼女を目の前まで呼び、鼻先がつくかつかないかの距離でささやく。
たちまち表情が変わったけれど、あえて気づかないふりをしておくことにした。
今朝から様子がおかしいなとは思っていたが、彼女があえてソファではなく床に正座したのはつい先ほど。
今日は朝から冷えると言っていたキャスターの言葉は正しく、温かい紅茶を手に戻ってきたら、それはそれは真剣な顔つきで俺の前に座った。
「話?」
「あの……あのですね」
ええととか、あの、とか。
言いあぐねる様子が見え、すでに1分は経っているかもしれない。
どうやらよほど言いにくい何かがあるらしいが、彼女は膝上に置いた指先を眺め――たものの、意を決したように俺をまっすぐに見つめた。
「私ほんとは……祐恭さんのこと、好きじゃないんです」
「…………」
「…………」
「ぅ……て言ったらどうしま」
「どうもしないけど?」
カップに口づけたまま見つめたのが、もしかしなくても多少の圧力にはなったんだろうか。
小さく息をのんだあと、取り繕ったかのように言葉を続けたのを見て、もう少しで吹き出すところだった。
「え、え? どうもしないって……ええ? なんでですか?」
「なんでって、俺が聞きたいけど。なんで急にそんなこと言い出すの?」
「ぅ、いやあの、だって……というかその、あのですね」
「うん」
「本当は私が、祐恭さんのこと好きじゃないって言ったら、あの、どうします……?」
「どうもしないけど」
堂々巡りとはまさにこれ。
心なしか紅茶が少しぬるくなった気がしないでもないが、目の前の彼女は「えぇ?」と言いながら困ったように眉を寄せたので、ひとまずカップをテーブルへ置く。
なんだこの子は。
相変わらず、どこで何を吹き込まれたのか知らないが、本当に興味を惹かれる反応をくるくると繰り返すものだな。
俺の彼女って、こんなにかわいいイキモノだってことは知ってたけど。当然。
「へえ。じゃあ何?俺のこと、好きじゃないんだ」
「ぅ」
「ちっとも?」
「……」
「これっぽっちも?」
「……」
どうやら、言葉で反応するのはやめたらしく、こくりとうなずきを繰り返す。
これ、ひたすら「うん」って言うを繰り返してたら、反射でどんなものでも「うん」ってするんじゃないか。
こくこくうなずく彼女を見たまま、改めて笑いそうになった。
「ふぅん。昨日、あんなに俺にキスされてたくせに?」
「っ……」
「あんな顔して、俺のこと散々好――」
「う、祐恭さんっ!!」
「何?」
「だ、だからあの、あのですねっ。それとこれは別」
「別じゃないでしょ? というか、好きでもない男にあんな顔するなんて、それこそ羽織のほうがよほどいけない子だと思うけど」
「うぅ……だからあの、それは」
昨日というか、正確には今日のこと。
それはそれはかわらしい顔で、かわいらしい声で、散々俺のことをねだったくせに、10時間も経ってない今になって『あれは嘘なんです』と言うこと自体が、無理じゃないかと思うけどもまあ……誰かっていうか、どっちに吹き込まれたのかなとは思う。
そもそも彼女は、俺がこうして見通してるってこと、わかってそうだけど。
でも、約束は反故にできない子なんだよね。それは知ってる。
だからほら、今だってこんなに一生懸命なんだから。
「まあいいや。とりあえずじゃあ、今日はそういうことにしとくよ」
「えぇ? あっ! 祐恭さんっ!」
「ほら。どうせ、午前中もあと2時間で終わるから」
「っ……」
肩をすくめてみせると、一瞬彼女が体を震わせた。
もちろん。わかってますよ? 当然。
目を合わせたままにっこり笑うと、みるみる眉尻を下げ、困ったように俺を見上げる。
うん、かわいいね。
でも、だからって許してあげるとは言ってない。
「言っておくけど、俺に嘘ついたらどうなるかわかっててやったんだよね?」
ちょいちょいと彼女を目の前まで呼び、鼻先がつくかつかないかの距離でささやく。
たちまち表情が変わったけれど、あえて気づかないふりをしておくことにした。
いただきました!!
2021.04.17
ねこ♪さんへのお礼~
わたくし大好き、あんこモノでございます。
「珍しい」
「何が」
「え、だって自分でパン焼いてるんでしょ? 葉月に頼まず」
珍しいといえば、私だって少しは珍しい。
だって今日は、アラームが鳴る前に起きた。これって実はすごいことだと思うんだけど、おとといお兄ちゃんに言ったら鼻で笑われたから二度というものかと決めた。
きっと、祐恭さんなら多少は褒めてくれる。
うぅ。いいもん、多少だもん、それでも十分だもん。
高校生のころ、いつもより20分も早く起きたことが嬉しくて報告したら、まじまじ見つめられたあと『がんばったね』とどこかいたずらっぽく笑われたのは多少懐かしい。
言ったあとで「ひょっとして一般的には自慢できない部類なのか」と気づいたけれど、でも、だって嬉しかったんだもん。
「ていうか、何それ」
「こういうのくれる相手つったら、知れてるだろ」
「優くん?」
「あー、似てるけど違うな。つか、言ったら怒られそう」
トースターとにらめっこしてるお兄ちゃんは、肩をすくめるとすぐそこにあった何かのパッケージをこちらへ見せた。
パンの写真がついているもの。
でも、中にあるのは……。
「え、何これ」
「ようかん」
「ようかん?」
「そ。トースト用のようかん」
一瞬我が耳を疑ったけれど、どうやら聞き間違えではなかったらしい。
薄くスライスされている、ようかん。
食パンにジャストフィットなサイズで、中央にはバターを模した白いようかんも乗っている。
「おもしろいっていうよりは、ちゃんとしてる方向?」
「ネタじゃねぇな。テレビでもやってたらしいぜ」
「へえー。じゃあ優くんじゃないね」
テレビでも取り上げられているということは、人気があるんだろう。
でも、こんなのあるんだ。しかもようかん……ていうか、ちょっと待って。
「え、ようかんなのに焼いちゃうの?」
「それがいいんだろ。トースト用のなんだから」
「そうなの?」
「ひとうひとつ手作業でカットされてンだと」
「ええ! すごい!」
まさかの意見に目を丸くすると、なぜか満足げにお兄ちゃんが笑った。
え、別にお兄ちゃんがすごいわけじゃないのでは……でもそれ言ったらちょっと面倒なことになりそうだから、黙っておく。もちろん。
「りかこさんにいただいたの」
「え? そうなの?」
「うん。本当にいろんなところにアンテナを立ててる人ね」
どうやら花を生けていたらしく、戻ってきた葉月の手には少し大きめの花瓶があった。
まるでバラみたいに華やかな花びらの、チューリップ。
ピンクに白、オレンジと色とりどりで、ああ春っていいなぁと改めて感じる。
「買い物に行ったとき、たーくんが好きそうって思ってくれたみたい」
「へえー。りかこさんって、お兄ちゃんのこと甘やかしてない?」
「ふふ。何かを買うとき、おいしく食べてくれる人のことがつい思い浮かばない?」
「うーん……」
そう言われると……というか、言われなくても何かをするときはたいてい祐恭さんのことが浮かぶ。
嬉しそうな顔も、少しだけ驚いてくれた顔も。
ああ、そうか。食べてもらいたいって気持ちは、より強いものなのかな。
……それにしても。
「りかこさんって、マメだよね」
「そうね。フットワークもとても軽いし」
確かに。
おもしろい商品を見つけてすぐ送ってくれるところは、誰かのためにという気持ちが強い人なんだろうな。
ある意味、第2のお母さん的な。
って、お母さんなんて年じゃないから怒られちゃいそうだけど。
「あ」
トースターが音を立てると同時に、お兄ちゃんが中からトーストを取り出す。
こんがりといい色に焼けたトーストの上には、とろりとしたようかん。
端がふつふつしていて、ふんわりと甘い香りも漂う。
「っち」
「そりゃそうでしょ。焼き立てだもん」
いつもと違って文句が飛んでこなかったのは、食べてるからに違いない。
お皿もなしで食べ始めたのを見て、葉月は苦笑しながら小さめのお皿を取り出す。
「あー……すげぇな。うまい」
「へー」
「……」
「……」
「……」
「え、それだけ?」
食レポというほどのものは期待してなかったけれど、まさか続きが一切出てこないとは思わなかった。
ひとくち食べたいとは思うものの、さすがにお兄ちゃんのものをもらうわけには……あ。
「え?」
お願いの意味をこめてまじまじ葉月を見ると、ほどなくして小さく笑う。
どうやら私の意図を汲んでくれたようで、お兄ちゃんに向き直ると『ひとくちもらってもいい?』と聞こえた。
「……ん、ようかんだね」
「だろ」
「甘さ控えめだし、少しだけとろっとしてて……このバターのところ、不思議な感じ」
「かもな」
「でも、しっかりバターの香りがして、おいしいね」
さすが葉月。
お兄ちゃんとは違って、十分に伝わってくるようなコメント。
食べてはないけれど満足はしたので、思わず小さく拍手していた。
「もう1枚あるから、食うなら食ってもいいぞ」
「え、いいの?」
「つってもま、お前あんこ食わねぇだろ」
「む。食べていいなら食べるもん」
どこか馬鹿にされたように笑われ、思わず唇がとがる。
確かに、普段はジャムとバターでしかトーストは食べないけれど、りかこさんがくれた物なら絶対おいしいし、何よりそんなに人気なものなら食べてみたい。
「葉月、はんぶんこしない?」
「ん。いいよ」
そんなやり取りをいつものようにくすくす笑いながら見ていた葉月は、やっぱり穏やかに笑うと小さくうなずいてくれた。
というわけで、ねこさん~!
ありがとうございました!!
めちゃくちゃおいしかったし、もちっとした感じとか、あんこ特有の香りとか、ほんとにおいしかった!
いつも、そのお優しさと「これを久慈さんに」と思ってくださるお気持ちで、わたくし生きられております(*´▽`*)
ごちそうさまでした!!
わたくし大好き、あんこモノでございます。
「珍しい」
「何が」
「え、だって自分でパン焼いてるんでしょ? 葉月に頼まず」
珍しいといえば、私だって少しは珍しい。
だって今日は、アラームが鳴る前に起きた。これって実はすごいことだと思うんだけど、おとといお兄ちゃんに言ったら鼻で笑われたから二度というものかと決めた。
きっと、祐恭さんなら多少は褒めてくれる。
うぅ。いいもん、多少だもん、それでも十分だもん。
高校生のころ、いつもより20分も早く起きたことが嬉しくて報告したら、まじまじ見つめられたあと『がんばったね』とどこかいたずらっぽく笑われたのは多少懐かしい。
言ったあとで「ひょっとして一般的には自慢できない部類なのか」と気づいたけれど、でも、だって嬉しかったんだもん。
「ていうか、何それ」
「こういうのくれる相手つったら、知れてるだろ」
「優くん?」
「あー、似てるけど違うな。つか、言ったら怒られそう」
トースターとにらめっこしてるお兄ちゃんは、肩をすくめるとすぐそこにあった何かのパッケージをこちらへ見せた。
パンの写真がついているもの。
でも、中にあるのは……。
「え、何これ」
「ようかん」
「ようかん?」
「そ。トースト用のようかん」
一瞬我が耳を疑ったけれど、どうやら聞き間違えではなかったらしい。
薄くスライスされている、ようかん。
食パンにジャストフィットなサイズで、中央にはバターを模した白いようかんも乗っている。
「おもしろいっていうよりは、ちゃんとしてる方向?」
「ネタじゃねぇな。テレビでもやってたらしいぜ」
「へえー。じゃあ優くんじゃないね」
テレビでも取り上げられているということは、人気があるんだろう。
でも、こんなのあるんだ。しかもようかん……ていうか、ちょっと待って。
「え、ようかんなのに焼いちゃうの?」
「それがいいんだろ。トースト用のなんだから」
「そうなの?」
「ひとうひとつ手作業でカットされてンだと」
「ええ! すごい!」
まさかの意見に目を丸くすると、なぜか満足げにお兄ちゃんが笑った。
え、別にお兄ちゃんがすごいわけじゃないのでは……でもそれ言ったらちょっと面倒なことになりそうだから、黙っておく。もちろん。
「りかこさんにいただいたの」
「え? そうなの?」
「うん。本当にいろんなところにアンテナを立ててる人ね」
どうやら花を生けていたらしく、戻ってきた葉月の手には少し大きめの花瓶があった。
まるでバラみたいに華やかな花びらの、チューリップ。
ピンクに白、オレンジと色とりどりで、ああ春っていいなぁと改めて感じる。
「買い物に行ったとき、たーくんが好きそうって思ってくれたみたい」
「へえー。りかこさんって、お兄ちゃんのこと甘やかしてない?」
「ふふ。何かを買うとき、おいしく食べてくれる人のことがつい思い浮かばない?」
「うーん……」
そう言われると……というか、言われなくても何かをするときはたいてい祐恭さんのことが浮かぶ。
嬉しそうな顔も、少しだけ驚いてくれた顔も。
ああ、そうか。食べてもらいたいって気持ちは、より強いものなのかな。
……それにしても。
「りかこさんって、マメだよね」
「そうね。フットワークもとても軽いし」
確かに。
おもしろい商品を見つけてすぐ送ってくれるところは、誰かのためにという気持ちが強い人なんだろうな。
ある意味、第2のお母さん的な。
って、お母さんなんて年じゃないから怒られちゃいそうだけど。
「あ」
トースターが音を立てると同時に、お兄ちゃんが中からトーストを取り出す。
こんがりといい色に焼けたトーストの上には、とろりとしたようかん。
端がふつふつしていて、ふんわりと甘い香りも漂う。
「っち」
「そりゃそうでしょ。焼き立てだもん」
いつもと違って文句が飛んでこなかったのは、食べてるからに違いない。
お皿もなしで食べ始めたのを見て、葉月は苦笑しながら小さめのお皿を取り出す。
「あー……すげぇな。うまい」
「へー」
「……」
「……」
「……」
「え、それだけ?」
食レポというほどのものは期待してなかったけれど、まさか続きが一切出てこないとは思わなかった。
ひとくち食べたいとは思うものの、さすがにお兄ちゃんのものをもらうわけには……あ。
「え?」
お願いの意味をこめてまじまじ葉月を見ると、ほどなくして小さく笑う。
どうやら私の意図を汲んでくれたようで、お兄ちゃんに向き直ると『ひとくちもらってもいい?』と聞こえた。
「……ん、ようかんだね」
「だろ」
「甘さ控えめだし、少しだけとろっとしてて……このバターのところ、不思議な感じ」
「かもな」
「でも、しっかりバターの香りがして、おいしいね」
さすが葉月。
お兄ちゃんとは違って、十分に伝わってくるようなコメント。
食べてはないけれど満足はしたので、思わず小さく拍手していた。
「もう1枚あるから、食うなら食ってもいいぞ」
「え、いいの?」
「つってもま、お前あんこ食わねぇだろ」
「む。食べていいなら食べるもん」
どこか馬鹿にされたように笑われ、思わず唇がとがる。
確かに、普段はジャムとバターでしかトーストは食べないけれど、りかこさんがくれた物なら絶対おいしいし、何よりそんなに人気なものなら食べてみたい。
「葉月、はんぶんこしない?」
「ん。いいよ」
そんなやり取りをいつものようにくすくす笑いながら見ていた葉月は、やっぱり穏やかに笑うと小さくうなずいてくれた。
というわけで、ねこさん~!
ありがとうございました!!
めちゃくちゃおいしかったし、もちっとした感じとか、あんこ特有の香りとか、ほんとにおいしかった!
いつも、そのお優しさと「これを久慈さんに」と思ってくださるお気持ちで、わたくし生きられております(*´▽`*)
ごちそうさまでした!!
Share Happy!
2020.11.11
誕生日おめでとう、瑞穂ちゃんーてなことで、鷹塚センセの小話。
ぬあー。
スタバ行きたい。
てか、今日ラジオで「今年もあと50日です」ってうっかり聞いてしまって戦慄している。
皆様にもシェアさせてくださいませ……という名の、共有……。
1年が終わる!! 早い!!
「あ」
「……あ?」
授業中まさにど真ん中。
3時間目が始まり30分ほど過ぎたところで、不意に聞こえたセリフへうっかり反応した……ら、ふりむきざまに妙な光景が広がっていた。
「何してんの?」
「せんせー知らないの? 今日……てか、あー! 今! 今だし!」
「は?」
ひとりじゃない、ふたりじゃない。数人の児童が俺の真上を指さしたかと思いきや、そのまま人差し指を立てる。
しかも両手。まるで何かを表すかのように同じポーズを取っており、明らかに意味深でしかない。
「何して……あー。そういや今日か」
「でしょ! 先生もやった? 子どものとき!」
「やった気はする」
いや、やってないかも。確かにソワソワもしたし、目配せ程度に反応はしたが、お前たちのようにがっつり反応はしなかった気がする。
両手の人差し指立てて、いかにもじゃん。ついでだから、そのまま問題に答えてもらうか。
「そんじゃ、楽しくイベントこなしたところで、そのまま(1)の答えは?」
「え! なんで⁉︎」
「なんでってそりゃ、今が算数の時間だからだろ。ほら、1:3になる比はどれだ?」
「おーぼーじゃん!」
「正統です」
最初に声を出した男子を指すと、ならうように指を立てていた面々がサッと引いた。とはいえ、おかげさまで誰が挙げたかはちゃんと覚えてるから安心してほしい。あと4問は、期待を裏切らず答えてもらうからそのつもりで。
「……11月11日、ね」
年代が違っても通じるのは、ある意味すごいな。
個人的には、すっかりプライベートと紐づいた日に変わっただけに、去年までと全く違う気持ちでいる自分も少しだけおかしかった。
「なんだこれ」
掃除のあとの短い昼休み。5時間目に使うプリントを取りに一旦職員室へ戻ると、自席の対面の机にはまるでお供えかのように様々なパッケージの箱が置かれていた。
ネーミングこそ違えど、種類は同じ。チョコのついてる棒菓子、それ。
「愛よねー、愛」
「どのへんが?」
「よく見なさいよ。これ、地域限定のやつよ?」
「は? あー……確かに」
この養護教諭は、このあたりでも割と有名で。塩対応がメインなのに子どもからは一定の評判を得ているという、なんとも不思議な現象も起きている。
そんな彼女とは初任のころから顔を合わせているから、もはや腐れ縁レベル。今ではなくなったが、サシで飲みに行ったこともある仲で、ある意味戦友にも似たような関係。
「で?」
「は?」
「まさか、かわいい彼女のプレゼントが同じお菓子じゃないでしょうね」
「おかげさまで、もちっとマシなもん買える程度には稼いでるんで」
「あらそう。それじゃ、今夜のディナーはおしゃれなレストラン予約したんでしょうね?」
「なんで詳細を先に暴露しなきゃなんないんだよ。守秘義務だっつの」
今日は水曜。この机の主である、俺のかわいい彼女の勤務曜日ではないが、今日はウチにくる約束にはなっている。
レストランというよりも、ビストロの雰囲気漂うお馴染みの店はきっちり詳細伝えて予約済みだし、今日の俺の仕事はある意味終わったと言っても過言じゃない。
明日、同伴出勤したらさすがに噂になるだろうが、もはやいいんじゃないかとは思っている。センセイだって人間。
公の顔だけでなく、当然私生活もがっつりあるんだし。……ってま、さすがに子どもたちには見られないほうがいい気はしてるけど。
「ちょっと。顔」
「え?」
「だいぶヤバい顔してるわよ。職場で反芻しないで」
「してない」
「してた。すっごい緩んでたわよ? こんなトコで考えちゃいけないこと考えてたでしょ」
「失礼な。人をなんだと思ってンだよ」
ずびしと人差し指を向けられ、身長が大して変わらないこともあってかより圧力を感じる。勝手な想像でハラスメント発言しないでもらいたいもんだな。まあ、うっかり脳内で服に手をかけるか否かってレベルには及んだけど。
「あー、仕事仕事」
「あ。またそうやって逃げる」
「ちょ、なんか当たりキツくね?」
「そう感じるのはやましさがあるからでしょ」
ああいえばこういうの典型じゃないが、彼女に口喧嘩で勝てたためしはない。引けばいいんだろ? どうせ。ああ、わかってるよ。これでも分別ある大人ですから。
「…………」
ちらりと時計を見ると、定時上がりまであと4時間を切っていた。
もうじき、会える。ああ、そういやそんな歌詞の曲もあったなと、らしくもなく思い出した。
「え? あ。そういえば今日は、そんな日でしたね」
おかげさまで、再会するまでの何年もの間も、俺はずっと彼女の誕生日だけは覚えていた。
11月11日。いわゆる菓子にちなんだ日として浸透しているせいか、忘れたことはない。
俺が彼女に会ったのは、12年前。
今、目の前でかわいらしく微笑む姿より、ずっと幼いまさに“子ども“だった。
「……何?」
「これ……なんか、恥ずかしい」
「なんで」
「だって近いじゃないですか」
振り返った彼女に差し出すのは、くわえたままのポッキー。素直に反対側をかじったものの、目を合わせてすぐくすぐったそうに笑った。
「…………」
実際にやってみてわかったことは、ふたつ。案外、顔の筋肉使うんだなってことと、想像よりも確かに恥ずかしい気がすること。あえて目を合わせたままかじると、眉尻を下げた彼女は笑いをこらえるかのように唇を閉じた。
「っ……ん」
「久しぶりに食べた」
残り数センチが待てず、大きめのひと口とともに触れると、チョコ特有の甘さが先に立った。まあ、ギリギリまで焦らすのもある意味オツかもしれないが、明日も休みじゃない以上、もう少し近づいておきたい気持ちのほうが強い。
「割といい時間だし、一緒に風呂入る?」
抱き寄せたまま、顔を見ずに耳元でささやくと、わずかに身体は反応を見せた。問う形ではあるが、実際はそうじゃないことをわかっているんだろう。わずかに俺へもたれた彼女は、ちらりと視線を向けるとさっきと同じように小さく笑う。
「……先に入っててもいいですか?」
「もちろん。大歓迎」
“今日“が終わるまで、あと少し。だが、存分に堪能できる時間は残されてもいる。……大人の時間の過ごし方ってのは、何に縛られるでもないからいいもんだよな、ほんと。
誕生日プレゼントは、どうせなら風呂上がりに渡したい。“身につける“意味では、まさにベストだろうから。
でも——もう少しだけ。
「ぁ……」
「そういう反応、ほんと好き」
わずかに触れるだけで、それはそれは嬉しそうに笑い、漏れる声は甘く柔らかい。
知らなかったよ、何もかもホント。自分の誕生日以外でこんなにワクワクすることも、待ち遠しさを感じるのも、こうして一緒にいられるようになってからなんだから。
ちなみに。
翌日出勤した彼女が机上の大量の箱菓子を見て若干困っているところで、『帰り車で送るよ』としれっと公言したときの顔がよほど芝居がかっていたとの指摘は、甘んじて受けておいた。
ぬあー。
スタバ行きたい。
てか、今日ラジオで「今年もあと50日です」ってうっかり聞いてしまって戦慄している。
皆様にもシェアさせてくださいませ……という名の、共有……。
1年が終わる!! 早い!!
「あ」
「……あ?」
授業中まさにど真ん中。
3時間目が始まり30分ほど過ぎたところで、不意に聞こえたセリフへうっかり反応した……ら、ふりむきざまに妙な光景が広がっていた。
「何してんの?」
「せんせー知らないの? 今日……てか、あー! 今! 今だし!」
「は?」
ひとりじゃない、ふたりじゃない。数人の児童が俺の真上を指さしたかと思いきや、そのまま人差し指を立てる。
しかも両手。まるで何かを表すかのように同じポーズを取っており、明らかに意味深でしかない。
「何して……あー。そういや今日か」
「でしょ! 先生もやった? 子どものとき!」
「やった気はする」
いや、やってないかも。確かにソワソワもしたし、目配せ程度に反応はしたが、お前たちのようにがっつり反応はしなかった気がする。
両手の人差し指立てて、いかにもじゃん。ついでだから、そのまま問題に答えてもらうか。
「そんじゃ、楽しくイベントこなしたところで、そのまま(1)の答えは?」
「え! なんで⁉︎」
「なんでってそりゃ、今が算数の時間だからだろ。ほら、1:3になる比はどれだ?」
「おーぼーじゃん!」
「正統です」
最初に声を出した男子を指すと、ならうように指を立てていた面々がサッと引いた。とはいえ、おかげさまで誰が挙げたかはちゃんと覚えてるから安心してほしい。あと4問は、期待を裏切らず答えてもらうからそのつもりで。
「……11月11日、ね」
年代が違っても通じるのは、ある意味すごいな。
個人的には、すっかりプライベートと紐づいた日に変わっただけに、去年までと全く違う気持ちでいる自分も少しだけおかしかった。
「なんだこれ」
掃除のあとの短い昼休み。5時間目に使うプリントを取りに一旦職員室へ戻ると、自席の対面の机にはまるでお供えかのように様々なパッケージの箱が置かれていた。
ネーミングこそ違えど、種類は同じ。チョコのついてる棒菓子、それ。
「愛よねー、愛」
「どのへんが?」
「よく見なさいよ。これ、地域限定のやつよ?」
「は? あー……確かに」
この養護教諭は、このあたりでも割と有名で。塩対応がメインなのに子どもからは一定の評判を得ているという、なんとも不思議な現象も起きている。
そんな彼女とは初任のころから顔を合わせているから、もはや腐れ縁レベル。今ではなくなったが、サシで飲みに行ったこともある仲で、ある意味戦友にも似たような関係。
「で?」
「は?」
「まさか、かわいい彼女のプレゼントが同じお菓子じゃないでしょうね」
「おかげさまで、もちっとマシなもん買える程度には稼いでるんで」
「あらそう。それじゃ、今夜のディナーはおしゃれなレストラン予約したんでしょうね?」
「なんで詳細を先に暴露しなきゃなんないんだよ。守秘義務だっつの」
今日は水曜。この机の主である、俺のかわいい彼女の勤務曜日ではないが、今日はウチにくる約束にはなっている。
レストランというよりも、ビストロの雰囲気漂うお馴染みの店はきっちり詳細伝えて予約済みだし、今日の俺の仕事はある意味終わったと言っても過言じゃない。
明日、同伴出勤したらさすがに噂になるだろうが、もはやいいんじゃないかとは思っている。センセイだって人間。
公の顔だけでなく、当然私生活もがっつりあるんだし。……ってま、さすがに子どもたちには見られないほうがいい気はしてるけど。
「ちょっと。顔」
「え?」
「だいぶヤバい顔してるわよ。職場で反芻しないで」
「してない」
「してた。すっごい緩んでたわよ? こんなトコで考えちゃいけないこと考えてたでしょ」
「失礼な。人をなんだと思ってンだよ」
ずびしと人差し指を向けられ、身長が大して変わらないこともあってかより圧力を感じる。勝手な想像でハラスメント発言しないでもらいたいもんだな。まあ、うっかり脳内で服に手をかけるか否かってレベルには及んだけど。
「あー、仕事仕事」
「あ。またそうやって逃げる」
「ちょ、なんか当たりキツくね?」
「そう感じるのはやましさがあるからでしょ」
ああいえばこういうの典型じゃないが、彼女に口喧嘩で勝てたためしはない。引けばいいんだろ? どうせ。ああ、わかってるよ。これでも分別ある大人ですから。
「…………」
ちらりと時計を見ると、定時上がりまであと4時間を切っていた。
もうじき、会える。ああ、そういやそんな歌詞の曲もあったなと、らしくもなく思い出した。
「え? あ。そういえば今日は、そんな日でしたね」
おかげさまで、再会するまでの何年もの間も、俺はずっと彼女の誕生日だけは覚えていた。
11月11日。いわゆる菓子にちなんだ日として浸透しているせいか、忘れたことはない。
俺が彼女に会ったのは、12年前。
今、目の前でかわいらしく微笑む姿より、ずっと幼いまさに“子ども“だった。
「……何?」
「これ……なんか、恥ずかしい」
「なんで」
「だって近いじゃないですか」
振り返った彼女に差し出すのは、くわえたままのポッキー。素直に反対側をかじったものの、目を合わせてすぐくすぐったそうに笑った。
「…………」
実際にやってみてわかったことは、ふたつ。案外、顔の筋肉使うんだなってことと、想像よりも確かに恥ずかしい気がすること。あえて目を合わせたままかじると、眉尻を下げた彼女は笑いをこらえるかのように唇を閉じた。
「っ……ん」
「久しぶりに食べた」
残り数センチが待てず、大きめのひと口とともに触れると、チョコ特有の甘さが先に立った。まあ、ギリギリまで焦らすのもある意味オツかもしれないが、明日も休みじゃない以上、もう少し近づいておきたい気持ちのほうが強い。
「割といい時間だし、一緒に風呂入る?」
抱き寄せたまま、顔を見ずに耳元でささやくと、わずかに身体は反応を見せた。問う形ではあるが、実際はそうじゃないことをわかっているんだろう。わずかに俺へもたれた彼女は、ちらりと視線を向けるとさっきと同じように小さく笑う。
「……先に入っててもいいですか?」
「もちろん。大歓迎」
“今日“が終わるまで、あと少し。だが、存分に堪能できる時間は残されてもいる。……大人の時間の過ごし方ってのは、何に縛られるでもないからいいもんだよな、ほんと。
誕生日プレゼントは、どうせなら風呂上がりに渡したい。“身につける“意味では、まさにベストだろうから。
でも——もう少しだけ。
「ぁ……」
「そういう反応、ほんと好き」
わずかに触れるだけで、それはそれは嬉しそうに笑い、漏れる声は甘く柔らかい。
知らなかったよ、何もかもホント。自分の誕生日以外でこんなにワクワクすることも、待ち遠しさを感じるのも、こうして一緒にいられるようになってからなんだから。
ちなみに。
翌日出勤した彼女が机上の大量の箱菓子を見て若干困っているところで、『帰り車で送るよ』としれっと公言したときの顔がよほど芝居がかっていたとの指摘は、甘んじて受けておいた。
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